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74.自由への疾走

 王都の商業ギルドで受付嬢をしているマーサは、しがない商人の家に生まれた。

 物心ついた頃には、両親と荷馬車で各地を巡る、行商の旅ぐらしが彼女の日常だった。

 しかし、父が足を悪くして引退を余儀なくされ、運良く騎士爵の馬屋番の仕事に就いたものの、かつてほどの収入はない。

 母も細々と行商を続けているが、家計は厳しい。そのため、マーサは商業ギルドに働きに出たのだ。


 ある日、王命により、祝日が言い渡された。なんでも、街道の整備が終わった記念式典を開催するらしい。

 正直、マーサは迷惑だと感じた。日当制で働く彼女にとって、休みが増えればその分収入が減ってしまうからだ。

 お金を貯めて、いつか荷馬車を買いたい。

 かつて両親と色々な場所を巡っていた行商の旅ぐらしに、どうしようもない憧れが湧き上がってくるのだ。あの頃の自由な日々が、まるで手のひらから零れ落ちていく砂のように感じられた。


 同僚のフィセが、「お祭りに行こう!」と、屈託のない笑顔で誘ってくれた。正直、お金はあまり使いたくない。収入が減る日に、わざわざ出費を増やしたくはなかった。


 しかし、ロートシュタインの名物料理や、見知らぬ飲み物。舞台で繰り広げられた、遠い場所の物語は、マーサの胸の奥底に眠っていた憧憬を呼び起こした。彼女の心は、次第に祭りへと惹かれていく。


 そして、祭りクジの屋台。どうやら、あの店主が公爵さまらしい、という噂が飛び交っていた。

 フィセは、「ねぇ、やってみようよ!」と、興奮気味にマーサの腕を引いた。


 銀貨一枚。正直、高い。

 日当のほとんどが消えてしまう金額だ。しかし、景品は、魔導車が続々と出ている。もしかしたら、荷馬車より、魔導車があれば? いや、どうだろう。あの、ファット・ローダーという大型魔導車なら別だが、荷物がどれだけ積めるのだろう。彼女の頭の中で、現実的な計算が働く。


 フィセは、マーサの迷いをよそに、ためらわずクジを引き、フレーバービール一樽を当てた。残念そうな顔をしているが、それを売れば儲かると思うのだが? マーサは、そう考えてしまった。


 気づけば、マーサは、なけなしの銀貨を差し出していた。

 魔導車を見ていて、何かわからない感情が湧き上がってきたのだ。

 

 これがあれば、"自由になれるのだろうか?"


 私は、私が、欲しいのは、かつての、父と母との、あの暮らし。それは、本当か?

 彼女の心の中で、漠然とした問いが浮かび上がる。


「はいはい。どうぞ。銀貨一枚ね。クジひいて……はい、残念。二等の、最新魔導二輪車"スクラバー"ですね。これに乗って、ロートシュタインに来てくださいね」


 ラルフの軽妙な口上を聞きながら、マーサの目の前には、銀色に輝く二輪車が置かれた。

 二輪車? これは、どうやって乗るのだ?

 フィセは、慰めればいいのか、喜べばいいのか、わからない様子だった。

 しかし、なぜかわからない。マーサは、その"スクラバー"を目の前に、ゾクゾクと気持ちが湧き上がった。


 この得体の知れない乗り物が、彼女の内に秘められた何かを刺激したのだ。


 試しに、それに跨ってみた。刹那、風が吹いた。気がした。



 数カ月後、

 今、マーサはロートシュタインへの街道を"スクラバー"に乗って駆けている。


 彼女はスクラバーを手に入れて一週間で乗りこなした。その操作は、馬の背に乗るよりもはるかに直感的で、彼女の身体に馴染んだ。そして、すぐにロートシュタインへ向かった。これまでの荷馬車での旅とは比べ物にならない速度で、あっという間に目的地に着いてしまった。


 それから、マーサは王都の商業ギルドの受付嬢を辞めてしまう。彼女の心は、もはやあの狭い空間には収まらなかった。


 今、マーサは、色々な領地を巡り走る、運び屋をやっている。

 主に、貴族同士の急ぎの書簡や商家同士の緊急便を運んでいる。その報酬は、かつての受付嬢の給料とは比べ物にならない。

 そして何よりも、自由があった。


 マーサは夕暮れの街道が好きだ。夕日が地平線に沈む中で、"スクラバー"を駆る。そこには、圧倒的な孤独と、世界は存外に広いという事実だけがある。この"スクラバー"となら、どこまでも行ける。そんな確かな手応えが、彼女の胸にはあった。

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