64.ロートシュタインの虎②
アルストの作った「ネギたっぷり麺」が、面接官たちの前に運ばれてきた。湯気を立てる素朴な一杯。アルストは固唾を飲んで、彼らの反応を待った。
「もぐもぐもぐもぐ。うーん。……普通ね。もう少し香辛料を効かせるなり、工夫が必要じゃないかしら?」
試食をした金髪ドリルツインテールの少女、エリカが呟いた。彼女は元貴族にしてラルフの奴隷という異色の経歴を持つ、王子から婚約破棄された過去を持つ悪役令嬢だ。ロートシュタインでは「スパイス・クイーン」の異名を持つ、カレーのプロフェッショナル。今宵も辛口コメントが火を吹くか。
「こ、香辛料は、高くて。まだ試したことがなくて……」
アルストはたじろいだ。貧しい農村の出身である彼には、高価な香辛料にまで手が届かなかったのだ。
「しかし、ネギに目をつけたのはかなり良いのではないか? ネギは値段も安定してるし、農家に増産の打診もしやすい」
そう言ったのはバルドル。このロートシュタイン領の商業ギルドの長だ。ラルフのせいで、この世界で最もブラック労働を強いられているギルマスである。働けど働けど、さらに働け。労働者の味方は、志願者にとっての天使か悪魔か、その表情からは読み取れない。
「では。皆さま宜しいでしょうか? ファイナル・ジャッジメント・タイムです。まずはバルドルさんから」
アンナが、いつものように冷静な声で面接を仕切る。その言葉に、アルストの心臓はさらに高鳴った。
バルドルは書類に目を落とし、一つ頷いた。
「商業ギルドとしては、銀貨五枚!これは、貸し屋台、器材、一週間分の食材の仕入れ、そして場代の一般的な初期投資分だ」
「あ、ありがとうございます!」
アルストは、安堵と感謝の入り混じった声で答えた。まずは、最低限のスタートラインには立てる。
「では、次にエリカさん」
アンナが、エリカに視線を向けた。
エリカは腕を組み、ふんっと鼻を鳴らした。
「私は銀貨一枚と、カレースパイスの提供。カレー味の商品展開も考えるなら、増額するわよ!」
「は、はい!ぜひ検討させて下さい!」
エリカからの支援は、金銭面だけでなく、彼が手を出せなかった「香辛料」という点で非常に大きかった。アルストの目に、希望の光が灯る。
「では、ラルフさま」
アンナが、最後にラルフに視線を向けた。ラルフは腕を組み、うーん、と唸った。
「……。すまん、ゼロです。だけど一つ提案が。うちの居酒屋領主館でしばらく修行しないか?それから自己資金で開業。この方がリスクが少ないし、安定はするのかなぁ。と」
ラルフの言葉に、アルストはガックリと肩を落とした。しかし、その提案には、確かに彼の事業を成功させるための現実的な道筋が見える。
「おーーー。なるほど」
と、隣で聞いていたヴラドおじさんから声が上がる。彼の言葉は、ラルフの提案に同意を示しているようだった。
「では、ラスト。ヴラドさま」
アンナが、最後にヴラドおじさんに視線を向けた。
ヴラドおじさんは、深く頷いた。
「ふむ。私は金貨十枚!」
その言葉に、部屋の空気が一変した。
「おおおーーー!」
アンナやバルドル、そしてエリカからも、驚きの声が漏れる。金貨十枚という金額は、屋台一つを始めるどころか、小さな店を構えるにも十分すぎるほどの大金だ。
「へっ、あ、じゅ、十枚?!」
アルストは目を見開いた。額の汗が、さらに流れ落ちる。自分の聞き間違いではないかと、耳を疑った。
「私は可能性を感じたな。なのでこの金額だ。屋台とかつまらんことは言わずに、王都に店を構えるといい」
ヴラドおじさんの言葉に、アルストは呆然とした。王都に店を構えるなど、夢にも思わなかったことだ。農村の次男として生まれ、村に残るか冒険者になるかしか選択肢がなかったはずの自分が、まさか王都で店を持つなど。
アルストは、とんでもない所に来てしまったことを、今さら実感した。ロートシュタインの「虎」たちは、彼の想像をはるかに超える存在だった。この大金と、彼らの期待を背負い、アルストの「ネギたっぷり麺」は、王都を目指すことになる。彼の人生は、この瞬間から、大きく動き出した。




