63.ロートシュタインの虎①
農村出身のアルストは、緊張のあまり額に汗が滲み、今にも嗚咽しそうだった。
これから、ロートシュタイン領の商業ギルドの面接が始まるのだ。上手くいけば、開業資金をギルドや有力者から融資してもらえる。彼の人生を左右する、まさに大一番だった。
農家の次男として生まれた彼は、家を継げない身だ。このまま兄の手伝いをしながら村に残るか、それとも危険な冒険者になるか、ずっと将来を案じていた。
そんなある日、村に訪れる行商人が「麺」なるものを持ち込んだ。その見たことのない珍しい食材に、アルストは心を奪われた。
彼はすぐに試作に取り掛かった。畑にある新鮮なネギをたっぷり使い、保存していた牛脂もまたたっぷり使って、自分なりの麺料理を作り上げた。すると、ちょうど家に滞在していた行商人がそれを一口食べ、目を見開いて言った。
「この料理を、持って、虎に挑むべきだ!」
"虎"とは、ロートシュタインの商業ギルドや有力者たちの総称らしい。彼らが認めた者だけが、この領で成功を掴めるのだと。その言葉に、アルストの心に火が灯った。
いざ、面接が始まる。
「では、どうぞ」
アンナの落ち着いた声が響き、アルストは深呼吸をして三つノックをした後、面接室へと足を踏み入れた。
今宵も、志願者が己の野望を胸に、虎へと挑む。
部屋の中には、四人の人物が座っていた。彼らが、アルストの未来を握る「虎」たちだ。
「まずはご経歴をお願いします」
アンナが、手元の書類に目を落としながら尋ねた。
「アルスト。家名はありません。農民です」
震える声で、アルストは答えた。自分のような身分が、この場にいること自体が奇跡のように思えた。
「では、今回の希望金額をお願いします」
次に尋ねたのは、ひときわ目を引く男だ。穏やかな表情ながらも、その目には鋭い光が宿っている。彼は、ヴラドおじさん。何者かは知る者は少ないが、飲食系に携わる者たちへの投資額は、このロートシュタイン領でナンバーワンだと言われている。彼が首を縦に振れば、事業は約束されたも同然だ。今宵も、出るか? "全額私が出そう"。
「屋台の開業資金、それだけで!」
アルストは、絞り出すように答えた。大きな金額を提示して、もし断られたら、と考えると胃が締め付けられるようだった。
「貴方の思い描く未来の姿は?」
尋ねたのは、部屋の中央に座る男。ラルフ・ドーソン。このロートシュタイン領の領主でありながら、居酒屋領主館をオープンさせ、その店には王族すら通う。今や一大コミュニティを形成し、「革命は美味!」をスローガンに掲げる、この街の生きた伝説だ。彼の言葉は、この領の流行となる。
「ね、ネギたっぷり麺を、このロートシュタイン領に広めたい!」
アルストは、震えながらも、自身の夢を語った。この麺で、多くの人を笑顔にしたい。それが、彼の偽らざる思いだった。
「君のネギは、君の家で作っているのかな?」
早速、ヴラドおじさんから質問が飛んだ。彼は食材の出どころにも関心があるようだ。
「まずは、美味いか美味くないか?じゃね?」
ラルフ・ドーソンが、ニヤリと笑った。彼は常に本質を突いてくる。味が全てだと言わんばかりのその言葉に、アルストは息を飲んだ。
「この事業計画書、ちょっと納得いきませんわね?何故二年と……」
最後に口を開いたのは、アンナだった。彼女はラルフのメイドでありながら、領主館の経理を任され、その手腕はギルドの人間も舌を巻くほどだ。彼女の指摘は、常に的確で容赦ない。アルストの提出した事業計画書には、二年で黒字化するという目標が書かれている。それが、彼女には甘く見えたのだろうか。
アルストは、汗をぬぐいながら、必死に頭を回転させた。この虎たちを納得させなければ、彼の夢はここで終わってしまう。




