60.光あるところに影
「ちとケチすぎるのではないか? もう少し金を回さんと」
「チッ!」
国王ウラデュウスの言葉に、ラルフは舌打ちをした。
国王にそのような態度をとるとは何事だ?
と、普通ならそう言われかねない。だが、ロートシュタイン滞在日数が伸びるごとに、二人の関係はざっくばらんに、いや、むしろ飲み友達と呼べるほどに構築されてしまっていた。
その国王は、領主館の執務室で、ロートシュタイン領の収支表をパラパラとめくっている。早く帰んないかなぁ、などと、ラルフはさすがに口に出せなかった。
「それでも、かなり株券は手放したんですよ? この領じゃ、孤児まで個人投資家ですから。富の分配はしているつもりなんですがねぇ」
ラルフは、テーブルに広げられた分厚い帳簿の数字を指しながら、渋々反論した。孤児院の子どもたちが自分たちの稼ぎで株を買う、そんな光景はロートシュタインでしか見られないだろう。
しかし、国王は表情を変えずに言った。
「公共事業にまったく手を付けてないではないか」
それは、先代当主であるラルフの父親が、ほとんどやってしまったことだった。領主という仕事をラルフに丸投げして、母と気ままな旅暮らしをしているが、今頃どこで何をしているやら。ラルフが領主の座に就いた時、すでにロートシュタインのインフラはほぼ完成していたのだ。
その時、メイドのアンナが控えめに部屋に入ってきた。
「旦那様、領兵から報告が。東南街区に、流浪民が住み着いているとのことです」
「流浪民?やはり、共和国からか」
ラルフの顔に、わずかな疲労が浮かんだ。最近、共和国方面からの流浪民が増加しているという報告が上がっていた。
「おそらくは」
アンナは静かに答えた。
「なんだ? 門番は何をしておるのだ?」
国王が険しい表情で尋ねる。彼の治める王国では、領境を越える者には厳しく入領税を課し、不審者は排除する。それが常識だった。
ラルフは面倒くさそうに頭を掻いた。
「今はすでに入領税を取っていないのですよ。門は夜中も開けっ放しですから」
国王は目を丸くした。「何をやっておるのか?」その言葉には、明らかな呆れが滲んでいた。
「どうせこの領に来る奴らは、飯と酒に金を落とすのですよ。それに、領兵だって金で雇ってるんです。無駄な出費は削るに限ります」
ラルフは、いつもの調子で言い放った。彼にとって、効率と利益こそが全てだった。
「言い訳にしか聞こえん。怠慢だな」
一ヶ月近くも公務をほっぽって、ロートシュタインで呑んだくれている奴が、何を言うか?! その言葉を、ラルフはぐっと飲み込んだ。国王相手に口答えしても、ろくなことにはならないだろう。
「まあ、一度現場を見てみるか」
ラルフは観念したように椅子から立ち上がった。
「面白そうだな。私も行こう」
国王は、まさかの同行を申し出た。彼の興味は尽きないらしい。ラルフは内心、げんなりしながらも、頷くしかなかった。
魔導車で東南街区へ向かう。目的地に到着すると、すぐに現状がわかった。
路地裏には、みすぼらしい格好の人々が座り込んだり、地面に寝転んだりしている。
痩せこけた顔、覇気のない目。その中には、物乞いをしている子供たちの姿もあった。彼らの周りには、わずかな荷物が散乱し、生活の困窮ぶりを物語っていた。街の喧騒から隔絶された、別世界のようだ。
「なるほど、な」
国王は腕を組み、静かにその光景を見つめていた。その表情は、いつもの陽気な「ヴラドおじさん」のものではなく、一国の王としての威厳を帯びていた。
「どうするのだ? 彼ら全員に施しでもするのか?」
国王が、ラルフに問いかけた。その声には、冷たい現実が横たわっている。
ラルフは真剣な表情で、何事かを考えているようだった。彼の目は、困窮した人々ではなく、その奥にある何かを見据えているかのようだった。
やがて、彼は口を開いた。
「いや、そんなことはできない。そんなもったいないことは」
だろうな。と、国王は思った。そんなことをやったところで、きりがないことは、ラルフも重々承知しているだろう。安易な施しは、かえって依存を生み、問題を悪化させることすらある。
しかし、ラルフの次に放った言葉は、国王の予想を裏切った。
「施すだけなんて、もったいない!彼らは労働力なんだから!」
ラルフは目を輝かせ、そう言い切った。その言葉には、困窮した人々への憐憫ではなく、冷徹なまでの現実的な視点と、ビジネスマンとしての貪欲なまでの計算が込められていた。国王は、彼の発想に、驚きを隠せない。
この男は、一体何を企んでいるのか。王は、その奇妙な領主から目が離せなくなっていた。




