58.国王のラーメン探訪
執務室の向かいに座る男を見て、ラルフは密かに冷や汗を垂らした。
王様きちゃったよ!
平民風の装い、つまりお忍びなのだろう。しかし、豪華な馬車三台と、護衛と従者をぞろぞろと引き連れてくるあたり、さすがは国王陛下である。お忍びの意味を履き違えているようにしか見えない。
「道すがら眺めて来たが、随分活気があるではないか」
国王ウラデュウス・フォン・バランタインは、鷹揚に頷きながら言った。
「陛下。いったい何用で? 奥方さまを迎えに来たのですか?」
ラルフは尋ねた。クレア王女がロートシュタインに長期滞在していることは、国王も承知しているはずだ。
「それもあるが、そのついでに私も少し、ロートシュタインを見て回ろうとね。随分、上手いこと領地経営をしているらしいではないか?もしも悪辣な手腕を振るっているのであれば、為政者として見過ごすことはできんしな」
そう言われても、ラルフには身に覚えがない。しかし、国王の言葉には、どこか探るような響きがあった。悪徳領主をやっている覚えはないが、ラルフは気が重くなる。
「お戯れを。これほど働き者な領主はなかなかおりませんよ」
アンナがすかさず口を挟んだ。彼女は国王の前でも、普段と変わらない毅然とした態度を崩さない。
「まあ。よい。では、案内を頼めるかな?」
国王ウラデュウスは、手元に持っていた一冊の本を掲げて言った。
それは、株式会社グルメギルド出版の
『ロートシュタイン ラーメン探訪 著者:ヨハン』と記されていた。
ヨハンは元孤児院の出で、一時、ラルフの居酒屋領主館で働いていた、あのヨハンだ。
「私が、ですよね。はい。喜んで」
ラルフは観念したように返事をした。国王の興味が、美食と、自身の領地経営に向けられていることは明白だ。
ラルフの魔導車(試作弐号機)に、国王と、最低限の護衛が乗り込む。アンナは、なぜか普段よりも浮かない顔をしているように見えたが、ラルフは気にしないふりをした。
「こちらが屋台街です。陛下」
ラルフが車窓の外を指差して説明した。
「あー。今の私はお忍びだ。なので、ヴラドおじさん、とでも呼び給え」
国王はそう言い、にこやかに微笑んだ。ヴラドおじさん、か。ラルフは思わず苦笑いを浮かべた。
「……ではいきましょう」
ラルフは口元をひきつらせながら、車を停めた。国王もとい、ヴラドおじさんは、すでにグルメ本を片手に、興奮気味に言った。
「まずは、このポンコツラーメンとやらを食べてみたいのぅ」
「ああ、はい。美味いですよ」
そうして目的地である屋台に到着すると、国王は他の屋台も気になるのか、キョロキョロしっぱなしだった。その様子は、まるで初めて街に出た子どものようにも見える。
「あれまー!領主さま!また来てくれたんですか?!」
ポンコツラーメンの看板娘、パメラが、いつもの調子でラルフを出迎えた。彼女の声は、この屋台街の活気の一部だ。
「ほほう、美味そうな匂いだ。本当に血のように赤いのだな?」
国王は、他の客が食べているラーメンを覗きこみ、その客はちょっと迷惑そうだ。その血のような赤いスープは、ポンコツラーメンの最大の特長だ。
「そちらの方は?」
パメラが、隣に立つ国王を指して尋ねた。
「ああ、うちの客人の、ヴラドさんだ」
ラルフは、内心ドキドキしながらそう紹介した。
「どもー!なんだか偉そうなオッサンっすねぇ」
もう一人の看板娘、ジュリが、全く悪びれる様子もなくかなり危うい発言をして、ラルフは焦る。国王陛下を「偉そうなオッサン」呼ばわりするとは、この娘は一体……。
しかし、国王は、そんなジュリの言葉を全く気にする様子もなく、楽しそうに笑った。
「フッハッハッハッハ!確かに、そこそこ偉い立場をやらせて頂いてはいるなぁ。どれ、メニューを見せてくれるかな?」
「ウチは、メニューはないっす。"血のラーメン"一択。一点突破っす!サイズは、大、中、小。さらに小さい、ミニってのもあります」
ジュリが自信満々に言った。
「ほう」国王は興味深そうに頷いた。
麺の湯切りをしながら、マジィが説明を加えた。
「ロートシュタインは食べ歩きの街ですから、色々食べてみたい方にはミニがオススメです。他の屋台もミニを置いてますよ」
「なるほど!ではミニをひとつ!」
国王は即座に決めた。護衛たちも、国王の指示に従い、各々ミニラーメンを注文した。
食べ終わると、国王は満足そうに、財布から金貨を取り出して手渡した。
「いやいや!オッサン!金貨なんて困るっす!お釣りないっすよー!」
ジュリが慌てて金貨を押し返そうとする。ポンコツラーメンの値段は、銅貨数枚で食べられる庶民的なものだ。金貨など、釣り銭があるはずもない。
「いいから、取っておきなさい!」
国王は豪快に笑い、金貨をパメラの手に握らせた。
「さあ、次はどこに行こうかのぅ」
国王は、すっかりこの屋台街の虜になったようだ。
「また来てなぁ!偉そうなオッサン!」
ジュリが、満面の笑みで手を振った。
ラルフはまた青ざめる。しかし国王は、そんなジュリの言葉を全く気にしていない。むしろ、どこか上機嫌に見える。
「良い娘たちではないか」
国王は、満足そうに言った。
「彼女たちは元冒険者でしてね。鳴かず飛ばずだったところ、あのラーメンを開発して。今じゃ超人気店。分店もかなりあるのですが、本人たちは屋台に思い入れがあるらしいですね」
ラルフは、彼女たちの経緯を簡潔に説明した。これもまた、ロートシュタインの活力の一端なのだろう。
「ふむ。……おっ!なんだ、この匂いは!あの屋台のようだな?」
国王は、ふと立ち止まり、嗅覚を刺激する匂いの元へとフラフラと歩き出した。その目は、獲物を狙う鷹のように鋭い。
ラルフは、はぁ、と深いため息をついた。国王のお忍びの旅は、まだまだ始まったばかりだ。