55.スイーツにも、革命を
「と、いうわけで。居酒屋ってのは女子供の来るところではない!」
何がというわけなのだ? 領主ラルフ・ドーソンの突拍子もない発言に、メイドのアンナは呆れたような視線を向けた。
「急に、何を差別的な発言をなさっているのです?」
ロートシュタイン領の名物、「居酒屋領主館」。
その経営者は、もちろん領主であるラルフその人だ。
いつも通り午前中には書類仕事をすべて終わらせ、また何か新たな企みを思いついたらしい。
ラルフは腕を組み、真剣な顔で続ける。
「とにかく。居酒屋がいくらなんでも忙しすぎる。毎夜毎晩お祭り騒ぎで、孤児たちを働かせ過ぎてる。ブラック労働はまずいだろう」
今さら何を言っているんだ、とアンナは思ったが、口にはしなかった。ラルフが孤児院の子どもたちを雇い始めたのは、もうだいぶ前のことだ。そのおかげで、彼らは読み書きや算術を学び、安定した収入を得られるようになった。感謝している者は多いが、確かに「居酒屋領主館」の賑わいは日ごとに増し、手が足りない状況は続いていた。
「それに、天候不順や災害で食料不足になった時が心配だ」
ラルフはさらに懸念を口にした。
まあ、いざとなれば仲の良いグレン子爵やデューゼンバーグ伯爵に泣きつけば良いものを、ともアンナは思った。だが、ラルフは常に最悪の事態を想定し、その対策を練る男だ。
「それで?あのヘンリエッタが大量に運び込んだ草が、何か関係ある話なのですね?」
アンナは、先日港で目撃した大量の荷物と、そこに立ち会っていたヘンリエッタの姿を思い出し、問いかけた。
ラルフの顔に笑みが広がった。
「さすがアンナだ。お次は、ロートシュタイン領のスイーツ革命に乗り出す!」
彼の言葉に、アンナは少なからず驚いた。ラルフはいつだって突飛な発想をするが、今回はとりわけ予想外だった。
ラルフは上機嫌で、愛用の魔導車へとアンナを促した。領主館からほど近い、かつては貴族の別邸だったらしい館へと移動する。手入れはされているものの、しばらく空き家になっていたはずだ。
「実は、この居抜き物件を買っておいたんだ。ここに新店舗をオープンする」
ラルフは得意げに言った。
「いつの間に……」
アンナは呆れを通り越して感心した。ラルフの行動力にはいつも度肝を抜かれる。
「経営に関しては、ジョン・ポール商会に丸投げする」
ジョン・ポール商会。最近、ロートシュタイン領内でよく耳にする名だ。町外れに巨大な倉庫を建築中で、一体何をしているのか謎だと噂されていた新興の商会だ。ラルフのことだから、何か深い繋がりがあるのだろう。
「居酒屋の二号店ですか?」
アンナは尋ねた。これだけの規模の物件となると、そう考えるのが自然だ。
ラルフは手を振って否定した。
「いやいや。こっちは甘味処にする。ナウでヤングで、トレンディな、女子ウケを狙ったスイーツ店だ」
「は、はぁ」
アンナは思わず生返事をした。ナウ?ヤング?トレンディ?それは何かの呪文だろうか?頭の中には疑問符がいくつも浮かんだが、ラルフの楽しそうな顔を見て、それ以上は突っ込まなかった。
それから数週間後、ロートシュタイン領に初のスイーツ専門店が誕生した。
その名は「ヘンリエッタ・カフェ」。
リフォーム作業は、ドワーフ達の協力のおかげで、まさに爆速で進められた。彼らは卓越した技術と驚くべきスピードで、古い館を華麗な店舗へと変貌させた。
店内の備品も、全てがドワーフ謹製だ。光を美しく反射するガラス細工の器、繊細な輝きを放つ銀の匙。そして、店の中央には息をのむようなシャンデリアが吊り下げられ、色とりどりのステンドグラスが窓にはめ込まれ、店内に幻想的な光を投げかけていた。
どこを向いても、職人の技が光る逸品ばかりだった。
「ヘンリエッタがオーナーなのですか?」
アンナは店名を見て尋ねた。
「いや。名前を借りただけ。こういうのは有名人を使うに限る」
ラルフは悪びれることなくそう言った。まさにラルフらしい発想だ。
「そうですか。で、これが負荷分散の秘策なのですか?」
アンナは、以前ラルフが語っていた「ブラック労働の是正」を思い出し、尋ねた。
ラルフは満足そうに頷いた。
「そうだ。居酒屋というのは、基本的に酒を飲んで騒ぐ場所だ。なので、落ち着いた雰囲気の静かな場所で、甘い物をパクつきたいという、潜在顧客が居酒屋の常連の中にもいるはずだ」
「あー。それで、女子供という表現を……」
アンナは、ラルフの差別的な発言の意味をようやく理解した。彼は性別や年齢で客を区別したかったのではなく、単に「居酒屋の喧騒を好まない層」を指したかっただけなのだ。
「まあ、そういうことだ。営業時間は昼過ぎから夜まで。もしかしたら、居酒屋の客が、酒を飲んだ後に。シメのスイーツを食べに来る。なんて動線も予想できる。そうすると、居酒屋の回転率も上がる」
ラルフは、まるでチェスの盤面を読むかのように、顧客の動線を予測していた。
「はぁ、あいかわらず。色々考えておいでで」
アンナは感嘆の息を漏らした。ラルフの頭の中には、常に数手先までの戦略が描かれている。
「まあ、とにかく。プレオープンは明日だ。楽しみにしてろ」
ラルフはそう言って、再び満足げな笑みを浮かべた。ロートシュタインに、甘い香りが満ちる日が、すぐそこまで来ていた。




