53.祭りのあと
ラルフは、重い頭を抱えながら目を覚ました。
視界に映るのは、見慣れた居酒屋領主館の天井だ。昨晩の喧騒が、まだ耳の奥で微かに響いている気がした。
どうやら、一階の客席のベンチで酔い潰れて眠ってしまったらしい。まあ、よくあることだ。誰かがかけてくれたのだろう、温かい毛布が体に掛かっていた。
アンナか、それともメイドの誰かだろうか。
ゆっくりと体を起こすと、厨房から楽しげな声が聞こえてくる。コンコンと包丁の音が響き、香ばしい匂いが漂ってきた。
「おーい、お兄ちゃん起きた? どうする? 何か食べる?」
厨房の入り口から顔を覗かせたのは、ミンネだった。その後ろから、獣人のハルが、ぴこぴこと猫耳を揺らしながら、同じように顔を出す。どうやら、二人は朝早くから仕込みを始めているようだ。その元気な声に、二日酔いの重い頭でぼーっとしながらも、ラルフは無意識のうちに口を開いた。
「あー、みそ汁飲みたい」
「はーい! 先に顔洗ってきなよー」
ミンネの明るい声が、二日酔いの体に染み渡る。ラルフはよろよろと立ち上がり、顔を洗いに行った。冷たい水が、わずかに残るアルコールの靄を洗い流してくれるようだ。
顔を洗い終え、厨房に戻ると、温かい味噌汁が用意されていた。熱々の味噌汁をすすりながら、ラルフは少しずつ人心地を取り戻していく。
孤児たちが畑に出掛けるのを見送ってから、ようやく執務室の椅子に座ることができた。頭はまだ重い。しかたなく、懐からポーションを取り出して飲む。頭が少し冴えた。しかし、案外効かないなぁ、と心の中で文句を言う。
目の前の書類を始末しなければ!
しかし、ラルフの視線は、まず一つの書類に釘付けになった。それは、昨夜の収支表だった。
「なんなんだ? この粗利は?」
経費もかなりかかっているが、それ以上に利益率が、尋常ではない数値を示している。昨晩の「祭り」が、これほどの売り上げをもたらしたのかと、ラルフは目を疑った。
ふと見ると、執務室の片隅に、見慣れないギターのような弦楽器が置かれている。おぼろげな記憶が蘇ってきた。
「領主さまが使って下さい! 私は、そろそろ新しい楽器をオーダーしようとしてて、それはどこかに売ろうとしてたとこでした! もし、ドーソン公爵が使ってくれるなら、私の名も広まるかもしれないです!」
昨晩、舞台でこれを奪い取った。吟遊詩人、ソニアの声が脳裏に蘇る。
なるほど、これだったのか。あの酔っ払った勢いで、楽器までもらっていたとは。
昼過ぎになり、アンナが出勤してきた。いつも通り、整然とした足取りで執務室に入ってくる。
「旦那さま、寝癖」
アンナは、書類の山を見る前に、ラルフの乱れた髪に気づいて指摘した。ラルフは、自分の髪を手で梳かしつける。
「書類はすべて処理した」
ラルフは、どことなく得意げに言った。僅かに残る二日酔いの頭で、あれだけの書類を処理したのだ。しかし、彼の表情には、まだ何か迷いの色が浮かんでいた。
「アンナ、ちょっと聞きたい。あの、領主館前にいる。あの行列の、人たちは、いったい、⋯⋯なんなんだろうね?」
ラルフは、執務室の窓から外を指差した。窓の外には、昨日と同じ、いや、昨日よりもさらに伸びた長蛇の行列ができていた。
人々は、未だ開店していない居酒屋の門の前に、じっと並び続けている。
「そりぁ、開店待ちのお客様たちですよ?」
アンナは、当然とばかりに答えた。その言葉に、ラルフはまだ二日酔いの頭で、深い絶望を味わった。
彼の「下賤な居酒屋」は、もう彼のコントロールを離れ、予想もしない方向へと進み始めていた。




