50.祭りのはじまり
いつもより少しだけ開店時間を遅らせ、居酒屋領主館がオープンした。
「うわあ!」
客たちから一斉に歓声が上がる。領主館の敷地、前庭にはズラリと屋台が並び、そこかしこに魔導ランプがフワフワと浮かんでいた。その幻想的な光景は、まるで人ならざる者に化かされて、この世ではない夜市にでも迷い込んでしまったかのようだった。
屋内に続く扉は開放され、メイドたちや孤児の給仕たちが並び控えている。
「ようこそ! 居酒屋領主館へ!」
ラルフの判断で急遽、本日は入場料金制にした。どれだけ飲んで食べても、銀貨一枚。屋台で食べてもいいし、居酒屋領主館のメニューも食べたいものは頼めばよかった。
しかし、銀貨なんて払えない平民や農民もいることを見越して、注文したその都度払いの「キャッシュ・オン・デリバリー」システムも併用した。これで、精算にかかる従業員の手間をかなり減らせるはずだ。
「押すなぁ! 押すなぁ! 順番に順番に! すぐ入れるから、慌てるなぁ!」
と、人員整理をしているのは、マクダナウェルの手下たちだ。元々は人を脅しつける仕事をしていただけに、声にドスが効いていて、客たちは大人しく従い、粗相をするような輩もあらわれない。
前庭はまるで屋台街の様相だが、中庭はさらに凄かった。ビールの樽がいくつも積まれて、そこには蛇口が取り付けられている。捻ればフレーバービールが飲み放題だ。
その中庭では、ラルフが巨大な鉄板でパエリアを焼いている。香ばしい匂いが漂い、食欲をそそる。所々にテーブルが置かれ、貴族のガーデンパーティーのような装いだ。居酒屋領主館全体が、まるでフェスティバルの会場と化していた。
広間の中心に急遽作られた簡易コンロでは、チャーハン王子こと、フレデリックが鍋を振るい、チャーハンを炒めている。
「きゃー! フレデリックさまぁ!」
「カッコいい!」
「結婚してぇ!」
熱気と興奮の中、女性客たちから黄色い声援が飛び交う。フレデリックは、汗だくになりながらも、その声援に照れながらも嬉しそうな顔で応えている。
「おっしゃぁ! できだぞ! 食え食え!」
ラルフが、パエリアを巨大なシャモジですくい上げた。
「いぇーい!」
客たちの歓声が響き渡る。
「ふぅっ! すまん。ミラ、交代してくれ」
ラルフは、額の汗を拭いながら、傍らに控えていたミラに声をかけた。
「心得た!」
女騎士は、いつもの軽鎧ではなく、腰にエプロン、頭にはバンダナを巻いた姿で、巨大シャモジを受け取った。その姿は、剣を振るう姿とはまた異なる、新たな魅力を放っていた。
するとそこへ、領兵がラルフの元へ駆けてくる。
「大変です! ラルフさま! 領内で、吟遊詩人とみられる若い女性が連れ去られる事案が発生したとの報告が!」
領兵は、息を切らしながら報告した。
「あ、その犯人、俺だ。放っておいて大丈夫」
ラルフは、あっけらかんと言い放った。領兵は「はっ?!」と間抜けな声を上げたが、ラルフは構わず続けた。
「で、こいつ被害者ね。おい、君、名前は?」
ラルフは、いつの間にか傍らに立たせていた若い女性を指差した。女性は怯えたように震えながら、小さな声で答えた。
「そ、そ、ソニアです……」
「君、さっきの歌、あの本からパクったよな?」
ラルフの言葉に、ソニアは「くひっ!!?」と、変な声を上げた。
「いや、咎めはしない。丁度いいから、そこら辺でテキトーに歌ってろ」
ラルフの指示に従い、ソニアは庭の片隅で、恐る恐る歌い始めた。
殲滅の魔導士ぃ、王子と向き合いぃ♪
終生の契を交わすぅ♪
最初は小さな歌声だったが、客たちが集まりだすと、まんざらでもない様子で、歌声にどんどん張りが出てきた。
「よし、アンナ次いくぞ」
ラルフは、新たな指示を出すべく、アンナに声をかけた。
「はい。旦那さま」
アンナは、いつものように冷静に答えた。
前庭のど真ん中には、木で組まれた特設舞台があった。急遽、ドワーフの職人たちが組んでくれたものだ。
ラルフは、物置に突っ込んであった、魔道具コレクションのうちのひとつ、マイクとスピーカーの役割を果たす物を設置していた。
「では、クレア陛下、良きようにお願いします!」
ラルフは、舞台を見上げ、クレア王妃に声をかけた。
「ふむ。テキトーに挨拶やら講釈をたれておけばよいのだな?」
クレア王妃は、舞台の上で優雅に微笑んだ。
「はい。お任せします」
ラルフが合図を送ると、クレア王妃はマイクを握りしめた。
「皆のもの、楽しんでいるようで何より!」
クレア王妃の澄んだ声が、魔導スピーカーから増幅されて、会場中に響き渡った。その声に、客たちは一斉に動きを止め、舞台に注目した。
「えっ! 王女殿下?!」
「うそだろ! クレア・バランタインさま?」
「えっ? えっ? そっくりさん?」
貴族たちも平民たちも、その場にいる誰もが、その美しくも威厳のある声の主が、本物の王妃であることに気づき、驚きの声を上げた。
ロートシュタインの夜は、まだまだ終わりそうにない。