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5.ギョーザ

「こらー! 食べ物で遊ばない!」


 ラルフの優しい怒号が、領主館の厨房に響き渡る。


 その声には、厳しさよりも、どこか楽しげな響きが混じっていた。

 部屋の中は、まさに戦場と化している。小さな子供たちは、手や顔を真っ白にして小麦粉まみれではしゃぎ回り、飛び散った粉が床やエプロンを白く染め上げている。


「ほらそこ! つまみ食いしない! 生の小麦粉団子なんて美味しくないでしょ! ぺっしなさい! ぺっ!」


 ラルフは、口いっぱいに小麦粉を詰め込もうとしている子供の口元から、慌ててそれを掻き出した。


 その隣では、年長組の子供たちが、真剣な顔つきで小麦粉を練っている。まるで粘土遊びでもしているかのような、微笑ましい光景だ。

 それでも彼らは、ラルフの指導のもと、真剣に作業に取り組んでいる。


「ホントに、旦那様って子供の扱い上手いですよね。まるで子沢山の肝っ玉母ちゃんみたいです」


 アンナが、横で呆れたような、しかしどこか感心したような表情で呟いた。彼女もまた、エプロン姿で子供たちに交じり、手を動かしている。


 彼らが今日作っているのは、餃子だ。

 ラルフが市場で見かけ、居酒屋メニューとして採用することを決めた逸品である。


 市場で小麦粉を大量に買い付け、肉は冒険者ギルドからオーク肉を特別に仕入れた。オーク肉は、この世界ではあまり食用にされないが、独特の臭みが逆に餃子の風味を引き立てるとラルフは踏んでいた。

 さらに、前世の味を再現するため、貴族のネットワークを駆使して手に入れた、この世界では珍しい香辛料の数々がテーブルに並べられている。


 今日は、居酒屋領主館オープンのための、オペレーションの確認と、そして試食会だ。


 もちろん、例の司法取引によってラルフの「奴隷」となったエヴリンも、暗い顔で参加している。彼女は、子供たちが無邪気にはしゃぐ姿を見るたびに、自分の罪の重さを再認識し、表情を曇らせていた。


 ワチャワチャと子供たちは遊んでいるように見えながらも、手際よく作業を進めていく。小麦粉を練って、小さな団子にし、それを薄く引き伸ばしていく。形は様々だが、一つ一つに子供たちの個性が光っている。


「ほらそこ! そんなにデッカイ皮作ってどうすんの?! あ、いや。一個ジャンボギョーザ作ってみるか?」


 ラルフは、あまりに大きな皮を作っている子供を見つけ、思わず声を上げた。しかし、すぐにひらめいたように、面白そうな提案をする。子供たちは、その言葉に目を輝かせた。


 そうして出来上がった、形も大きさも不揃いの餃子たちが、鉄板の上でジュージューと音を立てながら焼かれていく。香ばしい匂いが部屋中に充満し、子供たちの興奮は最高潮に達していた。


「できたぞー! これがギョーザだ!」


 ラルフが声を上げると、子供たちは一斉に歓声を上げた。

 焼き色がついた餃子を皿に盛り付け、子供たちに配っていく。熱い、熱いと騒ぎながらも、子供たちは目を輝かせて餃子を口に運んだ。


「あっ! あふっ、あふっ、あ! おいしい!」「これ、お肉の味がする!」「もっと食べたい!」


 子供たちの素直な反応に、ラルフは満足げに頷いた。オーク肉の臭みは、香辛料と野菜の甘みでうまく打ち消されている。むしろ、それが独特の風味となり、食欲をそそる。


「アンナ、君も試してみろ」


 ラルフは、アンナにも餃子を勧めた。アンナは、少し戸惑いながらも、一口食べてみる。


「……! これは……」


 アンナの顔に、驚きの色が浮かんだ。彼女は公爵家に仕える身として、これまで様々な豪華な料理を口にしてきた。しかし、この簡素な見た目の料理が、これほどまでに奥深く、そして食べ飽きない味だとは想像していなかっただろう。


「美味いでしょう? このタレがまたキモでね」


 ラルフは、特製のタレを指差してニヤリと笑った。醤油がないため、魚醤とハーブ、そして魔法薬学で生成したわずかな酸味を調合したものだ。


「これなら、きっと、いえ、絶対にお客様にも喜んでいただけます」


 アンナの言葉に、ラルフは大きく頷いた。

その横で、エヴリンは黙々と餃子を食べていた。彼女の顔には、まだ暗い影が落ちている。しかし、その手は止まっていない。そして、ラルフは、彼女が餃子を食べるたびに、ほんのわずかだが、目元が緩んでいることに気づいた。


「エヴリン、どうだ? この餃子、売れると思うか?」

ラルフが問いかけると、メリッサはハッと顔を上げた。


「……はい。これは、生まれてはじめて食べた、味です。きっと、皆様に喜ばれるかと……」


 彼女の声には、以前のような怯えは消え、どこか冷静な響きがあった。


「よし。じゃあ、孤児院の子供たちには、この餃子の皮作りと、餡の仕込みを手伝ってもらおう。もちろん、それ相応の賃金は払う。日中、孤児院の生活に支障が出ない範囲でな」


 ラルフは、エヴリンに目を向けながら言った。彼女の顔に、驚きと戸惑いが入り混じった表情が浮かぶ。罪を犯した自分たちが、公爵家の仕事を手伝い、賃金までもらえるというのか。


「お前たちが稼いだ金は、まず孤児院の修繕費に回す。そして、子供たちの衣食住の改善。その後、余剰が出れば、お前たちの将来のために貯蓄してもいい」


ラルフの言葉に、エヴリンの目に、初めて希望の光が宿った。彼女の心に、くすぶっていた良心が、ゆっくりと燃え上がり始める。


「ただし、だ」


 ラルフは、一転して厳しい顔つきになった。


「僕を裏切ったら、どうなるか、よくわかってるな? 次はない。次こそは、本当に縛り首だ」


 エヴリンは、ごくりと喉を鳴らし、深く頭を下げた。ラルフの言葉に、彼女の心は完全に支配された。彼を裏切れば、自分だけでなく、子供たちもまた、その報いを受けることになる。そして、何よりも、ジェイクのことだ。もし、彼との関係が表沙汰になれば、彼自身の俳優生命にも関わる。

 ラルフは、エヴリンの覚悟を確認すると、再び満面の笑みを浮かべた。


「さて、次はフライドチキンだな! 骨付き肉を大量に仕入れるぞ!」


 子供たちの歓声が、再び部屋中に響き渡る。その中心で、ラルフは楽しそうに指揮を執っていた。まるで、彼自身が一番子供のように。


 居酒屋領主館のオープンに向けて、準備は着々と進んでいく。そして、その裏では、若き領主の思惑と、それによって運命を変えられた人々の物語が、静かに紡がれていくのだった。

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