45.ロートシュタイン領は今日も平和です
「うぉりゃあああ!」
「ふっ! まだまだね? 騎士ミラ・カーライル」
王妃クレア・バランタインが木剣を振るうと、ミラの木剣が吹き飛ぶ。
あの晩餐会から一ヶ月が経った。そして、何故か王妃とミラの稽古は、居酒屋領主館の庭で日常的に繰り広げられていた。
「で、あの二人は何してるんだ?」
ラルフが呆れたように尋ねると、アンナは慣れた様子で答えた。
「訓練でございます。旦那様。居酒屋が開店するまでの待ち時間を、有効に使ってるとか」
あの晩餐会を境に、ロートシュタイン領は、予期せぬ変化に見舞われた。領地を持たない一代限りの子爵や魔法爵といった貴族たちが、続々とロートシュタイン領へと引っ越してきたのだ。
お飾りの爵位で、実務もなく僅かな給金しか貰っていない彼らは、特に王都に愛着も実益もないようだった。
彼らは、王都の堅苦しい生活に辟易し、ロートシュタイン領の自由な空気と、居酒屋領主館の料理に魅了されたらしい。
そこで問題となりそうなのが、住宅不足だったが、彼らは普通に宿屋に泊まり、冒険者の真似事をして日銭を稼いでいる。
なんでも、ヒューズとかいう冒険者が、グルメギルド出版から、
「野営のススメ〜魔獣を獲って喰らう方法〜」という書籍を発売したそうで、それに憧れを抱いて、ラルフの前世でいうところの、アウトドアを満喫しているのだという。
「ヒューズ? 誰だそいつは?」
ラルフは首を傾げたが、よくよく考えれば、それは彼の飲み友達のヒューズのことだった。いつの間にか本まで出版していたらしい。
クレア王妃は、相変わらず領主館の一室で寝泊まりし、気が向けば領兵やミラに稽古を付け、普通に居酒屋の手伝いもしている。
そして何より、獣人たちを愛でることに余念がない。
いつか王城へ帰った暁には獣人のメイドを雇いたいとか、親のない獣人を保護したい! とか、社会福祉なのか己の欲望なのか、判別のつかないささやかな夢を語っている。
時々、場違いな悲鳴が領主館に響き渡ることもある。
「何なのニャー! あんた?! アタイはこれでもAランク冒険者なのニャー?!」
クレア王妃は、孤児の獣人を保護したいらしいが、どうやら凄腕の獣人冒険者を間違えて追い回してしまっているようだ。獣人の年齢は、人間にとって見た目では分かりにくかったりするから仕方がない、とラルフは半ば諦めていた。
まあ、そんな賑やかな日々を過ごしていたある日のこと。
一人の就職希望者が、居酒屋領主館の門を叩いた。
門番の報告を聞いたラルフは、驚きに目を見開いた。
執務室に通されたその青年は、真剣な顔でラルフの前に立っていた。名前はフレデリック・バランタイン。
「うん。君、第八王子さまだよね?」
ラルフが問いかけると、青年は頷いた。
「もう、王籍は抜けるつもりです」
フレデリックは、真剣な顔で言った。その決意の固さに、ラルフは少しばかり感銘を受けた。
「お母様を追ってきたの?」
ラルフがそう尋ねると、フレデリックは首を横に振った。
「そういうわけではありません。あの晩餐会の日。私は決意しました。王族というお飾りとしてではなく、一人の力で生きねば、と」
なんでも、第八王子ともなると王位継承権は望み薄。ならば、王族という肩書に甘んじるのではなく、何かしらスキルを磨き、一人で商売でもしてみたいと考えるようになったらしい。
そして、ラルフの自由に生きる姿に感化され、ここまで一人でやって来たのだという。
「あー、うん。わかった。なんか、凄いわかった。で、何がしたい?」
ラルフは、フレデリックの壮大な決意表明を、適当に受け流すように尋ねた。
「チャーハン! あの、チャーハンという至高の料理が作れるようになりたいのです!」
フレデリックの言葉に、ラルフの目が輝いた。まさか、そんな答えが返ってくるとは思わなかった。
「わかった。フレデリック。君には、チャーハンの作り方を教えよう!そして、 今日からひたすらにチャーハンを作り給え!」
ラルフは、フレデリックの熱意に応えるように、力強く宣言した。こうして、ロートシュタイン領の賑やかな日常に、また新たな騒動の種が蒔かれたのだった。




