44.帰るまでが、なんとやら
王城の晩餐会を終え、ラルフは疲れた様子で魔導車へと向かっていた。
「帰るぞー」
どこか張り詰めていた気が緩んだのか、その声には疲労がにじんでいた。アンナが、そんなラルフに尋ねる。
「旦那様、王妃陛下と懇意にされていたのですか?」
「まあ、ミハエルを通じて、学生の時に開発した石鹸と香油を卸していてな。今は、ジョン・ポール商会に委託してるが」
アンナは、時々決算書類の中にあるジョン・ポール商会の名前を思い出した。大規模な商会だが、特に気にするような繋がりではないと感じ、それ以上は気にしなかった。
「はぁ、やっぱり、晩餐会なんざぁ。慣れないな!」
ラルフは、そう言いながら、散らばった調理器具の入った箱を、せっせと魔導車に積んでいく。
「旦那様、かなり楽しんでらしたように見えましたが?」
アンナが、先ほどの国王や王妃とのやり取りを思い出し、クスリと笑った。
「まあ、とにかく! 帰ろ帰ろ。僕には、下賤な居酒屋の方がお似合いなのさ」
ラルフは、そう言って、魔導車の客席のドアを開けた。
すると。
「お疲れのようね? ラルフ・ドーソン公爵」
魔導車の客席には、クレア・バランタイン王妃が優雅に腰掛け、膝の上にハルを抱えていた。ラルフは、その光景に呆然とし、思わず尻もちをついた。
「陛下ぁ?」
ラルフの声は、完全に上ずっていた。
「私、しばらくロートシュタイン領でお世話になるわ!」
王妃は、にこやかに微笑んだ。ラルフは、状況が飲み込めず、慌てて抗議する。
「いやいやいや! 王族を迎える準備など、我が領地には!」
「公務はしばらくないし、"あの人"の許可は取ったしね!」
王妃は、悪戯っぽくウインクをした。あの人とは、国王のことだろう。ラルフは、さらに顔色を悪くした。国王の許可を得ているということは、これはもう覆せない既成事実だ。
「いや。あのー。本当に、我が領地には、陛下を迎える準備が……」
ラルフは、言葉を詰まらせた。王族を受け入れるための特別な施設や人員、警備体制など、考えるだけでも頭が痛くなる。
「私、元は騎士爵の出ですのよ! 野営などの経験もあります。屋根と夜露をしのげれば、あまり贅沢は言いません」
王妃は、意外な言葉を口にした。その気品ある佇まいからは想像できない発言だった。
「あっ、はい」
ラルフは、もはや反論の言葉を見つけられなかった。
「それに、ハルちゃんとミンネちゃんと離れたくないし。それに、あの魅惑の料理の数々、貴方の領地では、毎日食べられるそうじゃありませんか?」
王妃は、膝の上のハルを優しく撫でながら、満足げに言った。ハルも、王妃の腕の中で、すっかりくつろいでいる。
「まあー、はい。そーですねー」
ラルフは、苦笑いするしかなかった。王妃のロートシュタイン領滞在は、この日、半ば強引に決定したのだった。ラルフの「下賤な居酒屋」生活は、どうやら、再び波乱に満ちたものになりそうだ。