434.国王陛下のラーメン②
「待たせたな。心して食すがいい。我が叡智と、魔獣の命の輝きが結晶した一品だ」
重厚な響きを伴って、ミラ・カーライルの眼前に、その「究極のラーメン」が着丼した。
ミラの視界に飛び込んできたのは、驚くほどに透き通った琥珀色の液体。立ち昇る湯気は濃厚極まりない香りを放っているのに、スープの表面には雑味ひとつ浮いていない。
「むむ……。これほど重厚な芳香を湛えながら、これほどに透き通るスープ……。具材は、厚切りのチャーシューと青ネギのみ、ですか」
ミラの瞳が、戦場を俯瞰する指揮官のような冷徹さで丼の構成を射抜く。
「ああ。追加トッピングなどという甘えは許さん。味を変えたければ、そこにある黒胡椒を振るがいい。それが儂の流儀だ」
ウラデュウスは腕を組み、仁王立ちでミラを見下ろしている。
その威圧感は、もはや屋台の親父というよりは、やはり王のそれであった。
「では……まずは、そのスープから、検分させていただきます」
ミラは陶器のレンゲを手に取り、黄金の液体をひと掬いした。慎重に、かつ熱心にフーフーと息を吹きかけ、獲物を狙う鷹のようにその味を確かめる。
――スドンッ!!!
まるで、攻城兵器が発射されたような衝撃が弾けた。
頭部を粉砕され、意識の奥底まで突き抜けるような暴力的な旨味。
魔獣たちの生命力が、神経系を逆流して脳髄を直接揺さぶってくる。
「……あ、あぁ……、あ……」
理解の範疇を超えた美味。ミラはワナワナと震え、誇り高き騎士としての言語能力を一時的に喪失した。
ただ、魂の叫びが喉の奥で震えている。
「どうだ? 美味いだろう!!」
国王は勝利を確信した笑みを浮かべ、屋台店主に相応しくないほどの傲慢さで問いかけた。
だが、ミラは答えない。
答える代わりに、彼女は猛然と麺をすすり始めた。
「ズゾォォォォォォォォォォッ!!!」
夜の静寂を切り裂く、凄まじい吸引音。
その一心不乱な姿こそが、いかなる賛辞よりも雄弁にその美味を物語っていた。
国王と宰相ニコラウスは、互いに満足げな頷きを交わす。
その熱狂は、周囲で様子を窺っていた人々にも瞬時に伝播した。
「お、おい……。ミラさんがあんなに夢中になるなんて、ただ事じゃないぞ」
「俺、もう我慢できねぇ……。すいませーん! 俺にも一杯!」
「こっち、大盛りでお願いします!」
堰を切ったようにオーダーが飛び込み始めた。
口コミという名の、ロートシュタイン領特有の超高速情報ネットワークが夜の闇を駆け抜ける。
「あっ! 本当に偉そうなオッチャンが、汗だくで屋台やってるっすよ!」
「コラッ、ジュリ! 国王陛下に対してその呼び方やめなさいって言ってんでしょ!」
「ふむ、敵情視察も重要なマーケティング戦略の一環だね。……ところで、すごくいい匂いなんだけど」
ロートシュタインが誇る『ポンコツ三人娘』も、野次馬根性に火をつけて姿を現した。
またたく間に、屋台街の一角は『ウラちゃんラーメン』の魔力に取り憑かれた民衆の喧騒に支配されていく。
「うわ……何これ、美味すぎでしょ……」
「ズルズル……ああ、ダメだこれ、人を駄目にする味だ……」
次々と麺を寸胴へ投入し、汗を流しながら丼を捌く国王と宰相。
昨晩の特訓で練り上げたオペレーションは、もはや熟練の職人そのものの無駄のなさだ。
しかし、その絶頂の最中、不意に空気が変わった。
「ころすぞぉぉぉぉぉ! ……はい、ということでね。噂の『ウラちゃんラーメン』、抜き打ちチェックに来ましたよ」
呼ばれてもいないのに、台風の目――ラルフ・ドーソンが降臨した。
前世のYouTuberを彷彿とさせる意味不明な挨拶だが、ロートシュタインの民は「またラルフ様の奇行か」と、もはや気にする素振りも見せない。
「ラルフ。……貴様、絶対に来ると思っていたぞ」
国王は、呆れと期待が混ざったような溜息を漏らす。
「そりゃあねー。僕を差し置いて物語が進んじゃうなんて、メタ的に納得いかないっすよー」
肩をすくめて軽口を叩く若き公爵。
「相変わらず意味のわからん男だ。……貴様も一杯食うのだな? 覚悟しろよ。"食の伝道師"にして、"殲滅の魔導士"。儂の『答え』に平伏すがいい!」
国王は、宿敵に剣を向けるような鋭い視線でラルフを睨んだ。
「まあ、お手柔らかに……。僕は並でお願いします」
「待っておれ。最高の一杯をくれてやる!」
食べ終えた冒険者が「領主様、ここ使ってください」と、敬意(と面白がっている視線)を込めて席を譲った。
屋台の周囲では、樽をテーブル代わりにラーメンを啜っていた人々が、今まさに始まらんとする『国王vs公爵』の頂上決戦を固唾を飲んで見守っていた。
しばらくして、黄金のスープが注がれた丼が供される。
「ふん! これが儂の究極のラーメンだ! 美味すぎて魂が抜けても知らんぞ!」
極度の興奮と疲労からか、国王の言葉遣いも荒々しく、だが情熱に満ちていた。
ラルフは静かに手を合わせ、
「いただきます……」
そう呟くと、迷いなく箸を進めた。
周囲の喧騒が遠のき、時間が静止したかのような錯覚。
国王も、宰相も、そして観衆も、ラルフの表情に浮かぶ「審判」の一言を待っていた。
ラルフは淡々と、しかし確実に食べ進めていく。
驚愕の叫びも、感動の涙もない。
ただ、時折チャーシューを咀嚼しながら、屋台の奥で静かに、だが熱く煮え続ける寸胴の中身を鋭い目で見つめていた。
やがて、最後の一滴までスープを飲み干したラルフは、静かに丼を置いた。
「ど、どうだ……!? 文句なしに美味いだろう!」
国王が身を乗り出し、期待に満ちた目で問いかける。
「うん……。美味い。とんでもなく美味しいですよ、これ」
ラルフは懐から銅貨二枚を取り出し、カウンターに置いた。そして、何事もなかったかのように立ち上がる。
「……でも。これは、無理かな〜」
「は!? おい、待て! どういうことだ!? 何が『無理』だというのだ!」
激昂する国王の声を背に、ラルフは夜の闇を見つめて言葉を継いだ。
「趣味として究めるなら、最高。でも、商売として続けるなら、今すぐやめるべきだと進言します。……じゃ、おやすみなさい」
「おい! 貴様、何が言いたい! はっきり申せ! さては嫉妬だな? 儂が自分より美味いものを作ったから、負け惜しみを言っているんだろ!」
国王の咆哮が響くが、ラルフはヒラヒラと手を振り、どこか不吉な余韻を残したまま雑踏へと消えていった。
――翌朝。
静寂に包まれた離宮の書斎にて、一通の帳簿を前にして、国王の素っ頓狂な叫びが響き渡った。
「…………は? どういうことだ? あれだけ行列ができて、完売したのだぞ。なのに、残ったのはこの……銅貨一枚だと!?」
目の前に置かれたのは、鈍い光を放つ、たった一枚の薄汚れた銅貨。
宰相ニコラウスは、寝不足で隈の浮いた額を押さえながら、重い口を開いた。
「……私も失念しておりましたよ。『原価率』という名の魔物の存在をね」
「どういうことだ、説明しろ!」
「陛下……。ラルフ・ドーソン卿の予測は、残酷なまでに正確でした。陛下のラーメンは確かに極上ですが、ビジネスモデルとしては初歩的な段階で破綻しています。シーサーペント、クラーケン、ベヒーモス……。こだわり抜いた最高級食材という『変動費』が、販売価格という『売上』をほぼ食い潰していたのです。昨晩の総売上から、それらの仕入れ値、屋台の薪代、広場の占有許可料、そして輸送費を差し引いた営業純利益が……コレです」
国王は絶句した。
徹夜の仕込み、立ちっぱなしの労働、そして何より込めた情熱。
それらすべてを注ぎ込み、民の笑顔を勝ち取った結果が、市場という冷徹な計算機によって「銅貨一枚」という端金に変換されたという事実。
これが資本主義の洗礼であり、付加価値という概念の残酷さであった。
「……これだけか? 儂は、あんなにクタクタになるまで働いたのに……」
「まあ、初陣にしては『赤字』を出さなかっただけ、奇跡的と言えるでしょう。その銅貨、記念にとっておかれては? 王権を脱ぎ捨て、一人の労働者として市場から初めて勝ち取った、血の滲むような利益ですよ……」
ニコラウスは優雅に一礼したが、その口角には隠しきれない皮肉が滲んでいた。
「むぅ……。民たちは、毎日これほど厳しい薄氷の上を歩むような思いで生きているのか……」
国王は、世界を見る目が少しだけ変わったのを感じていた。
「あ、そうそう。失念しておりました。陛下、その銅貨、所得税および営業税として徴収いたしますね」
ニコラウスは、吸い寄せられるような手つきで、国王の手のひらから銅貨をヒョイと取り上げた。
「えっ、は……? 待て! それ一枚しかないと言っただろう!」
「当然の義務ですよ、陛下。商売を営み、収益が発生した以上、法の下に等しく課されるコストです。これがないと、王宮の維持も、陛下の大好きな居酒屋に通う為の街道整備も、できないのですから」
当然のように言い放つ宰相に、国王は呆然と問い返す。
「嘘だろう……!? 利益をこれほど削り取られて、民はどうやって次の一杯を作るのだ!?」
「……ですから、民は『創意工夫』を止めないのです。仕入れを共通化してコストを下げ、回転率を上げ、無駄な端材すら使い切る。コンマ数パーセントの削り込みを積み重ね、税という重力に抗って、ようやく『明日の希望』を残すのです。陛下のように、最高級の食材を湯水のように使っていては、一晩で倒産ですよ」
「えぇぇぇ〜、みんな、すごーい! 税制、廃止しようかな〜」
あまりのショックに、知能指数が急落したような発言を漏らす国王。
「やってみなさい。一週間でこの国が滅びますから」
「ぐっ……!」
商売という戦場で戦う民たちへの、純粋な敬意と、そして自分たちの不甲斐なさ。
二人は謎の敗北感に打ちひしがれていた。
「……やはり、ラルフには、勝てないのか?」
「まあ、そういうことになりますね……」
だが、その沈鬱な空気を切り裂く、艶やかな声が響いた。
「ふーん……。ずいぶん楽しそうなことをしてらっしゃるわね、お二人さん?」
「「げっ?!」」
そこには、麗しきクレア王妃が、各国の貴婦人たちを従えて立っていた。
その瞳には、子供の悪戯を見つけた母親のような、恐ろしくも美しい光が宿っている。
「最高級の食材を、たった二枚の銅貨で売るなんて……。私の旦那様は、商売の"いろは"が全くなっておりませんようね……」
――それから一ヶ月後。
王都の一等地に、贅を尽くした内装の超高級菓子店『クイーンズ・オブ・ザ・シュガー・エイジ』が華々しくオープンした。
そこでは、一切れのケーキが金貨数枚という、庶民には一生縁のない価格で飛ぶように売れていたという。
『商売の真髄は、情熱ではなく"付加価値"にあり』
と、王都に潜伏していた逃亡者カイリーが、メモ帳に書き記した。




