42.国王は食らう
水を打ったように静まり返る晩餐会の会場。国王ウラデュウス・フォン・バランタインの登場は、その場のすべての空気を凍り付かせた。料理を配膳していたメイドたちはその場でひざまずき、そこにいるすべての貴族たちが最敬礼の姿勢を取った。
さすがのラルフも、こればかりは倣わざるを得ない。
「よい! 全員なおれ!」
ウラデュウス国王の声が響き、皆がゆっくりと立ち上がった。
「で、ミハエル? 何の騒ぎか? 王族が主催する晩餐会にしては、ちと品位に欠けるような振る舞いが見られたが?」
国王の視線がミハエル王子に向けられた。ミハエル王子は、一瞬たじろぎながらも、意を決して進み出た。
「失礼ながら、父上。父上もどうか、この未知の料理達を食べてみて下さいませ」
ミハエル王子は、テーブルに並べられた料理の一つを指し示した。国王は、眉をひそめながら、その料理の方へ視線を移す。
「ふん! このような下賤な料理など、な、ど?」
そう言い放ちながら、国王の目が、テーブルの上の、湯気を上げる一杯のラーメンに釘付けになった。何故か目が奪われて、仕方がない。その香りに、無意識のうちに引き寄せられているかのようだった。
「ふん!」
国王は、フォークを握り、そのドンブリを持ち上げた。その時、後ろに控えていた数人の貴族たちが、慌てたように進み出た。
「陛下お辞め下さい!」
「お毒見をしてない食べ物には……」
彼らの言葉を遮るように、国王は豪胆に言い放った。
「黙れ! 仮に私が死んでも、すでに跡継ぎは九人も拵えたのだ。なんとでもなる!」
「へ、陛下?!」
お毒見役の貴族たちは、顔を青ざめさせた。国王は、構わずフォークに麺をクルクルと巻きつけ、がふりっ、と口にした。
そして、その顔つきが、一瞬にして変わった。
「……温かい、塩辛い。美味い、美味いぞ、これは美味いぞー!」
普段、何人ものお毒見役を経て回ってくる、冷め切った料理しか口にしていなかった国王は、その舌に伝わる温かさに心が震えた。それは、単なる味覚を超えた、幼い頃の温かい記憶を呼び覚ますような感覚だったのかもしれない。
「おい、俺たちも食べてみようぜ!」
後ろに控えていた、王子たちの一人が、思わず声を上げた。
「ならん! お前たちは食べることは許さん。もし本当に毒が仕込んであったらどうするのだ? 私が死んでも、お前たちが残らねばならんだろ」
そう言い放ちながら、国王はズズズーっとドンブリに直接口を付け、スープをすする。その姿は、まるで街角の庶民が汁物をすすっているかのようだった。
「そ、そんなご無体な!」
「毒が仕込んであったら、ここにいる全員が助からないでしょうに!」
毒見役の貴族たちが、さらに狼狽する。
「ぷはぁー! そうなったら。この王国のほとんどの貴族が死に絶えるな。よかったな! 統治が楽になるではないか? ガッハッハ!」
国王は豪快に笑い飛ばした。貴族たちは、そのあまりの奔放さに、ただ呆然とするばかりだ。
「ミハエルは食ってるじゃねーか?!」
「そうだそうだ!」
他の王子たちから不満の声が上がったが、国王は聞く耳を持たない。
「皆のもの! 好きに食うがいい! どうやら、この料理達は、熱いうちが花のようだからな!」
国王のその言葉に、再び喧騒が会場を取り戻した。貴族たちは、国王がこれほどまでに絶賛する料理に、好奇心を抑えきれなくなったようだ。
「ドーソン公爵」
国王に呼ばれ、ラルフは平然と前に進み出た。
「はっ! 陛下におかれましては。ますますご創建なようで……」
ラルフは、形式通りの軽妙な口上で挨拶した。
「堅苦しいのはよいわ。お前の本性はわかっておる。ミハエルの学友だそうだな。話は聞いているぞ」
国王の言葉に、ラルフは苦笑いした。学友というより、悪友なのだ。
「はい。私の領地名物、お気に召したようで何よりです」
「ふん! 近々、少し話そう。このような場ではなく、もう少し静かな場所で。できれば二人きりでな」
その言葉に、ラルフの額に良くない汗が滲んだ。国王との二人きりの会談。一体何を話されるのだろうか。
その時、会場の入り口から、凛とした声が響いた。
「ラルフ・ドーソン公爵。お久しぶりね」
その声の主は、王妃、クレア・バランタインだった。彼女の登場に、会場は再び静まり返る。ラルフの顔に、新たな困惑の色が浮かんだ。王妃の登場は、この晩餐会を、さらに複雑なものにする予感がした。