395.世紀末なリクルーティング
共和国の東端。
そこは、地図の上では塗りつぶされるのを忘れられたかのような、乾いた不毛の大地だった。
風が吹くたびに視界を白く染める砂塵。
その合間に、薄汚れて破れた布や枯れ草を急ごしらえで繋ぎ合わせた、粗末な天幕がいくつも力なく立ち並んでいる。
――難民キャンプ。
そこに身を寄せるのは、かつて大国「共和国」に飲み込まれ、消滅したヤフニール国の遺民たちだ。
先の戦争において徴兵を拒んだ者、あるいは戦争という不条理に声を上げた者。つまり、共和国の「正義」に順応できず、切り捨てられた者たちとその家族が、この痩せ細った土地にへばりつくようにして生きていた。
彼らは日々、石混じりの土を掘り返して痩せた芋を育て、たまに通りかかる行商人から施しを受けることで、細い糸を繋ぐようにして命を保っている。
いつか、この死んだ砂地を肥沃な大地に変え、ここに根を下ろして笑える日が来るかもしれない。
そんな、熱に浮かされた幻想にも等しい「一縷の希望」だけを唯一の糧に、彼らは今日という一日をやり過ごしてきた。
この日も、そんな、いつもと変わらない、一日になるはずだった。
「父ちゃん、母ちゃん。俺、また川の様子を見てくるよ。もしかしたら、魚が戻ってきてるかもしれないだろ?」
まだ幼い少年が、綻びだらけの天幕を振り返って明るく声を出す。
「もっと大きなお芋が掘れたら、あの行商のおじさんも、きっとたくさんお薬をくれるよね……」
猫の額ほどの家庭菜園で、震える手で小さな芋を見つめる少女。
この地にいるのは、大人たちだけではない。
まだ幼い彼らもまた、今日を生き延び、明日への希望を繋ぎ止めるために、その小さな命を削るようにして必死に生きていた。
その時だった――。
地平線の彼方から、巨大な壁を思わせる凄まじい砂埃が巻き上がった。
「な、なんだ……? 砂嵐か?」
痩せこけた青年が、額に手をかざして立ち上がる。
「い、いや違う! あれを見ろ! 魔導兵器だ!!」
視力の良い狩人の男が、喉を引き裂かんばかりの悲鳴を上げた。
「なんだと!? 共和国の奴ら、今さら俺たちを根絶やしにするつもりか!」
「なんでだよ! 俺たちが何をしたって言うんだ!」
「クソッ、逃げろ! みんな逃げるんだ!」
静寂は一瞬で崩れ去り、キャンプは阿鼻叫喚のパニックに包まれた。
だが、その喧騒の中心で、長老だけがすべてを悟ったように、力なく地面に腰を下ろした。
「ああ……終わりじゃ。ここで、すべてが……」
「長老、何を言ってるんです! 早くみんなを逃がさないと!」
「逃げる? どこへじゃ? この平原で、隠れる場所もないこんな場所で、魔導兵器から逃げ切れるとでも思っておるのか?」
その言葉が、残酷なまでに真実であることを誰もが理解していた。
ただ、認めたくなかっただけだ。
地平線の向こうから迫る異形の軍勢が、急速にその輪郭をあらわにしていく。
その「魔導兵装」と思われたモノは、明らかにこれまでの常識を逸脱していた。
巨大な四角い鉄の塊。
それが、あり得ないほどの速度で、大地を揺らしながら突き進んでくる。
さらに絶望的なのは、その数だった。
地平線を埋め尽くすような大軍。
天を仰げば、鋭い翼を広げた翼竜が舞い、地上では地竜が土煙を上げて疾走している。
見たこともない巨大な鉄塊は、魔獣の咆哮にも似た重低音を響かせ、こちらへ向かってくる。
そして、その一団の先頭を走る、白い「馬無し馬車」の鼻先には、目を覆いたくなるほどの――凄惨な光景があった。
車両の前方。
本来ならエンブレムが飾られるはずの場所に、十字の拘束具が備え付けられている。
そしてそこには、なんと生身の人間が、磔のように括り付けられていたのだ。
「――人間の盾だ……」
誰かが震える声で呟いた。
噂には聞いたことがある。
敵の戦意を挫くために、生きた人間を装甲代わりに使うという非人道的な戦術。だが、そんな狂気が現実に存在し、あろうことか目の前に迫っている。その事実に、難民たちは腰を抜かした。
しかし、死を目前にした彼らの耳に届いたのは、意外なほど威勢のいい「叫び声」だった。
「おい! テメェらー! いくらなんでも、これはやり過ぎだろっ!? 人権って言葉、知ってるかー!?」
よく見れば、拘束されている若い男は、砂塵にまみれてはいるものの、驚くほど豪華な貴族の装いをしていた。
「自業自得よ! 自分の罪を数えなさい! この『自己中エゴイスト領主』がぁぁぁ!」
灰色の巨躯を誇るワイバーンの背から、金髪ツインテールの少女が容赦のない怒声を浴びせる。彼女もまた、戦場には不釣り合いなほど気品に満ちた姿をしていた。
「お前なぁ! 奴隷なら奴隷らしく、主人である僕を敬えよ! 主人を盾にして突撃する奴がどこにいる! 僕を、助けろォォォォォォォォ!」
……どう見ても、その「人間の盾」は健康だし、元気そのものだった。
その一団は、難民たちの目の前まで来ると、耳を劈くような排気音を立てて停止した。
先頭車両「ハイバックス」の運転席から、ファウスティン・ド・ノアレイン公爵が降り立つ。
彼は、バン! と面倒くさそうにドアを閉めると、無表情のまま車両の先端へと歩み寄った。
「酷くないっすか〜? まさか、ファウストさんまで僕を裏切るなんて、世も末ですよ……」
括り付けられた若者――ラルフが、恨みがましい声を上げる。
「はぁ……。先に抜け駆けしようとしたのはどこのどいつだ? お前なぁ、王国貴族としての自覚はあるのか? 持ちつ持たれつ、譲り合いの精神だろう。しかも、自分の領民まで出し抜こうとするとは、救いようがなさ過ぎだろ」
ファウスティンは吐き捨てるように言うと、ラルフの拘束を解いた。
解放されたラルフは「ぶへっ!」と情けない声を上げ、潰れたカエルのように砂地へ顔面からダイブする。
だが、彼は次の瞬間にはムクリと起き上がり、鼻に入った砂を吐き出しながら叫んだ。
「一応、僕、主人公ですからね!? こんな目に遭わせて、読者の皆さまが黙ってると思ってんすか!? またコメント欄が荒れますよ!?」
「はぁ? 安心しろ。あの伝説的な世紀末映画のリブート版でも、主人公は全く同じポジションだったぞ」
「あれさぁ! 僕も劇場で観て、ちょっと笑っちゃいましたからね! 『はぁ!? 主人公そこかよ!? ボボボーボ・ボーボボの第1話じゃねーかよ!』って、心の中で全力でツッコミましたからね!」
「ククッ……そうか。お前も無事に、歴史ある主人公の座を引き継いだわけだ。よかったな!」
ファウスティンは、どこか楽しそうに口角を上げた。
すると、後続の魔導車から、ただならぬ威厳を湛えた人物が姿を現した。
「まーた、わけのわからん悶着をしてるなぁ……。ラルフよ、さっさと本題に入れ。皆、困っておるではないか」
その言葉通り、難民たちは、心底「困って」いた。
死を覚悟した最悪の襲撃。
だが目の前で展開されているのは、血生臭い虐殺などではなく、理解不能な漫才のような応酬なのだ。
やがて、盾にされていた若者――ラルフは、手慣れた様子でローブの砂を払うと、コホンと一つ咳払いをし、姿勢を正した。
「あー、皆さま! 我々は、王国のロートシュタイン領から参りました。……単刀直入に言います! 是非、皆さま。我が領に来て、一緒に働きませんか?」
難民たちは、ただキョロキョロと顔を見合わせるしかない。
沈黙が大地を支配する。
「ラルフっ!」
金髪ツインテールの少女が、ワイバーンの背から飛び降りるなり、ラルフの脇腹に鋭い肘打ちを食らわせた。
「ぐふっ! あ、ああ……そうだった。えー、申し遅れました! わたくし、ロートシュタイン領主にして、一応は公爵! そして――居酒屋領主館オーナーの、ラルフ・ドーソンでーす!」
ラルフは両手を広げ、太陽を背に堂々と自己紹介した。
しかし、難民たちの心に去来したのは、感動でも安堵でもなかった。
(わけが、わからな過ぎる……)
あまりにも情報量が多すぎて、感情の処理が追いつかず、ただただ無表情になるしかなかったのだ。
(というか……なんで。なんで公爵が、縛られてたんだ……?)
広大な荒野。
熱烈な勧誘を叫ぶ「自称・公爵」の領主と、困惑のあまり石化した難民たちの間に、ただ、乾いた風だけが虚しく吹き抜けていった。




