39.面倒な招待状
執務室。ラルフは、目の前に立つシスター・エヴリンに告げた。
「シスター・エヴリン。君は本日付けで、奴隷契約から解放する。まあ、だからと言って、何もすることは変わらないが。悔い改めたことだろうし、過去のことはもうほじくり返さない。気兼ねなく生きればいい」
エヴリンは、信じられないといった様子でラルフを見つめた。
「あ、あ。ありがとうございます!」
彼女の声は震えていた。長年抱えていた罪悪感と、奴隷という身分からの解放に、感極まっているようだった。
彼女を退室させる。
「よろしいのですか?」
アンナが、心配そうに尋ねた。エヴリンは、かつて孤児院の資金を横領していた張本人だ。
「構わんだろ。彼女が横領した額くらいは稼いだんじゃないか? それに、いつまでもこの契約書保管しとくのも面倒くさいし」
ラルフは、そう言って手に持った奴隷契約書にふうっと息を吹きかけた。すると、契約書は瞬時に燃え上がり、灰となって消えた。相変わらず魔法の手際は天才的だと、アンナは感心するより呆れてしまう。ラルフの思い切りの良さは、時に周囲を驚かせる。
「さーて。マクダナウェルも稼いでるみたいだし。この株券も、マクダナウェルに買い取ってもらえ。そのくらいは稼いだんじゃないか?」
ラルフは、株式会社マクダナウェル・バーガーの株券を手に取り、アンナに渡した。
「えっ? もう売ってしまわれるのですか?」
アンナは、驚きに目を見開いた。あれほど大規模なビジネスを立ち上げたというのに、もう手放すというのか。
「こちらもじゅうぶんに稼いだし、これ以上は面倒くさいじゃん」
ラルフの事務処理能力の高さの一つは、余計な書類を持たないことだ。その思い切りのよさも、この領地経営に活きている。
ラルフは、あまり富の集中を良しとしないように、アンナの目には見えていた。
しかし、彼がコレクションと呼ぶ、物置部屋に突っ込まれている、いつ何に使うのか不明な魔道具や武器の収集癖に関しては、小言の一つも言いたくはなる。
「そういえば。王家から晩餐会の招待状が届いてましたよ」
アンナが、積み重ねられた書類の中から、一枚の招待状を取り出した。
「はぁ、今回も欠席じゃあダメかなぁ?」
ラルフは、心底うんざりしたようにため息をついた。王城の晩餐会は、貴族社会のしがらみや、退屈な挨拶ばかりで、彼にとっては苦痛以外の何物でもない。
「そろそろ一度くらい顔を出した方がよろしいかと」
アンナが、真面目な顔で勧める。
「そうだよねぇ。独り身だと、なんか浮くんだよなぁ」
ラルフは、遠い目をして呟いた。
「だから! 早く婚姻なさって下さいと! 縁談はかなりの数が来ているじゃないですか?」
アンナは珍しく顔を赤くして激昂した。ラルフの縁談は、日夜、アンナの元に山のように届いている。
「わかったわかった! それは追々な。おいエリカ?!」
ラルフが声をかけると、執務室のソファでうたた寝をしていたエリカが、「フガッ?」と間の抜けた声を上げた。
「王城の晩餐会、お前も行きたいか?」
「ムニャムニャ、いけるわけないでしょ。皆あたしが婚約破棄されて奴隷落ちしたの知ってるし……」
エリカは、寝ぼけ眼でそう言った。
「そういうところは弁えてるんだな? じゃあ、アンナがドレス着て、俺の隣にいてくれよ」
ラルフは、冗談めかしてアンナに言った。
「できるわけないじゃないですか! 何をお考えになっているんです!」
アンナは、さらに顔を赤くして激昂した。その姿は、いつも冷静沈着な彼女からは想像できないほどだった。
「すまんすまん! えー、じゃあ。あっ、あの大食い女騎士は、登城するんかね?」
ラルフは、話題を逸らすように尋ねた。
「ミラ・カーライルさんですか? 彼女はお父上である、騎士爵様が出席なさるかと」
「あー! "サー"カーライル騎士爵か!」
ラルフは、何かを思い出したように声を上げた。
「懇意になさってましたっけ?」
アンナが尋ねた。
「うん。まあ、ちょっとな。そんじゃあ、ミンネとハル、あとはトムを連れて行こう。グレン子爵にもカイリーを連れてくるように言っとくか」
ラルフの言葉に、アンナは再び驚きに目を見開いた。
「えっ、子供たちを連れていくんですか? しかも、あの、その。ハルは……」
アンナは、言及することを躊躇した。王城の晩餐会は、貴族社会の最たる場所だ。そこで獣人を同伴させるなど、前代未聞のことだろう。
「獣人だから、か?」
ラルフは、アンナの言葉の続きを察したように言った。
「はい。あのぅ、その、すみません」
アンナは、気まずそうに頭を下げた。
「いや、いい。まあ、荒れるなら荒れればいい。その方が面白い。いや、むしろそれが目的なのだ!」
ラルフは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。彼の王城への同行者は、子供たち、そして獣人。それは、単なる晩餐会ではなく、彼にとっての新たな実験の場となるだろう。王都の貴族社会に、また新たな波乱が巻き起こる予感に、ラルフは密かに胸を躍らせていた。