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居酒屋領主館【書籍化&コミカライズ進行中!!】  作者: ヤマザキゴウ


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336/401

336.諜報員さん、拷問の時間です

 ロートシュタイン領主館の地下。そこには、時代から取り残されたかのように重厚な地下牢が口を開けていた。

 通常の罪人を裁くための場所ではない。領主の私権によって身柄を拘束すべき、司法や政治の狭間に落ちた「保留者」たちのための檻だ。地方役人の手には余り、かといって王都からの使者が到着する前に「勝手に死なれては困る」重要人物を、安全に、かつ厳重に収監する。それがこの場所の役割であった。


 だが、ラルフの記憶を辿る限り、先代領主である父がここを有効活用した例など、一度として聞いたことがなかった。


 重い鉄扉が、低い呻きを上げて開く。


 冷え冷えとした空間の中央。椅子に縛り付けられた一人の女がいた。


 その周囲を三人の領兵が囲み、抜き身の警戒心を漂わせている。


 ようやく意識を取り戻したらしい女を、ラルフは正面から見据えた。


「やあ。傷の具合はどうかな? もう痛みはないかい?」


「……公爵、ラルフ・ドーソンか。お噂はかねがね。ぜひとも、この無粋な拘束を解いてもらいたいものだな。さもなければ、貴殿にとっても少々"困った事態"を招くことになると思うが?」


 女は、透き通るような白い肌を、後ろに束ねた艶やかな黒髪で際立たせていた。その言葉には、拘束の身とは思えぬ冷徹な知性が宿っている。


「僕に脅しは通じないよ。だけど、面倒ごとは確かに嫌いなんだ。お互い、穏便に、スマートにやろうじゃないか」


 ラルフは壁際に置かれていた椅子を引き寄せ、気だるげに腰を下ろした。


「ならば話は早い。私を今すぐ解放することだ。それが、双方にとって最良の選択だと信じているよ」


「もちろん、解放するつもりだ。だが、先に一つだけ教えてほしい。……君の名前と、所属は?」


 薄暗い空間に揺れる蝋燭の火が、ラルフの双眸に深い影を落とす。


「それを答える義理も必要性も感じない。それを知ったところで、公爵殿、貴殿に有益なことなど何一つないのだから」


「頼むよ。僕だって、レディに手荒な真似はしたくないんだ」


「ふっ、それこそが脅しではないか? その言葉、そのままお返ししよう。私に拷問は通用しない。なんなら、試してみるといい」


 女の不敵な笑みに、ラルフは「はぁ」と、心底不快そうに溜息をついた。


「そんなつもりはないんだけどなぁ……。まあ、ある程度の推察はできているんだよ。君はおそらく共和国の軍人。それも諜報活動を主とする、いわゆる『暗部』の人間だ。違うかい?」


「……さあ、何のことやら」


「頼むよぉ、悪いようにはしないからさ」


 ラルフが宥めるような声を上げた、その時だった。


 底冷えするような、剃刀の刃にも似た鋭い声が響き渡った。


「もういいわ、ラルフ。時間の無駄よ。あたしの出番ね」


 ラルフが振り返ると、そこには妖艶な笑みを浮かべた少女、エリカが立っていた。

 特徴的な金髪のドリルツインテールが、揺れる灯火の中で異様な存在感を放っている。


「お、お前……本当にそれを使う気なのか?」


 ラルフは盛大に狼狽し、彼女の手元を凝視した。そこには、何の変哲もないはずの小さな片手鍋。


「どいて。あたしに任せなさいな」


 一歩、また一歩と歩みを進めるエリカ。

 その鍋から漂い始めた香りがラルフの鼻腔を突いた瞬間――。


「うぶっ!!!」


 強烈な刺激臭に、彼は思わず口元を押さえた。背後の領兵たちも、顔を歪めて一歩後退する。


 鍋の中身は、エリカ特製「超激辛カレー」。どす黒い赤色を湛えたその液体は、もはや料理の域を超え、純然たる劇物へと昇華されていた。


「おい! やめろ! 何だそれは!? そんなモノを私に近づけるな!」


 拘束された女の顔に、初めて明確な戦慄が走った。


「だったら、早く白状しなさい。貴女の名前と所属は?」


「い、言えぬ! この命に代えても、それだけは……!」


「あんた達、この女の頭を押さえなさい。口を抉じ開けて、あたしの"最高傑作"を味わわせてあげるわ」


 エリカの放つ形容しがたい迫力に、領兵たちは呪縛にかけられたようにその指示に従った。


「や、やめろぉぉぉ! 何をする、こ、こんな事をして、貴様らどうなるか……」


「別に無理に口を割らせなくてもいいのよ。あんたを闇に葬るなんて、造作もないこと。……見たでしょう? 表にいるワイバーンを。あんたを餌として差し出せば、明日の朝にはレッドフォードのウンチに成り果てるんだから……」


 影に沈んだエリカの顔が、至近距離で女を覗き込む。

 だが、そのあまりに非情な脅し文句に、女は恐怖を通り越して叫んだ。


「カレー食わそうとしてる時に、なんて不潔なことを言うんだ、このガキがぁぁぁぁ!!!」


「なら、さっさと吐いちゃいなさい。全部ゲロしてくれたら、こんな劇物じゃなくて、絶品の『カツカレー』をご馳走してあげるわよ?」


「いや! なんかもう、メシを食う気が完全に失せたんだが!!!」


 絶妙なツッコミを入れながら暴れる女を見て、ラルフは激しい諦念と共に、背後の檻を振り返った。

 そこには、差し入れのウイスキーですっかり泥酔したコール・ディッキンソンの姿がある。


「おーい、館長さん。本当にこの人のこと、知らないの?」


「んがぁ〜……だ、だれが、館長だぁ! き、きひゃま、二度とナメた口をぉ……!」


 呂律が回らないまま吠える男。どうやら、ボトル数本のウイスキーは、彼の反骨心を奪うどころか言語能力ごと粉砕してしまったようだ。


「まあいい。客の中には共和国の連中もいる。知っている奴がいるかもしれないしね」


 ラルフがそう提案すると、女は鼻で笑い、自慢げに胸を張った。


「ふん……。私の所属は、極めて特殊な部隊だ。陽の目を浴びず、影と同化して生きる者。やすやすと面が割れるような軟な教育は受けていない」


(いや……それ、もう白状したも同然だよね?)


 ラルフは心の中で鋭く突っ込んだ。

 自ら「隠密的諜報活動が生業です」と宣言したに等しい。


 そして案の定、試しに彼女を客席へと連れ出してみると、あっさりと結末は訪れた。


「あら? ヨランダ・カームじゃない。どうしてこんな所に?」


 海賊公社のメリッサ・ストーン船長が、驚きに目を見開いて声を上げたのだ。


「おっ、知り合い?」


「軍時代の同期ですよ。確か、諜報部隊を志願していたはずよね? 風の噂では、"監査局・特別実行班"に配属されたって聞いたけど……」


 あまりに鮮やかな……文字通りの「身元割れ」。


 ヨランダと呼ばれた女は、猛烈な羞恥心に顔を真っ赤に染め、音を立てるように項垂れた。


 いたたまれなさに耐えかねたのか、エリカがぼそりと呟く。


「……カツカレー、食べる?」


「……はい。いただきます……」


 先ほどまでの強気はどこへやら、彼女は急にしおらしく、消え入りそうな声で答えた。


「酒も飲むか? 奢るぞ」


 ラルフの誘いに、ヨランダはぽつりと本音を漏らした。


「……はい。その、甘いお酒の……何かオススメがあれば……」


 同時に、彼女の目から大粒の涙が溢れ出した。

 それが任務失敗の絶望なのか、それともあまりの格好悪さに対する悔恨なのか、それを問うのは野暮というものだろう。と、誰もが理解した。

 領兵も、黙って彼女の縄を解く。その無言の気遣いが、今の彼女には何よりもツラかった。


 そして、数刻後――。


 現実逃避という名の「イチゴサワー」を飲みに飲み、カツカレーを平らげたヨランダは、やがてかつての同僚メリッサに愚痴をこぼし始めた。


「んもぅ……。割に合わないわよ、こんな仕事。あのバカ王子の監視だなんて……。ああ、もう。私も海賊公社に転職しようかしら……」


 椅子にどっかりと腰掛け、完全に出来上がった様子の彼女に、メリッサが苦笑する。


「まあ、そりゃあ、ウチは歓迎だけど。大事な仕事なんでしょう?」


「へっ、ハッハッハー! そんなことないわよぉ〜! アイツが"おかしな気"を起こさないか、監視するだけの『簡単なお仕事』でーす!」


「おかしな気?」


「そうそう! 例えば、共和国内のカドス民族を率いて武力蜂起しないか、とか……。まあ、そんなことせずに、『王国はけしからーん!』って喚き散らしてさえいてくれたら、色々と都合が良いらしいわよ〜」


 その言葉を聞き逃さず、隣のテーブルではラルフ、ヴラド国王、そして参事会議員のティボーが鋭い視線を交わした。


「どういうことだ? 都合が良いってのは」


 ラルフが囁くように問いかけると、答えはまたしてもエリカからもたらされた。


「ふんっ! あんたバカぁ?! 決まってるじゃない。共和国内のカドス民族のガス抜きよ。あの生き残りの王子が"内ゲバ"でもおっ始めてみなさいな。大戦の傷が癒えない共和国の議会なんて、内側から瓦解しかねないわ。だから、敵意のベクトルを国外へ向ける必要がある……」


「つまり、王国を共通の敵として見せておきたい……と。いやはや、耳の痛い話ですな」


 ティボーが天井を見上げ、重い溜息をついた。


「なるほどな。コール・ディッキンソンは、マスコットというより、"視えない意図"に操られた、マリオネットだった。というわけだ……」


 人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である――。

 前世で聞いたその名言が、ラルフの脳裏に苦く浮かんだ。

 自分もまた、あの大戦ですべてを狂わされた一人だ。

 悲劇の中には哀れな主人公が、喜劇の中には間抜けな道化がいる。

 だが、現実には、ただその日を必死に生きる人間がいるだけだ。

 自分とコールの間に横たわるのは、勝者と敗者という、あまりに無慈悲で隔絶された境界線。ただ、それだけのことだった。


 ラルフは何杯目かも分からないビールを飲み干したが、どうにも酔いが回る気がしなかった。


 すると、


「あー! でも、もしかしたら私の身も危ないかもなぁ……。ねぇ、ラルフ公爵殿ぉ! しばらく私をここで匿ってくれないかしら?」


 ヨランダがそこはかとなく厄介な頼み事をしてきたが、ラルフは「まあ、いいよ」と快諾した。


「客間は空いているし、店員として働くなら給料も出す。好きにするといい」


「いや〜、助かったぁ! いっそ死を偽装してもらおうかしら。私、知ってるのよ? 少し前に、聖教国の聖女様の死を偽装したでしょ?」


「ぐっ……」


 そんな厄介な秘密を突きつけられ、ラルフは言葉に詰まる。


 解放感に包まれたヨランダは、その夜、浴びるように酒を飲み、堅苦しい職務から解き放たれた喜びを爆発させていた。


 しかし、ふとカウンター席を見ると、

 例の「超激辛カレー」を、涙と鼻水を垂らし、真っ赤な顔で貪り食うオルティ・イルの姿があった。

 その恍惚とした表情に、新米店員候補のヨランダは、ただただ静かにドン引きしていた。

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― 新着の感想 ―
身のこなしも素晴らしそうですから有能なフロア担当ですね!w
もしかしたらなっていたかもしれない可能性の未来なのだよね、激辛カレー中毒……
癖の扉開いた連中と関わるって事だよなあ、店員になるって事は
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