314.縦のうま味
「では、農業庁長官に、グレン・アストン子爵を任命する!」
「光栄の至り。陛下のご下命、畏くも拝受いたします。王国に豊穣の恵みをもたらすため、我がすべてを捧げましょう!」
なぜか、その厳粛なやり取りは、居酒屋領主館の、木目も麗しいカウンター越しで行われていた。
最も異様な光景は、国王ウラデュウス・フォン・バランタインその人だ。
彼は、白の作務衣に身を包み、威厳ある面持ちでカウンターの内側に立っている。
その手元では、瑞々しい魚の切り身が、見事な手つきでシャリの上に載せられていく。まるで長年研鑽を積んだベテランの寿司職人のような、妙に板についた貫禄が漂っていた。
「うむ。頼んだぞ……。そして、これが、中トロだ……」
任命の証として、国王が差し出した芸術的な一貫に、グレン子爵は瞳を輝かせた。醤油をほんの「チョン」と付け、口に運ぶ。
脂の甘みが舌の上で蕩け、名誉と、この上ない美味に、子爵は極めて至福に満ちた表情を浮かべた。
「で? いったい、何が始まったんです? これは……」
この居酒屋領主館のオーナーである、ラルフ・ドーソンは、隣に立つ国王へ、とびっきりの無表情を向けたまま、呆れを込めて問うた。
なぜ、この王国の頂点に立つ人物が、居酒屋の従業員というポジションにいるのか?
なぜ、カウンター席には、公務とは無縁なはずの代表貴族たちが連なっているのか?
そして、なぜ、このような新たな省庁の設立と、要職の任命の儀が、格式とは最も遠いこの居酒屋領主館で行われているのか?
すべてが、ラルフの常識を遥かに超える謎であった。
「やはり、ここでやるのが、色々都合良くてな」
国王は、どこか楽しげに、寿司を握る手を休めずに言った。
「まあ、利便性は理解できますけど……。なんで、国王様が、自ら寿司を握っているんです?」
ラルフは、思わず、この王国のトップに白い目を向けた。
「いや、なんか。……儂も、できそうだなぁ〜、と、思ってしまってな」
なんだか言いづらそうに白状するウラデュウス。その言葉は、好奇心のままに動く王の奔放さを如実に表していた。
「イクラのグンカンマキを、お願いできませんか?」
と、デューゼンバーグ伯爵が控えめに、だが確信をもって注文を飛ばす。すると、国王は、
「うむ……。頼んだ」
と、隣のラルフに対して目配せする。どうやら、手間のいる巻き物は、まだ自信がないらしい。
「はいよ……」
諦めのため息と共に、ラルフは海苔を準備した。
王の道楽に付き合わされる、公爵兼、居酒屋オーナーの構図である。
結局、国王が王都に帰りたがらない問題は、新しい省庁を設立し、縦割りの行政機関に執務を分散させるという、ラルフの実験的な提案が採用されることで、ひとまずの解決を見た。
まずは手始めに、「農業庁」と「騎士庁」が設立される運びとなった。
縦割り制度には、専門性の向上の恩恵と同時に、縄張り意識という弊害がつきものだが、最もその恩恵を得るのは、国王その人だ。
今まで、その権限を一手に担っていた決定権を分散させ、執務の負荷を大幅に軽減させる。
続いて、任命の儀が再開される。
「では、騎士庁の長官に、マティヤス・カーライル騎士爵を任命する! そして、……これが、コハダだ」
任命と同時に、国王がオススメの寿司を目の前に差し出す。
「光栄の極み! いやはや、たまりませんなぁ〜」
と、騎士爵は、名誉に対してなのか、食欲に対してなのか判別のつかない、恍惚とした笑みを浮かべた。
これで、農業と軍事という重要分野が専門の部署に振り分けられ、余程の事がない限りは、国王の手を離れることになる。
負荷分散に成功した嬉しさからか、ウラデュウス国王は、米酒をチビチビと舐めながら、上機嫌に寿司を握る。
「ラルフも、何か食いたいか?」
国王が、カウンターの内側に立つラルフに尋ねた。
「あー、いいんすか? じゃあ、僕は、サーモンを」
ラルフは、なんとなく、食べたいものを答えてしまった。
その瞬間、カウンター席に腰掛けていた貴族たちの空気が一変した。
「いやはや。ドーソン公爵ともあろう方が、わかっていらっしゃらないなぁ」
「ふっ! 美食の伝道者とも謳われる魔導士様が、まさか、サーモンですと? 冗談はほどほどに願いたいなぁ〜」
彼らは、まるでラルフを軽蔑するかのように、薄ら笑いを浮かべる。
(こ、これは、アレだ……)
ラルフは、即座に悟った。
前世、日本の高級寿司店に於ける、あの、暗黙の流儀であり、作法であり、ルールである――「通」を気取ったマウント合戦だ。
まさか、この異世界でも、それが文化として芽生えてしまったことに、ラルフの怒りのボルテージが急上昇する。
「はぁ? 別に良いじゃん! 何がダメなのさ?! 美味しいじゃん! サーモン!……あー、もう、わかった!! わかった!!! もうお前ら、一生サーモン食べるなよ!! もし、サーモン食べたら、頭髪がすべて抜け落ちる呪いの魔法をかけてやるからな!!!」
怒りに駆られた大魔導士の言葉は、常軌を逸していた。
貴族たちは一様に青ざめ、反射的に自らの頭髪を両手で抱えた。
この一国を跡形もなく消し去る実力を持つ男なら、本当にやりかねないと思ったからだ。
前世では庶民であったラルフにとって、転生したこの世界で公爵という立場になっても、金持ち特有の「通ぶりマウント」は、どうにも我慢ならなかったらしい。
意外に、というべきか、極めて、器が小さい男である……。
「やめんか! ほら、水上都市の、養殖淡水サーモンがある。これを握ってやろう」
国王が嗜める。しかし、ラルフの激情は収まらない。
「ふんっ! ツナマヨ軍艦巻きの美味さ知ってるか? なぁ? アレを知らないなら、人生の半分は損してるし!! ハンバーグ寿司も美味いからな? マヨコーン軍艦巻も、食ってみるか? なぁ?!!」
彼は鋭い目付きで、まるでテロリストの脅迫のように、カウンターの貴族たちを睨み回す。
全員が、――とんでもなく気まずそうだ。
ちょっとした、貴族特有のウィットに富んだ「からかい」だったはずが、大魔導士の逆鱗に触れてしまったのだ。
彼らは、寿司如きで、この災厄を招いたことを深く後悔するしかなかった。
すると、唐突に。
「ラルフ・ドーソン公爵! 是非、省庁設立の詔書の確認をお願いしたいのだが!」
と、宰相のニコラウスが、客席から書類の束を抱えて現れた。
「なんで僕が……」
ラルフがその面倒事を拒否しようとすると、
「いや! ま、待て! その必要はない!!!」
なぜか国王が、尋常ではない慌て様で声を上げた。ラルフは、訝しげに首を傾げた。
「んん~? ……ちょっと、見せて……」
「ま、待て! お、お前が確認する必要はない!」
ラルフがさっと書類の束を受け取ると、国王はさらに混乱の色を濃くした。
そして、ラルフが目にした、束の一番上の書類。
"釣魚庁設立の勅許状"
長官:ウラデュウス・フォン・バランタイン
まさかの、国王の名だ。
「いや。あのねぇ……。これなに? 貴方の趣味じゃん?! なんで魚釣りを統括する行政機関が必要なのよ?!!」
ラルフは呆れを通り越した、鋭いツッコミを浴びせた。
「い、いや。その、……釣り仲間の貴族たちから、提案されてな。仕方なく……」
国王が言い訳する。
ラルフがギロリと店内を見渡すと、案の定、なんだか気まずそうに目を逸らす貴族たちが幾人も存在する。
幻の巨大魚"ロットン君"ブームで、大物釣りのロマンに魅せられてしまった、釣竿購入組たちだ。
「これ、行政機関じゃなくて、愛好会とか、サークルでしょ?! 却下です! 却下!!」
ラルフは断言した。
本来、一公爵であるラルフに、国家機関の勅許状を破棄する権限などないはずだが、なぜか宰相のニコラウスは、
「では。仕方ありませんな! 却下ということで……」
と、なぜか嬉しそうに、その書類をラルフから受け取った。そして、ビリビリに破いた。
国王も釣り仲間の貴族たちも、ひどく残念そうに肩を落とす。
しかし、ラルフは、またも見過ごせない書類を見つけた。
「はいー! コレ、なんだろうね〜?! おかしいね〜!! デューゼンバーグ伯爵!! コレどういうことです?!!!」
ラルフの激昂に、伯爵は目を逸らす。その書類には、
"スパイス庁の設立の草案"
長官:リック・デューゼンバーグ
次官:エリカ
厨房の奥で、シーフードカレーをかき混ぜていたエリカが、「チッ!」と舌打ちをしたのは、決して気のせいではないだろう。
ラルフは、腹の底から、冷たい怒りが込み上げてくるのを感じた。
まさに、これこそが、利権独占構造の根源だ。
この王国の為政者たちが、このように堕落し、腐敗の始まりのような権力の行使をするとは、信じたくなかった。なのに……なのに……?!
この怒りをどう言語化すればいいのかと、理性と激情の狭間で歯を噛み締めていたラルフの耳に、国王の飄々とした声が、不意に突き刺さった。
「そもそも……。領主館で居酒屋を経営するとか、"公私混同"が甚だしい事をおっぱじめたのは。お前だからな……」
その言葉を理解するのに、ラルフはいくばくかの時間を要した。
それは、あまりにも的確で、あまりにも本質的だった。
……つまり、耳が痛い。
わかっている。
わかっていたのだ。
だが、認めるのが怖かった。
まさか、この一連の騒動、
この、わけのわからない。
……すべての元凶が、
間違いなく。自分が巻き起こした、事態だとは……。
しかし、肝が"ぶっとい"ラルフは、
全速力で、現実逃避し、
極めて、あっけらかんと宣言した。
「よしっ! これにて、すべて解決だな!! いやぁ……、一時はどうなることかと思ったが。万事解決!! よしよし。そんじゃ、みんな、好きに飲み食いしてくれ!!!」
彼は、すべてを許容するかのように、そして、真実から目を逸らすように。両手を開き、満面の笑みを浮かべた。
居酒屋領主館に集う、
……すべての客たちの時間が、止まった。
その場を満たす、沈黙と、僅かに漂う酢飯と、米酒の芳香だけが、
彼らの内に、やっとのことで留めた、
"何か"を物語っていた。




