307.祝祭の美味と、文化人類学
「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ハイッ!」
「ヨイショ! いよっ! ハイッ! ハイッ!」
居酒屋領主館の庭に、乾いた超高速の打撃音「ペタペタペタペタ」が鳴り響く。積もった初雪が、その喧騒を吸い込んでいるかのようだ。
全身に身体強化の魔法を纏い、常人には不可能な速度で餅つきを行っているのは、ラルフ・ドーソン公爵と、ファウスティン・ド・ノアレイン公爵の二人。
しかし、付け焼き刃の見様見真似の餅つきが、いつまでも無事で済むはずがない。誰もが密かに期待した、喜劇的な悲劇が、あっけなく訪れた。
「あ痛っ!!!! いったぁぁぁぁ!」
僅かにリズムが狂った瞬間、ファウスティンの振り下ろした杵が、返し手であるラルフの右手に直撃した。
「おいおい、大丈夫かよ?」
ファウスティンは呆れを滲ませた声で問いかける。
「あ、あい……。大丈夫っす」
涙目になりながらも、ラルフは慣れた手つきで、お得意の治癒魔法を自らの右手に施す。掌から青白い光が漏れ、腫れを引かせていく。
その時、雪を踏む「ザクッ、ザクッ」という足音が近づいてきた。
「寒いわねぇ……。こんなクソ寒いのに、貴方達なんでそんなに元気なのよ?」
声の主はエリカだった。彼女は全身をモコモコとした防寒着で覆い、まるでダルマのように丸っこいフォルムになっている。
「やっぱり、また来たか……」
薄着で額に汗を浮かべるラルフは、内心の苦笑を拭う。
「風邪ひかないの、そんな格好で」
エリカは心底呆れたように言う。
すると、彼女の背後から、朗らかな声が届いた。
「やあ、ラルフ殿。良き年明けに、精が出るなぁ」
デューセンバーグ伯爵が、穏やかな笑みを浮かべて挨拶をした。
「どうも! お久しぶりです。デューセンバーグ伯爵」
「うむ……。九時間ぶりくらいだな……」
ラルフのいつもの高度なジョークなのかボケなのか判別しがたい言葉を、伯爵はサラリと受け流す。
「お伝えしていた通り。大した物はお出しできないですよ」
ラルフは確認を促したが、伯爵は豪快に笑った。
「よいよい! 国王陛下から、秘蔵のボトルを賜って来たぞ!!」
そう言って見せびらかしたのは、セス少年の農家が造った、にごり酒の一升瓶だった。
隣に控えていたリネア・デューセンバーグ夫人は、丸っこい木材のお櫃のようなモノを差し出す。
「サルヴァドルさんから、コレも預かって来ましたわ」
「あー。そういえば、レシピを渡したんだった。チラシ寿司でしょ? それ」
「そうそう! それですわ!」
夫人も嬉しそうに頷く。
娘のエリカは寒さを嫌い、店内に逃げ込むように告げた。
「お父様、お母様。私は先に中に入ってるわよ。うー、さむっ!」
ラルフはふと、手が冷たくなっていることに気がつき、吐いた白い息を手で包み込んだ。指の隙間から漏れた白い霧は、すぐに冬の空気に溶けて消えていく。
年が明けて一日目。
ロートシュタインには人のくるぶしほどの初雪が積もっていた。街並みは雪化粧を纏い、高い位置に昇った陽の光を、雪の結晶がキラキラと乱反射させている。
本日、居酒屋領主館は「閉店開業」――客がそれぞれ食べ物や飲み物を持ち寄って、店内を解放する、つまり、"お持ち寄りパーティー"だ。
「ささっ! ラルフ殿、ファウスティン公も、駆け付け一杯……」
デューセンバーグ伯爵は、外で立ったままにごり酒を勧める。
「おっ! 良きですなぁ! では、お言葉に甘えて」
ラルフは懐に忍ばせたマジック・バッグから、ぐい呑みを三つ取り出し、一つをファウスティンに手渡す。
「感謝する」
ファウスティンは二人に礼を述べ、ラルフがぐい呑みに酒を注ぐ。
「では、新年を祝して……」
「カンパーイ!」
晴れやかな冬の空の下、王国の貴族三人は、まるで平民のような祝杯を飲み干した。
つきたての餅を店内に運び込み、ラルフたち三人も、いつもよりは穏やかな喧騒に加わった。
「エリカ。餅、食うか?」
母親と共にテーブル席に座り、聖教国の聖女様方と談笑を交わすエリカに、ラルフは声をかける。
「食べる。砂糖醤油で……」
エリカは淡々と好みを所望する。
(意外に、渋い味覚だ……)
ラルフは少し驚いた。
「私は、あんこ〜!」
「ハイハイ! 私もあんこで!」
「あのぉ~、私もいいですか?」
聖女三姉妹からも、甘いあんこを求める声が上がる。
「えっ? お前ら、豆、嫌いじゃないのかよ? 聖教国で食べ飽きたって……」
ラルフは呆れるが、あの国では甘く味付けをした豆が一般的ではないのかもしれないと納得する。
すると、ダンジョン・マスターのスズが、またもやなんらかのコスプレをしながら、ラルフに近づいてきた。
ラルフには、それが何であるか一目で分かってしまった。
スズは両手を上げながら口を開く。
「ラルフ、おはようなのだ! どうも。僕、ずんだ……」
「やめろっ!!」
電光石火の反射神経で、ラルフはスズの名乗りを遮った。
緑色の髪、中性的な出で立ち、特徴的な喋り方。どうみても、前世の記憶にある東北の、あのキャラだ。
スズは不服そうに頬を膨らませる。
「むう、コレは、自由度の高い二次利用が認められているのに」
「非商用利用に限ってなっ! ……とにかく、お前の食べたいものはわかったから、座ってろ。それっぽいモノは出せるから」
ラルフはなんだか頭痛を覚えた。スズは緑色のカツラを取ると、おとなしくカウンター席に腰掛けた。
そんな謎のやり取りを見ていた客達も、「まあ、いつものことだ」と、気にする者はいなかった。
つきたての餅を千切り、《火炎球》の魔法で炙るラルフ。
客達は、持ち寄ったチラシ寿司などの料理をつまみ、酒を飲み、穏やかな談笑を交わしている。
(試しに、雑煮でも作るか……)
そう思い立ち、ラルフは保冷庫を覗く。
彼の前世の知識では、雑煮は地方や集落ごとに独自のものが存在し、一貫した定義がない。
ならば、この"世界独自のモノ"があったとしても、誰も文句はあるまい。それに、保冷庫の中には、あまり食材が残っていないのだ。
テキトーに、手元に残った食材を取り出す。野菜を切り、大量にストックがあるオーク肉も切り分ける。一見すると、まるで豚汁のようだ。
大根にニンジン、芋にネギ。
敢えて味噌ではなく、醤油で味付けをしてみる。
大鍋で煮込み、ラルフ特製、"テキトー雑煮"の完成だ。
「雑煮っていう、野菜たっぷりスープを作っだぞ! 食べたい人ぉ!」
ラルフが客達に呼びかけると、すぐに反応があった。
「あっ! 欲しい! マスター。それに、麺を入れることはできるか?」
ラーメン大好き女騎士のミラ・カーライルが、迷いなくお好みカスタムを提案する。
「んー? ああ……。"うどん"でもいいか?」
「もちろん!」
ラルフはロートシュタイン製麺所のうどんを茹で始めた。
「俺には、餅も入れてくれ」
クランク・ハーディーが身を乗り出す。
「ちょっと! ラルフ!! その料理、ちょっと分けなさい。私好みにカスタマイズするわ」
宣言と共に、エリカは椅子を飛び降り、タッタッタッと、厨房に駆け込む。
彼女は、大鍋から雑煮を片手鍋に分け、火にかける。
そこに、僅かな白味噌と、彼女が調合したカレースパイスを加えた。すると、刺激的で、豊潤な香りが、一瞬にして厨房から立ち込めはじめた。
ラルフの目から見れば、"カレー豚汁"の完成だ。
「むむっ! やはり、儂らの娘は天才かもな! 儂にも、それをくれ!!」
デューセンバーグ伯爵が感嘆と共に立ち上がる。
「さすがお父様、わかってるわね!」
エリカは得意げだ。
「血のスープに、餅を入れるのはどうかな?!」
ポンコツラーメンのパメラも、独自の提案を加える。
雑煮というスープ料理と、餅との相性という未知のポテンシャルに関する議論が、居酒屋の中で巻き起こった。
この日を境に、王国を中心として、餅は新年を祝い、神への供物としての食材としての側面を持った、儀式的な料理として波及していくことになる。
口伝により、詳細なレシピが伝わらない地域では、想像によりその汁物を創作する人々もいた。
やがて、"米どころ"のロートシュタインから、乾燥させた切り餅の輸出もはじまり、餅食の文化は広く普及していくことになる。
後の世に出版された、とある。――文化人類学の書籍の一文を、ここに紹介しておく。
『その後のロートシュタイン餅食文化の急速な浸透は、異世界からの食文化が、この世界で現地化し、爆発的に進化する様を示す好例であり、特に「餅と汁物の相性」という新たな視点を提供した。これは、異文化との邂逅がもたらす、食の多様性の最も初期の事例として、特筆すべきであろう。』
第I章 オゾーニの儀礼的起源:ロートシュタイン伝承の再検討
オゾーニは、現在では王国全土に普及した祝祭食であるが、その起源については長らく議論の的となっている。通説では、旧ロートシュタイン領に端を発するという説が有力であり、特に伝説的な魔導公爵、ラルフ・ドーソン卿による「異界の神々から伝えられた神聖なる供物」とする伝承が広く知られている。
民俗学の視点からこの伝承を分析するならば、オゾーニは「神人共食の儀礼」という、極めて古い食文化の様式を現代に伝えるものと解釈できる。
供物として煮込まれた食材を共同で摂取することで、異界や聖なる存在から来る恩恵。つまり、加護や豊穣を体内に取り込むことを目的とした、宗教的な祝祭食として成立した可能性が高い。
第II章 複合的起源説:食文化の接触と融合
ドーソン卿の個人的な伝説性を排除し、より実証的な見地からオゾーニの起源を探ると、その成立は単一の人物や事件に帰するものではなく、東大陸から渡来した農耕民族の米食文化と、王国に古くから定住する土着民族のスープ、さらには、エルフ族の発酵食品の伝統が、複雑に絡み合った結果であると推察される。
特に、聖教国における豊穣の女神崇拝の祝祭と、ロートシュタイン地方の寒冷な気候に適した保存食、特に干し肉や根菜の調理法が結びつき、儀礼的な祝祭食として確立した可能性が高い。オゾーニの基本構成要素である「練り上げられた米」、「地場の野菜」、「清らかな出汁」の組み合わせは、この複合的な食文化の接触を強く示唆している。
第III章 商業的普及と伝説の再構築
オゾーニが辺境のローカルな祝祭食から王国全土に広がるに至った背景には、商業的な要因も無視できない。
この料理が初めて公の場で供されたとされる場に、後の巨大商社"エリカ・スパイス・ホールディングス"の創業者、エリカ・D・デューセンバーグ女史が同席していたという逸話は、半ば都市伝説と化している。
確かに、その確証を裏付ける一次資料は存在しないが、この逸話は、オゾーニが初期の段階で上流階級や有力な商業ネットワークに取り込まれ、儀礼性を保ちつつも経済的な商品価値を獲得していった過程を象徴的に示していると言える。
結語:魔導公爵の真意
ラルフ・ドーソン公爵という人物は、オゾーニに留まらず、この世界の食文化の根源に関わるあまりにも多くの逸話を残し、その存在はすでに文化的な聖性を帯び、幻想的な伝説と化している。これは、彼が「食の伝道者」として広めた料理が、人々の生活と信仰に深く根付いたことの証左であろう。
しかし、王国書籍館に奇跡的に保存されていた稀覯本『ラルフ・ドーソン公爵の酔いどれ迷言集』に、後の偉大な魔導士でありながら、美食の伝道者として語られる公爵の、極めて人間的で、権威を拒否するような一文が記録されている。
筆者は、その一文こそが、オゾーニが各地で多様に展開し、ローカルな食文化として生き延びることを許容した、公爵の真意を表していると考える。
「もう、勝手にしろっ!! 好きに食って、好きに生きろ!!!」
この言葉は、儀礼的な規範や権威の押し付けを拒否し、人々が自らの土地の産物と知恵で自由に食を創造する「食の自律性」を許容した、ドーソン卿の美食哲学の核心であったと言えよう。




