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3.孤児院の悪徳領主

「いや、あの、まさか公爵様がこのようないたらない孤児院にお越しくださるとは……」


 孤児院の院長、シスター・エヴリンは、しきりに頭を下げながら恐縮しきっていた。薄汚れた修道服を身につけ、やつれた顔には生気がなく、その細い体からは常に不安げなオーラが漂っている。

 ラルフは、彼女の案内でオンボロの孤児院の中を見て回った。壁はひび割れ、窓は破れて板が打ち付けられている。床は軋み、冷たい風が隙間風となって吹き込んでいる。

 それでも、子供たちの瞳は純粋な輝きを宿していた。ラルフが足を踏み入れると、小さな子供たちが興味津々に群がってくる。好奇の目、警戒の目、そして少しばかりの期待の目。


「うぉー! 悪徳領主だぞぉ! お前たちを奴隷落ちさせて、うちの酒場で働かせてやるー!」


 ラルフは両手を広げて、子供たちにわざとらしい悪役の声を響かせた。すると、子供たちは一斉に「きゃー!」「わー!」「人買いだー!」と叫びながら、楽しげに逃げ回る。その笑顔に、ラルフの口元も自然と緩む。


「ほうら、捕まえてやるぞー!」


 追いかけるラルフと、逃げ回る子供たち。その光景は、どこか微笑ましかった。


 一通り孤児院を見て回り、ラルフは懐から金貨を三枚取り出し、エヴリン院長に差し出した。


「とりあえず、これ手付金な。例の青豆の代金と、今後の交渉のための頭金だ」


 エヴリンは、その金貨を見て青ざめた顔でごくりと唾を飲んだ。まるで、死刑宣告でも受けたかのような表情だ。ラルフは、その反応に眉をひそめた。金貨三枚といえば、この孤児院の数ヶ月分の運営費に相当する額だろう。まさか、そんな大金を見たことがないというわけでもないだろうが、この反応は尋常ではない。ラルフは、その場ですべてを悟ったかのように、小さく頷いた。


「じゃ、そういうことでー! またなぁー、お前ら!」


 ラルフは、後ろ髪を引かれるように孤児院を後にした。子供たちは名残惜しそうに、それでも笑顔で手を振ってくれた。


「またねー」「バイバイ!」「また来てねぇ! 悪徳領主さーん」


 悪徳領主、と子供たちに呼ばれるその響きが、なぜか心地よかった。


 帰り道、ラルフとアンナは、いつものように並んで歩いていた。市場の喧騒は遠ざかり、街道の静けさが二人を包む。


「旦那様、意外と子供お好きなんですね」


 アンナが、いつになく穏やかな声で言った。その声には、微かながらも優しさが滲んでいる。


「なら早くご自分のお子さんを拵えたらよいじゃないですか。旦那様もそろそろ、身を固められるべきですよ」


 アンナは、すぐにいつもの調子に戻って、さらりと本題を突きつけてきた。


「ははは……ま、それは追々でな」


 ラルフは曖昧に笑い、すぐに表情を引き締めた。


「アンナ。あの孤児院、どう思う?」


 ラルフの問いかけに、アンナもまた真剣な表情になった。


「ええ、まあ。見たままでしかありませんが、かなり厳しい財政状況に見受けられました。子供たちは痩せていましたし、修繕されていない教会。着ているものもボロ布でした」


 アンナの言葉は、ラルフの見てきた光景と寸分違わない。


「おかしいよな?」


 ラルフはもう一度、念を押すように尋ねた。


「はい。おかしいです。さすが旦那様。お気づきでしたか」


 アンナは、その知的な瞳でラルフを見つめ返した。彼女もまた、この状況に疑問を感じていたのだろう。


「そりゃあな。領直轄の孤児院なんだから、経理書類は俺が作ってる」


 ラルフの口から出た言葉に、アンナはハッと息を呑んだ。確かに、孤児院は領主の直轄であり、その運営費は公爵家の予算から捻出されている。領主となったラルフが、真っ先に片付けた膨大な書類の中には、孤児院の収支報告書も含まれていたはずだ。


「つまり?」


 アンナの声が、わずかに震えた。


「明らかに、"抜いてる"な。つまり、横領だ」


 ラルフは淡々と告げた。その表情は、先ほどの悪徳領主のそれとは打って変わり、冷徹な領主の顔をしていた。


「シスター・エヴリン、ですか……」


 アンナが、絞り出すように呟いた。彼女もまた、それが何を意味するのかを理解していた。


「だろうな。領の直属委託費の横領の罪は?」


 ラルフは、まるで確認作業をするかのように尋ねた。


「縛り首、です」


 アンナの声は、氷のように冷たかった。公爵家の予算を横領した罪は、決して軽いものではない。ましてや、それが弱き立場である孤児たちのための費用であれば、なおさらだ。


「だよなぁ。とりあえず、エヴリンのことを調べてくれ。裏で誰と繋がってるのか、どこに金が流れてるのか、徹底的に洗ってくれ」


 ラルフの瞳には、かつての遊び心は微塵もなかった。そこにあったのは、領主としての冷徹な判断と、そして何よりも、この領で暮らす人々を守ろうとする強い意志だった。

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