297.世界で一番熱い厨房
ドォォォンッ!
地を穿つような轟音と振動が、ロートシュタイン領主館全体を揺るがした。ガラス窓が激しく軋み、今にも砕け散りそうな悲鳴を上げる。
そして、その振動の源――領主館の庭に降り立ったのは、一際巨大で真紅の鱗を持つワイバーンだった。
「クギャァァァァァァァ!」
勇猛かつ誇らしげな咆哮が空気を切り裂く。
しかし、この異様な光景にも、館の者たちは慣れきっていた。メイドたちは淡々と掃除や洗濯物の運搬といった日常の業務をこなし、その騒動を、最早日常茶飯事と認識していた。
やがて、館の中から一人の青年が、まるで散歩でもするかのようにふらりと現れた。領主ラルフ・ドーソンである。
彼は威風堂々たる巨竜を見上げ、気安く片手を振った。
「よっ! お帰り、レッドフォード」
「グッグッグッグッ」
レッドフォードと呼ばれたワイバーンは、その獰猛な顔をラルフに向けて緩め、恭しく首を下げた。ラルフは無造作に、その冷たい鼻先に手のひらを当て、労うように優しく撫でてやる。
「まーた、デッッッッッケーの狩ってきたなぁ……」
ラルフは、呆れとも感嘆ともつかない息を吐きながら、ワイバーンの足元に横たわる、本日の"献上品"を見下ろした。
「ロックバードでございますか。それにしても、ここまでの大きさとなると、また変異種かもしれませんねぇ」
いつの間にか、音もなくラルフの背後に控えていたメイドのアンナが、静かに解説を加える。
レッドフォードが持ち帰ったのは、空を飛ぶ魔獣、ロックバード。だが、その大きさは規格外だった。人間の大人二人ほどが背に乗って、そのまま大空を舞えそうなほどの巨大な鳥が、白目を剥き、微動だにせず息絶えていた。
「こりゃ僕らだけじゃ無理だな。仕方ない、冒険者ギルドから、解体できる腕利きを手配しよう」
「これを居酒屋でご提供なさるのですか? これほどに大ぶりですと、肉質が硬い可能性がございますが」
アンナは領主の突飛な発想に懸念を口にした。
「ウ~ン……。叩けばなんとかなるんじゃない?」
ラルフは顎に手を当てて思案する、その顔は既に料理人の顔だ。
「……よし、騎士団も手配しよう」
「は?」
アンナは、騎士と解体の関連性を理解できず、呆気に取られた。
しばらくして、解体技術に長けた冒険者たちがテキパキと巨大なロックバードを捌いていく。羽毛は高級素材として冒険者ギルドに提供され、領主館の庭は一時的な野戦解体場と化していた。
そして、領主館の厨房で、異様な光景が繰り広げられた。
ドスン! ドン! ドン!
野太い打撃音が、厨房に響き渡る。
クランク・ハーディーをはじめとしたロートシュタイン駐留騎士団の精鋭たちが、切り分けられたロックバードの塊肉を、ハンマーや棍棒で、一心不乱にぶっ叩いていたのだ。
「そーれっ! 叩けっ! 叩けっ! 叩けっ!」
ラルフの号令が飛ぶ。
「おぅ!!」
屈強な男たちは、まるで剣戟訓練のように鋭い打撃を肉に打ち込む。
彼らは、ダンジョン行軍訓練でラルフに命を救われた恩義があり、この若き領主の頼みとあらば、それが肉叩きであろうと、忠実に、そして力強く遂行するのだった。
「ちょっと、ラルフ! また全自動タマゴ割り機が暴走してるわよ!!」
厨房の片隅から、エリカの慌てた声が上がる。彼女の金髪ドリルツインテールが、怒りに揺れていた。
「叩け! 叩け! 叩きゃ直る!!」
ラルフは一向に手を止めない。
「それがプロの言うこと?! もう、こんなポンコツ、さっさとバラしちゃいなさいよ!!」
文句を言いながらも、エリカは麺打ち棒でその魔導機械をガチコンっ! とぶっ叩き、無理やり沈黙させた。
「まだあるのかよ?! いったい、何人前だ?!」
一見、何の変哲もない木の棒にしか見えない聖剣:ユグドラシアを握るクランクは、肉叩きの合間に、こめかみの汗を拭う。
「肉だけで、おそらく二百四十キログラムくらい。仮に一人前が百五十グラム、だとすると……ざっと計算して、千六百人前……」
ラルフの呑気な答えに、
「せ……千……」
クランクは、想像を絶する数字に眩暈を覚えた。
「まあ、冷凍させておけばいいし。鶏油作りにも使いたいし。なんとかなる」
ラルフは案外楽観的だ。その楽観さが、この居酒屋領主館を支えているとも言える。
「ギルドに引き取って貰えばよかったのでは?」
アンナが至極建設的な意見を述べる。
「うっ……。実は、今、このロートシュタインでは、"肉余り"の状況なんだ。これ以上肉を市場に流すと、肉屋のアントニオにまた文句を言われる」
近頃、ロートシュタインに移住してくる冒険者が増え、彼らの勤労意欲の高さから、ギルドに持ち込まれる食用肉が飽和状態にあるらしい。
「では、今夜のサービスメニュー、ですね」
アンナは諦めの境地に至った。
「それしかないねぇ~。焼鳥、フライドチキン、チキン南蛮、まあその辺かなぁ……まっ! チキンじゃないけどな!!」
かくして、今夜はロックバード肉料理が大安売りとなることが決定し、やがて居酒屋領主館は開店時間を迎えた。
「カンパーイ!!」
「コーラハイボール、五人分下さい!」
「私は、女神様のハイボール! 略して"メガハイ"下さーい!!」
オーダーが飛び交い、いつもの喧騒が店内を渦巻く。しかし、その喧騒の裏にある厨房は、まさに地獄と化していた。
「うっわ! 熱っ! ヤバっ! 暑っ!!」
大鍋四つに、並々と油が満たされ、次々とロックバードの肉が投入される。
そこから立ち昇る湯気と熱気が、ラルフの周囲を灼熱地獄に変えていた。
「あっつっ!!! 窓開けなさい! 窓!!」
エリカも汗だくになりながら、孤児たちに指示を飛ばす。
汗まみれ、同時に粉まみれとなったラルフは、小麦粉にエリカから分けてもらった十一種類のスパイスを配合したシーズニングフラワーを混ぜる。
切り分けた肉と粉を混ぜ合わせ、両手に一つずつ摘み上げると、ワンシェイク、ワンタップの要領で、余分な粉を落としていく。その所作は、何故か、フライドチキンのチェーン店での厨房仕事を経験したことがあるかの如く、職人技だった。
客席から、その様子を見ていた聖教国の神官たちは、驚愕の声を上げた。
「見ろ。あれほどの量の油を、料理に使うというのか?」
「信じられんな……。おそらく、貴族向けの、高価なメニューなのだろうなぁ」
彼らの国では、これほどの良質な油は冬を前にしたこの時期、極めて貴重な高級品なのだ。
すると、
「本日のサービスメニュー。フライド・ロックバード、銅貨一枚でーす!」
客席を駆け回る孤児の店員が元気いっぱいに宣伝する。
「安っ!!!!」
神官たちは、あまりの安さに異口同音に絶叫する。しかも、さらに衝撃的な一言が続く。
「おかわり自由の、食べ放題でーす!」
「安すぎるっ!!!」
ラルフは汗を拭い、ふと、思い付き。カウンターでビールを傾け、お気に入りの焼鳥に舌鼓を打っていたファウスティン・ド・ノアレイン公爵にセールストークを向けた。
「ファウストさんも、焼鳥ガンガン食べて下さいね!」
すると、公爵はグラスを傾けながら、面白がるように口角を上げる。
「ふーん……。肉がそんなに余ってるのか……。ならば、鶏肉を使った、青紫蘇の餃子、揚げで。できるか?」
「はっ?! え、青紫蘇鶏肉の揚げ餃子?! また、絶妙に面倒臭い注文を……」
ラルフは、熱気とは別の種類の、冷や汗が流れ出しそうになった。
「なんだそれっ?! 美味そうだな? 俺もソレを!!」
近くの席に座っていた冒険者から、新しいオーダーが入る。
「私も食べたいっ!」
同じような客が散見され始めると、ラルフは思わず叫んだ。
「やめろっ! 真似するなお前ら!!」
いつもなら時間を頂いた上で提供するところだが、大量の肉を捌きたい今、大鍋に囲まれた灼熱の厨房に、そんな余裕は一切ない。
だが。これもまた、いつも通り、自分で自分の首を絞めた結果でしかないのだ……。
「私は、照り焼きバーガー。あとナゲットのマスタードソースと、コーラのセットで」
カウンターに座るダンジョン・マスターのスズからも、追い打ちをかけるように注文が入る。
「またメンドクセーもんをっ!!」
ラルフは憤慨した。
「ああああぁ! もう無理!! 厨房の窓、全部開けなさいっ! 裏口も開けなさい!!」
エリカは我慢に耐えかね、汗と金髪ツインテールをふり乱し叫んだ。
大鍋から立ち昇る熱気が厨房を満たし、サウナ状態は既に限界を超えていた。
メイド達や孤児達が協力し、窓と裏口を開け放つ。外の冷たい空気を取り入れ、熱気を外に逃がすためだった。
しかし、
それが、また誤算だった。
熱気と同時に、外へと溢れ出したのは、スパイスと香ばしい油の匂い。
風に乗り、その食欲をそそる魔性の香りが、更に多くの客を誘惑することになる。
その夜、居酒屋領主館は、創業以来、最多来客数を記録したのだった。




