296.弁当売り
王国騎士団第三方面部隊所属、クランク・ハーディーは、ほとばしる汗の塩辛さとともに、己の迂闊さと不運を呪っていた。今、まさにこの時が、騎士としての彼の終焉であることを、肌で理解していた。
「ケッ。調子に乗るとは、俺もまだまだってことか……」
呼吸は荒く、肺は悲鳴を上げ、残された体力は、もう砂時計の最後の数粒だ。
目の前には、黒々とした巨大な影が立ちはだかる。階層守護者たるリヴィング・アーマー。その鉄の巨躯は、ダンジョンの深淵そのものの威圧感を放っていた。
「コォ……コォォォ……」
甲冑の隙間、特に兜の奥からは、まるで生物のように荒い息遣いが聞こえ、瘴気を帯びた白湯気が、薄暗い空間に立ち昇る。
クランクは、チラリと背後を振り返る。
同行した同僚の騎士達は、壊滅という言葉がふさわしい有様だった。幸いまだ死者は出ていないが、強敵との激戦で、剣は折れ、防具は見るも無残に砕けている。この惨状では、地上への生還は絶望的だ。
クランクは、聖剣:ユグドラシアを握りしめた右手に、再び全身全霊の力を込め、モンスターへ向き直る。
この無謀なダンジョン行軍訓練は、彼の企画立案によるものだった。聖教国で育った彼にとって、ダンジョンは封印すべき「穢れ」であり、このような訓練は未経験。だが、王国騎士団に加わった今、彼は己の力を証明したかった。
ことの発端は、ロートシュタイン領。居酒屋領主館で酒に酔い、東のダンジョンの最深到達記録を塗り替えてやると、大言壮語してしまったのだ。その威勢に惹かれ、剣技に自信を持つ荒くれ者の騎士達も参加を表明した。
そして、眼前のこの強敵——リヴィング・アーマー、個体名:ランペイジを打倒すれば、その野望は達成されるはずだった……。
「クソっ! ミラ中隊長の忠告は、聞くべきだったな……」
今更ながら、後悔の念が胸を抉る。
あの剛勇な女騎士でさえ、この魔物の前には敗走したことがあるという。その敵を討てば、かつて自分を打ち負かした彼女を見返せる。そんな幼稚な打算が、心の奥底にあったのかもしれない。
「コォ……コォ……」
ガシャリ! ガシャリ!!
重厚な鉄の足音を立て、ランペイジが歩を進める。空間を揺らすその一歩一歩が、終焉の足音に聞こえた。
クランクはユグドラシアをゆっくりと構え直す。
彼の瞳に、まだわずかに残る闘志の炎が揺らめいた。自分を殺す存在に対して、その目を逸らさず、鋭い光を向けるのは、騎士としての誇りか、それともただの頑固な意地か。
こうなれば、剣を究めんとする者として、壮絶に散るのみ。
しかし、人生の最後の瞬間に、一つだけ後悔があるとするならば……。
「ハァ……。ラルフ様のメシ、また食いたかったなぁ……」
クランクは、力なく呟いた。
あの破天荒な大魔導士、ラルフ・ドーソンが経営する居酒屋領主館。そこで供される、常識を超えた魅惑のグルメの数々。毎晩のように繰り広げられる、喧騒に満ちた賑わい。短い間だったが、あれほど楽しかった場所はない。気の置けない仲間もできた。
もう、あの場所へは戻れない。
それが、ただただ悔しかった。
その時、走馬灯のように、あの領主ラルフの声が、やけにはっきりと聞こえてきた。
「弁当はいらんかねぇ〜? 弁当〜。弁当だよ〜」
いつもの、間の抜けたような調子。
(まさか……幻聴か)
そう思った、その直後だった。
「弁当〜。オニギリと卵焼きのセットだよ〜。弁当はいらんかねぇ〜」
確かに、このダンジョンの最深部付近で、その声は響いた。
「って、ラルフさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?!」
クランクは驚愕に目を見開き、もはや絶叫というより盛大なツッコミを入れながら、勢いよく振り返った。
「おー! クランクさん! どうしたんです? こんなところで? 弁当いる?」
ラルフは、首から提げた板状の簡易売り台を両手で抱え、そこにズラリと並ぶ弁当箱を広げていた。完全に行商人の体裁だ。
「いや……いやいやいや! そりゃあこっちの台詞ですけど?! なんでこんなダンジョンの下層で領主様が弁当なんて売ってるんですか?!」
すると、ラルフは少し困った顔で、頭を掻いた。
「いや〜、それがね。またしても全自動タマゴ割り機が暴走しちゃって……。なんとか売って捌かないと、全部悪くなっちゃうからねぇ……」
そんな理由で納得できるはずがない。
「だからって、なんでダンジョンに?!」
「この時間だと、冒険者の皆さんはだいたいダンジョンに潜ってるでしょ? なら、居酒屋オープンを待たずに、こっちから売りに行ってやろうと! ……もう、大変だったんすよ〜。メイドも孤児達も、てんてこ舞いで……」
ラルフは、うんざりとした表情で愚痴る。
「今こっちも絶賛てんてこ舞いですからっ?! アレが見えないんですか?!! アレが!!!」
クランクは、巨大なリヴィング・アーマーを指差した。
まるで、自分を無視して謎の寸劇を始めた人間にブチ切れたかのように、ランペイジは、天高く巨大な剣を振り上げた。
「ん? メタル・ゴーレムか? もしくは、オートマタ? ……いずれにせよ、食えない、か……」
魔導研究者としての一面を持つラルフは、モンスターの生態を冷静に分析しつつ、居酒屋のオーナーとしては食糧にできない魔物に興味はないらしい。どことなく残念そうだ。
「なんとかして下さいよ!! 大魔導士なんでしょ!!!」
いよいよ、ランペイジは巨大な剣を振り下ろす。
それは、暴風の如き破壊力を以て、二人に迫った。
「んもう……。しょうがないなぁ〜、クランクくんは〜」
ラルフは、おそらく彼の前世で愛された青色の猫型ロボットを彷彿とさせる、わずかにダミ声のモノマネをしながら、マジック・バッグの中をごそごそと漁りだした。
「タッタララッタラッタッタ〜♪ 魔導対戦車ライフル〜!」
取り出されたのは、クランクの目から見ても、明らかに常識を超えた、とんでもなくヤバそうな代物だった。
ラルフは、身体強化の魔法を全身に纏い、その巨砲を軽々と構える。
刹那、空間から音が消えた。
いや、あまりにも非常識な爆音とマズルフラッシュがダンジョン内部を満たしたため、誰もがその光景を脳で処理しきれなかったのだ。
雷撃のような速度で放たれた13.2x92mm 魔導TuF弾は、ランペイジの胸甲に吸い込まれ、意外と小さな穴を穿つ。すると、一瞬遅れて、背中からまるでドラゴンのブレスと見紛うほどの火花と爆炎が噴き出した。
その巨大な鎧は、ゆっくりと傾き、ドーン! と地響きを立てて倒れた。やがて、その骸は光に包まれ、ダンジョンに生み出されたモンスターとしての宿命に従い、粒子となって消滅した。
「……もう……。むちゃくちゃだ……」
クランクは、その場にへたり込み、あまりにも非日常的な光景に、呆然と呟いた。
しばらくして。
「ムシャムシャ。うんまぁ〜! 助かったぜ! 領主さま!」
「まさに、救世主だぜ! 俺はアンタに一生ついていくぜ!!」
瀕死ともいえるほどボロボロだった騎士達も、ラルフの治癒魔法で瞬く間に癒され、今は地面に座り込み、弁当をかっ食らっている。
「ほうじ茶いる人ぉ〜?」
「はい! はいっ!」
「くれー!」
ラルフは、金色のヤカンを手に、車座に座る騎士達にお茶を注いで回った。まるでピクニックのような光景だ。
「あぁ〜、美味いっ! 生きてる実感を、これほどまでに感じたのははじめてだぜ!!」
クランクも、オニギリを頬張り、更に卵焼きとウインナーを次々と口に放り込む。
オニギリの中身は、ネギ味噌と、ツナマヨ。
卵焼きは、少々甘く、少々塩っぱい。
ダンジョン攻略で疲弊した身体には、この濃い目の塩分がたまらなく沁みる。死を覚悟した身体に、領主の細やかな心遣いが、再び生きる活力を与えてくれるようだった。
「はーい。弁当一つ、銅貨一枚だよぉ。お茶はサービスね!」
ラルフは、手を差し出し、金を徴収する。
これは施しではなく、あくまで商売だという体裁。騎士達は、たまたま行商に来たら、偶然彼らを助ける羽目になったという体裁を繕うことで、彼らに借りを感じさせないという、ラルフの貴族ならではの遠回しの気遣いだと勘違いした。
その結果、騎士達のラルフに対する信頼感と忠誠心は爆上がりしているのだが、ラルフは知る由もない。彼は、ただ材料費を回収しようという、ごく普通の魂胆だったのだ。
「う、う、うぅ……。ラルフさまぁ……」
一人の騎士が感涙に震えながら銅貨を差し出すと。
「え? 何? お金ないの? 泣くほど?! なら、ツケでもいいけど?!!」
またしても、盛大な勘違いをしていた。
全員の傷が癒え、腹を満たした騎士達が人心地ついた頃。
「さーて……。この先にも、お客さんはいるかなぁ?」
ラルフは立ち上がり、まるで近所を散歩にでも行くような気軽さで、ダンジョンの更に下層に進もうと歩き出す。
クランクは慌てて立ち上がる。
「いや! ラルフ様! この先に冒険者はいませんよ!! ここが、最深部到達記録です!!」
それを聞くと、ラルフは首を傾げた。
「えっ? そうなの? ウ~ン……、どうしようかなぁ。じゃあ、西のダンジョンにでも行ってみるかぁ」
またしても、とんでもないことを言い出した。
「というか……。ラルフ様、到達記録に興味ないのかなぁ?」
「そういえば、あの人って、特級冒険者票保有者なんだよなぁ……」
「これから西のダンジョンに潜るって、飲み屋じゃないんだぞ? ダンジョンの"ハシゴ"って、聞いたことあるか?」
騎士達はヒソヒソと、ラルフのヤバさを改めて認識していた。
「じゃ! またねー! 皆さん。あっ、どうせ。今夜も、居酒屋領主館に来るよね?」
気軽に告げるラルフ。
クランクをはじめとした騎士達は、
(いや、行くけどさ……)
と、もはや行かなければならないと、諦めるしかなかった。
「西のダンジョンって、メンドクセーんだよなぁ。第三階層で、ハイ・オーガいるんだよなぁ……」
ラルフはそんな愚痴をこぼしながら、のんきに歩き去る。
もはや、ラルフによって命を繋いだ騎士達は、
(もう、この人一人いれば、王国騎士団、いらないんじゃないか?)
と、呆れてしまいそうになる。
しかし。そんな恐ろしい思考は、考えたら終わりなのだと、皆、深く理解していた。




