29.踏み込んだ女騎士
ミラ・カーライルが足を踏み入れた「居酒屋領主館」は、彼女が知るどの場所とも違っていた。
活気と喧騒が渦巻き、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。明らかに王国騎士団の支給品である軽鎧を身につけ、金髪に青い瞳の彼女は、どこか場違いなのを自覚するような緊張感を漂わせながら、空いていたカウンター席に座った。
「なんか、絵に描いたような。女騎士さんが、来た。『くっころ!』って言ってくれないかなぁ?」
彼女の姿を見たラルフの正直な感想だ。もちろん、口にはしない。しかし、彼の顔には、新たな面白いものが現れた時の独特な好奇心が浮かんでいた。
興味を持ったラルフは、普段は孤児たちやメイドに任せている給仕の代わりを買って出た。
「いらっしゃいませ。初めてのお客さんですよね?」
ラルフの声に、ミラはピクリと反応し、顔を上げた。
「あ、はい。あなたが、この店の、マスターか?」
ミラの問いに、ラルフはにやりと笑った。
「あっ、そこは。『あながマスターか?』って言ってもらっていいすか?」
ラルフの突然の要求に、ミラはきょとんとした顔をした。
「え?」
「ごほん! いえ、ごめんなさい。ども。私、ラルフ・ドーソンです」
ラルフは、わざとらしく咳払いをして、自己紹介をした。ミラの顔色が変わる。
「えっ! 大変な失礼を! 公爵殿!」
ミラは、慌てて席を立ち、片膝をついて頭を下げようとした。
「いや、いいから! そういうのいいから! ここじゃ俺はマスターだから! で、ここは居酒屋なんだから、飲んでくんでしょ? あとは、色々あるから、食べたいもの頼んで。はい、これ"お通し"」
ラルフは、そう言って、小さな小鉢をミラの前に置いた。漬物と、豆のようなものが入っている。
「これ、サービスね。つまりタダ! メニュー見て、食べたいもの、好きに頼んで」
メニューを差し出されたミラは、戸惑った。彼女は、このような場所で食事をした経験がほとんどない。周りを見渡すと、「ラーメン」とか「ギョーザ」とか「カラアゲ」とか、聞いたことのない、しかし人々が楽しそうに口にしている料理の名前が飛び交っていた。
「葡萄酒を、甘いやつが好きです。あとは、このラーメンと、ギョーザとカラアゲを」
ミラは、メニューを指差しながら、おずおずと注文した。
「ラーメンは大盛りを、ギョーザは、うん。五枚下さい。カラアゲは、とりあえず十個で」
彼女の注文を聞き、ラルフはわずかに目を丸くした。
「結構量ありますよ? 食べられます?」
ラルフが問いかけると、ミラは自信ありげに答えた。
「ああ、見る限り。ちょっとこの店の一皿は少ないな。おそらく大丈夫と思われますよ」
その言葉に、ラルフは苦笑した。また、ちょっと濃いキャラが増えたなぁ、とラルフは感じた。この女騎士が、居酒屋領主館にどんな騒動を巻き起こすのか、ラルフは早くも密かに楽しみにしているのだった。