273.激戦と観戦
聖剣騎士、クランク・ハーディーの意識は、まるで粘度の高い泥沼の深淵から、強引に呼び戻された。
頭を金槌で打ち砕かれたような激しい痛みと、内臓を雑巾のように絞られるような凄まじい不快感が全身を蝕む。
鉛のように重い瞼をこじ開けると、視界いっぱいに広がる、雲一つない鮮やかな青空。
どこからか、人々の怒号と、金属が激しくぶつかり合う、耳障りな甲高い音が聞こえてくる。
重い首をゆっくりと回し、視界を巡らせると、自分は巨大な天幕のすぐ外、簡素な野戦ベッドに横たえられているらしいことが分かった。
周囲には、見慣れない人々――恐らく、敵である王国の冒険者たちが、同じく倒れた聖教魔導士や、聖剣騎士たちの応急処置にあたっている。まるで、臨時の野戦病院だ。
すると、その青空を背負うようにして、一人の若者がこちらを覗き込んだ。
「おっ! 目、覚めましたねっ?」
その軽薄なまでの爽やかな笑みは、場違いなほどに陽気だ。
確か、この男は……。
「大魔導士……、ラルフ・ドーソンか……」
クランクは、掠れた声で、その名を呟いた。
その名は、ここ聖教国にまで轟いている。王国における若き天才魔導士。たった一人で、共和国との戦争を終結させたという、まさしく「生きる伝説」。数々の魔導理論を発表し、新たな魔導具を発明し、この世界に大きな変革をもたらした天才研究者。
「腹、減ってます?」
と、ラルフは戦況とは全く関係のない、唐突な質問を投げかけてきた。
しかし、クランクは気怠さに耐えながら、どうにか上半身だけを起こし、ぼさぼさの髪を掻きむしった。
「何が、どうなって、どうなったんだ……?」
その問いに、ラルフは肩をすくめながら、愉快そうに答える。
「……まあ、ご覧の通りですな!」
ラルフが指し示す方へ、クランクは目を向けた。
聖教の大教会へと通じる、白く壮麗な石造りの橋の上。
そこには、まさに乱戦の様相を呈していた。
王国の冒険者たちと、聖教側の騎士たちが入り乱れ、剣戟が交わされ、火魔法の閃光が飛び交う。それは、戦場さながらの、凄惨な光景だった。
冒険者のヒューズが、その巨躯に見合う大剣を一閃。
「うわぁぁぁぁぁっ!!!」
その剣の軌跡を受けた五人もの聖剣騎士が、一斉に悲鳴を上げながら、ドボーン! と、橋の下の湖へと盛大な水飛沫を上げて落水する。
「《爆衝撃波》」
パトリツィア・スーノの右腕に顕現させた炎の精霊の口から、凄まじい高エネルギーの塊が放たれる。
ドゴォォォォォォォん!
爆発と、濛々と立ち昇る黒煙によって、十人ほどの聖剣騎士がまとめて吹き飛ばされた。
「この異教徒めがぁぁぁぁ!」
ファウスティン・ド・ノアレイン公爵の背後から、不意打ちで斬り伏せようと忍び寄った聖剣騎士がいた。
「ふんっ!」
ズドンッ!!!
ファウスティンは、脇の下から背後に向けて、水平二連銃魔導銃:スクリーミング・ディーモンを発射する。
「ぶべろっ!」
腹部に非殺傷弾を受けた聖剣騎士は、蛙のように弧を描いて吹き飛ばされ、湖へ着水した。
また、別の場所では、
「うぎゃ~!!! なんだ?! なんだこれっ?!」
「ああ、女神様……。何故に、我を見捨てたもうか……」
と、絶望の悲鳴を上げる聖剣騎士がいた。
湖面からニュルリッと現れた巨大な触手に搦め捕られ、水中に引き摺り込まれていく。
それは、テイマーのヴィヴィアン・カスターがテイムした、水棲魔獣"テンタクルス"の仕業だった。
「その赤髪の女を止めろぉ!!!」
「や、ヤバい! 強すぎるっ!!」
聖剣騎士たちを神速の太刀筋で切り刻んでいくのは、大刀を舞い踊るように振るう、赤髪のメリッサ・ストーン船長。
そして、彼女は戦いの最中に、思わず声を上げた。
「うんっ! スズさんに勧められて使ってみれば、これは、良いではないかっ!!」
彼女の身長をも超える長さの大太刀を、彼女は愉悦の表情で見つめている。
その隙を逃すまいと、
「と、止まったぞ! かかれーっ!!」
聖剣騎士たちが彼女に殺到した。
しかし、メリッサは冷静だった。
「むっ? フィセ……頼む……」
「オーキードーキー!!」
小柄な女性砲手、フィセは、凶悪な武器を構えながらも、どこか愉悦に満ちた表情で、超音衝撃網砲:ネザー・キャスターをぶっ放した。
次の瞬間、
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
聖剣騎士たちは、目に見えぬ速度で飛来した網に搦め捕られ、文字通り一網打尽となる。
「ふっふっふ……。大漁、大漁……」
フィセはそう言いながら、巨大な団子状になった獲物たちをズルズルと引き摺りながら歩き去っていく。
その様子を一瞥したクランクは、呆れと諦念の混じった溜息をついた。
「あー……。こりゃぁ、終わったな……。聖教国は、おしまいだわ……」
クランクは、まるで他人事のように呑気に言い放った。
しかし、ラルフは訂正する。
「いや、だから、侵略しにきたわけじゃないですからね? あくまでも、聖女解放が目的ですから……」
ラルフは、改めて自分たちの本来の目的を告げた。
すると、そこへ、救護班の冒険者に抱えられ、あの偉そうな態度の老年聖剣騎士が、血を流しながら運び込まれてきた。
「痛い! 痛いぞぉ! 死ぬぅぅぅぅぅ! 儂は、死ぬぅぅぅぅ!!」
背中を派手に斬り裂かれた傷口を抱えながら、その老騎士は、芝居がかったように大袈裟に喚き散らす。
うんざりしながら、ラルフは魔法を唱えた。
「《低級治癒》」
淡い光とともに、その酷い傷は急速に塞がれていく。
「はぁ、ハァ……ハァ……。この、クソ異教徒の侵略者めぇ! こんなことをして、タダで済むとでも……」
傷が塞がった途端、老騎士はラルフを殺さんばかりに睨みつけた。
瀕死の重傷を負いながらも、意識を保ち、まだ負けを認めないその気概には、クランクすら尊敬を禁じ得ないが、状況はあまりにも絶望的だ。
「おい、ジジィ……。もう終わりだよ……。見てみろよ……。どうやって、ここから巻き返すんだよ?」
クランクは、呆れたようにたしなめた。
「き、貴様ぁ……。農奴如きが、まだ生きておったのかぁっ?!」
老騎士は、なぜか同じ聖剣騎士団の、あろうことか騎士団長であるクランクに敵意を向けた。
このままでは、面倒な喧嘩に発展しそうなことを察したラルフは、もうどうでもよくなったとばかりに、場の空気をぶち壊す。
「もうっ! いいからさぁ~。なんか、食いたいものある?! 酒もあるし!! 色々用意してるからさ!」
ラルフがもたらした異世界の美味を食らわせれば、大抵の人間はなんとかなる!
というのが、彼の持論なのだ。が……。
「酒をくれ。なるべく、強いやつを……」
クランクが、そう要求した。
と、同時に、
「穀物酒はあるか?」
と、老年の聖剣騎士も続いた。
「……うん?」
「……はっ?」
聖剣騎士、二人は顔を見合わせる。
「ジジィ! なんで、酒を知ってるんだよ!! お前、清貧こそが美徳とか言って、俺らに固く禁じてたよな?!!!」
「お前こそ!!! まるで日頃から酒を嗜んでいるかのような言いようだったなぁ?!!!!」
案の定、盛大な喧嘩が始まってしまった。
ドンっ!!!!!!!!
ラルフは、彼らの間に、ガラス瓶のボトルを叩きつけるかのように置いた。
そして、鋭い眼つきで言い放った。
「これは、聖教国の農奴達が密かに造っていた、トウモロコシとライ麦の酒だ……。それを、蒸留魔法によって、さらに酒精を高密度にした。……超高級なボトルだ……。王国でも、貴族階級しか買えない、とても、高価なモノだ……」
その言葉に、敗北し、捕虜となった二人の聖剣騎士は、
ゴクリっ!!! と喉を鳴らした。
確かに、聖教国に生まれ、数々の因縁や、教義の制約を踏まえて、二人はここにいる。
しかし、もはや目の前の未知の美酒を前に、どうでもよくなってしまった……。
大教会の橋上で行われる戦いを肴に、未知の酒が喉と脳を焼く。
いつの間にか、二人は酒瓶を奪い合うように飲み始め、やいのやいのと、戦場にヤジを飛ばしだす。
「おっ!!! ラファエロが吹き飛ばされたぞっ!!!!」
「ハーハッハッ!! 修行が足らぬわ!! あの青二才が!!」
「あー……。今度は、中隊長が、髪を焼かれたなぁ……」
「うっわ……。どうすんだ? もう、毛根は壊滅してるのに……」
何故か、泥酔した二人は、まるでスポーツ観戦をする居酒屋のオッサンのように、橋の上の激戦をグラス片手に楽しみ、見物し始めた。
ラルフは、ため息まじりに言った。
「そろそろ……。最終局面だな……。教皇様が、話合いに応じてくれればいいけど……」
しかし、クランクと老騎士は、顔を見合わせる。
「それは、……無理だな……」
と、クランク。
「ああ……無理だ……」
と、老年の聖剣騎士。
その言葉を聞いたラルフは、目の前の聖剣騎士二人が、酒の力であまりにも俗っぽく変貌したのを見て、もう面倒くさくて仕方がない……。




