27.何が起きてるんだ?
時が流れ、季節は巡った。領主館の執務室で、ラルフは目の前の収支表を眺めながら、思わず呟いた。
「めっちゃ儲かっとんがな?!」
それは、株式会社グルメギルド出版の最新の収支報告書だ。予想を遥かに上回る桁数の利益に、ラルフは目を丸くしていた。
「そうですね。写本師を増員して、増産にあたっていますが。製本すればするだけ売れる、という状況です」
アンナが、いつもの冷静な口調で答える。彼女も、その数字には驚きを隠せないようだった。
「高いよね? 値段」
ラルフは、改めて本の価格を確認した。前世の感覚からすると、この世界の紙媒体はかなり割高だ。しかし、これだけの利益が出ているということは、売れ行きに全く影響していないということだ。
「そうですか? 普通ですよ?」
アンナは、首を傾げた。この世界の価値観では、妥当な価格なのだろう。
「あー。まあ、そうか」
ラルフは、納得したように頷いた。
「特に、ヨハンの企画はかなり"当たって"ますね」
アンナの言葉に、ラルフは「うげっ」と声を漏らした。
「あれさー。僕も読んだけど。あれ、レシピ本じゃないよね? ストーリーじゃん? いや、レシピ確かに書かれてるけど、あれ、僕の自叙伝みたいじゃね?」
ヨハンが手がけたレシピ本は、単なる料理の作り方を記したものではなかった。
ラルフが異世界の料理を開発していく過程を、まるで英雄譚のようにドラマティックに描き出し、その中にレシピを散りばめるという、斬新な構成だったのだ。
特に、彼が「殲滅の魔道士」として極大魔法を使うシーンは、なぜか居酒屋で料理を作るシーンと並んで詳細に描かれ、読者の心を掴んでいた。
「仕方ないですよ。彼は元々、英雄譚が好きですから」
アンナは、くすくすと笑った。
「でさ、カイリーの記事さ。これ凄いよね? 我がロートシュタイン領の"名店探訪"ってさ、あの子、孤児だよね? どんだけ外食してるの?」
カイリーは、領地内の飲食店を食べ歩き、その様子をグルメレビューとして記す記事を連載していた。彼女の繊細な味覚と、表現豊かな文章は、読者からの絶大な支持を得ていた。
「そりゃあ、経費もありますし。給金もかなりもらってますし。なにより、グレン子爵と仲良しですよね。グレン子爵のところに、養子入りするみたいな話も進んでいるみたいですよ?」
アンナの言葉に、ラルフは驚きに目を見開いた。
「知らんかったー!」
グレン子爵の食への探求心が、カイリーの才能と結びつき、まさか養子の話にまで発展しているとは。ラルフは、改めてグレン子爵の行動力と、カイリーの才能に感嘆した。
「で、ヘンリエッタの、この、"スイーツ・ヒストリー"って、これなんなの? あの子にはパンケーキくらいしか教えてないんだけど? 王国の砂糖菓子の歴史を文化体系的にまとめた、"民俗学的学術書"になってない?」
ヘンリエッタが執筆した甘味に関する本は、単なるレシピ集ではなかった。王国の砂糖菓子の起源から発展、そして各地域の食文化との融合までを、綿密な調査と考察に基づいてまとめた、本格的な学術書になっていたのだ。
「彼女は、今大忙しですよ。今度、王城に招かれてますよ」
アンナの言葉に、ラルフは絶句した。
「いや、何が起きてんの?」
自分の意図とは全く異なる方向で、彼らの才能が花開いていることに、ラルフは困惑していた。
「すべて、旦那様の思し召しかと?」
アンナが、にこやかにそう言うと、ラルフは諦めたようにため息をついた。
「うん! とりあえず。そろそろ居酒屋の準備だね!」
ラルフは、現実逃避するかのように、そう言って立ち上がった。しかし、時計に目をやると、まだ昼前だった。
「旦那様、まだ。早いです。全然早いです」
アンナが、冷静にラルフを諫めた。ラルフは、既に今日の執務を終えてしまっていたのだ。
他領の領主は、何人も文官を雇い、朝から晩まで忙しい忙しいと言っているのが、ラルフには信じられなかった。前世で小さな広告代理店で経理と営業をやってきたラルフにとっては、この世界の事務仕事は、あまりにも簡単すぎたのだ。彼は、魔法と前世の知識を組み合わせることで、どんな複雑な業務も瞬く間に終わらせてしまう。
「しかし、もう少し、うちの店、楽になっても良いよなぁ」
ラルフは、独り言のように呟いた。居酒屋領主館は、連日大盛況で、客が途切れない。
「はぁ、暇なのがいいのか、忙しいのがいいのか? 旦那様はどちらをお望みなのですか?」
アンナが、呆れたように問いかけた。
「いや、でもさぁ。レシピが公開されたのに。うちの店だけ忙しいのは、なんなんだろうって?」
ラルフは、腕を組んで首を傾げた。株式会社グルメギルド出版が成功し、レシピ本が巷に溢れているというのに、居酒屋領主館の混雑は一向に解消されない。
むしろ、増えているようにも感じる。
「たしかに、それは謎ですね」
アンナも、その謎には答えられないようだった。領主ラルフ・ドーソンの、終わらない暇潰しと、それに伴う領地の変革は、まだ誰も予測できない方向へと進んでいくのだった。




