25.レシピ大渋滞!
領主館の執務室で、ラルフは目の前の光景をぼんやりと眺めていた。執務机には書類の山が積まれているはずだが、今は空いている。
代わりに、その前に立つのは、金髪ドリルツインテールのエリカと、領主館に出入りする一人の商人だった。
「目先の利益に目が眩んでる場合じゃないでしょ! もっと長い目で見ればこれからも伸びていく事業なんだから、そこは荷馬車にもちゃんと価格転嫁してあげなさいな!」
エリカの声が、執務室に響き渡る。その口調は、かつての高慢な貴族令嬢のそれだが、言葉の内容は、的確に商売の本質を突いていた。
「しかし、魔導車が広まりつつあり、荷馬車屋も値段を下げざるを得ない状況でして……」
商人は、困惑したように弁解する。魔導車の登場は、物流業界に大きな変革をもたらしつつあった。
「そんなの言い訳でしょう! その荷馬車屋も今のうちに稼いでもらって、設備投資して魔導車を購入できるようにしてあげなさいよ! そうしたらあなたの商会だって儲けは出るようになるんだから!」
エリカは、鋭い眼光で商人を射抜いた。彼女の言葉は、短期的利益だけでなく、長期的な視点に立ったビジネス戦略を示唆していた。
「なかなか、やりますね」
傍で見ていたアンナが、目を丸くして感心したように呟いた。
「だろ? ちょうどいい。居酒屋以外の時間は、アイツには交渉事やらを任せよう」
ラルフは、満足げに頷いた。まさに渡りに船だ。
「孤児院に入れるんじゃなかったんですか?」
アンナが、以前のラルフの言葉を思い出すかのように尋ねた。
「試しに畑仕事させたらな。ヘビが出てきて泡吹いて倒れたとか」
ラルフは、困ったように頭をかいた。どうやらエリカは、外仕事には向いていなかったようだ。
「まあ、それは……」
アンナも、その報告には言葉を失った。
「まあ、いいんじゃないか? 僕の仕事、さらに減ったなぁ」
ラルフは、どこか嬉しそうに呟いた。しかし、その顔には、隠しきれない暇そうな雰囲気が漂っている。
「そういえば、商業ギルドが面会を申し込んできてますよ?」
アンナが、新たな報告をした。商業ギルドが、わざわざ領主館に面会を申し込んでくるとは、何かよほどの用件だろう。
「それもエリカに、やらせよう」
ラルフは、チラリとエリカの方を見た。
「どうせまた街道の整備やらなんやら、公共事業なんていくらでも湧いて出るわよ。まず人員確保が最優先じゃなくて?」
エリカは、商人を相手に、全く物怖じすることなく、次々と論破していく。その手腕は、もはやベテランの交渉人さながらだった。
「いやはや、かないませんなぁ」
商人は、最終的にエリカの意見を受け入れたようだ。順調な滑り出しだ。
エリカの交渉術は、ラルフの予想をはるかに超えていた。彼女は、持ち前の高慢さと、貴族としての教養、そして何より、状況を的確に判断する冷静な頭脳で、次々と商談をまとめていく。
ラルフは、暇を持て余し、執務室の窓から庭をぼんやりと眺めていた。
書類の処理に関してはラルフが行っているが。彼女は、ラルフが前世の四則演算と簿記の知識で作り上げた複雑な計算表も、あっという間に理解し、さらに改善案まで提示してくる始末だ。
「いや、やっぱり。僕から出向くか」
ラルフは、突然立ち上がった。アンナが驚いたように問いかける。
「あれ? どうなさったのですか?」
「いくらなんでも、暇だ」
ラルフは、そう言って執務室を後にした。彼の目的地は、商業ギルドだ。
商業ギルドの入り口にラルフの魔導車が停まると、ギルドの職員たちが慌てて飛び出してきた。ギルマスを含めた上層部が、深々と額づいてラルフを迎えた。
「領主さま、まさか自らお出ましになるとは……!」
ギルドマスターが、恐縮しきった様子で言った。
「いや、ちょっと暇を持て余してな。何か手伝えることはないかと」
ラルフは、いつもの調子でそう答えた。しかし、ギルドマスターは、その言葉に顔を引き攣らせた。
「と、とんでもございません! むしろ、どうか、もう……どうか、ご勘弁ください!」
ギルドマスターが、震える声でそう叫んだ。ラルフは、何のことか分からず、首を傾げる。
「どういうことだ?」
「領主さまが、次々に提出なさるレシピの登録作業で、もう業務が立ち行かなくなっています! このままでは、ギルドが破産します!」
ついに、商業ギルドが音を上げてしまった。ラルフが居酒屋領主館で開発した新たな料理のレシピは、商業ギルドに登録され、商業ギルドの大きな収益源となっていた。しかし、そのあまりの量と、奇抜な内容に、ギルドの登録部門は完全にパンク状態なのだという。
ラルフは、ギルドマスターの悲鳴を聞きながら、乾いた笑いを漏らした。まさか、自分が暇を持て余して開発した料理のレシピが、商業ギルドをここまで追い詰めることになるとは。
「それは、すまなかったな」
ラルフは、心から申し訳なさそうに謝罪した。しかし、彼の頭の中では、すでに次の新メニューのアイデアが、次々と湧き上がっていた。商業ギルドの悲鳴は、まだ始まったばかりなのかもしれない。




