243.孤児達の不合理
領主館の裏庭で、謎の蒸留酒音頭騒動が巻き起こった、時を同じくして。
ミンネとハル、居酒屋領主館で働く二人の孤児は、畑の土を払いながら、収穫の喜びと、それとは裏腹な奇妙な悩みを抱えていた。
周囲では、幼い孤児たちが土まみれの顔で笑い声を上げ、先日生まれたばかりの子狼たちが、
「キャンキャンキャン!」
と元気いっぱいに跳ね回る。
その微笑ましい光景は、ここが領主ラルフ・ドーソンの気まぐれとも、合理的思考ともとれる「人員補填の削減」によって、大人の管理人が不在となった孤児院であることを忘れさせる。
かつて切り盛りしていたシスターのエヴリンは、今や金融機関の会頭として多忙を極める身。残された子供たち、特に年長組は自立心が強く、手に職をつけ、年少組の面倒も見ながら、居酒屋領主館との二拠点生活で孤児院の自助を確立していた。
この日、まず現れたのは、三輪の魔導車:ミニゼットを駆る"陽だまりラーメン食堂"の店主、ペニーだ。
「おはようー。ミンネちゃん。パンの差し入れ、持ってきたよー」
荷台から木箱を下ろす彼女の明るい声に、ミンネは土で汚れた手をパンパンと叩き、
「いつもありがとうございます! 本当に……」
と、心からの笑顔を向けた。
ペニーは慣れた様子で、焼きたてのパンが詰まった木箱を孤児院へ運び込む。元宿屋の大きな焼き窯で受け継いだパンづくりは、彼女の得意とするところ。そして、その対価を求める。
「じゃあ、また色々貰っていっていい?」
「どうぞー。おイモもありますし、カボチャも、あと。果物も色々ありますのでぇ」
これは、物々交換。
施しではない、対等な"取り引き"だ。持ちつ持たれつ、ロートシュタインの共同体としての営みが、自然な流れで成り立っている。ペニーはミニゼットの荷台を野菜と果物で満載し、ホクホク顔で去っていった。
次に姿を見せたのは、冒険者ギルドのギルマス、ヒューズ。背負い籠を背負い、井戸端で芋を洗うハルに声をかけた。
「よう。お前ら、精が出るなぁ」
「あ、どうもです! ヒューズさん!」
ハルは、獣人特有の猫耳をぴょこぴょこと動かし、律儀に答える。
「久々に、大物が持ち込まれてな。タイラント・ベアの肉を持って来てやったぞ」
籠から取り出されたのは、幾重にも葉に包まれた巨大なブロック肉。明らかに孤児院では消費しきれない、居酒屋領主館行きの食材だ。
冒険者の報酬の大部分は、居酒屋領主館で美酒に変わり、獲物は孤児たちの胃袋を満たし、孤児たちの労働は賃金となり、再び消費に回る。この複雑な経済構造について、ハルはかつて領主ラルフに尋ねたことがあった。
「なるほどね、それは、僕もわからん! っていうか、そんなことに興味を持つなんて、ハルは頭が良いんだなぁ!」
盛大な褒め言葉と、頭を撫でられた時のくすぐったい不服さを思い出す。王国を代表する魔導研究者であるラルフの言葉は、戯言ではなく、本心であると理解できたのだ。複雑怪奇な経済構造は、彼の専門分野ですら解き明かせない"難題"なのだろうか?
「何か、困ったことはないか?」
と、ヒューズが問いかける。
「ウ~ン……。今のところは大丈夫です。クレア様が毎日来るくらいですかねぇ……」
ハルの視線の先、畑の隅では、王妃クレアが子狼のモフモフとしたお腹に顔を埋め、
「すぅぅぅぅぅぅぅ、はぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
と至福の呼吸を繰り返している。うんざり顔の子狼は短い脚でテシテシと王妃を蹴るが、意に介さない。
その横で、見兼ねたお母さん狼が、
「アウアウ、アァァオーン、ワフウ……」
と何かを訴えるが、
ついには母狼もガシッ! と、捕らえられ、モフモフ天国へ旅立たされた。
「すまんが……。アレは手に負えない……。一介の冒険者では難しいなぁ」
「そうですよねぇ……」
ハルも諦めた。獣人族である彼女自身も、王妃のモフモフ偏愛の"獲物"であり、破格の高給で王宮への側仕えを勧誘されている。最高権力者たる王族の愛は、もはや誰にも止められない……。
昼過ぎ、今度は魔導二輪車:キャブにリヤカーを括り付けたエリカが、嵐のようにやってきた。
「カレー、ここに置いていくわよ!」
有無を言わせぬ調子で、孤児院の魔導コンロに巨大な寸胴鍋を置き去りにする。
彼女の日々のカレー研究の試作品が、居酒屋領主館の保冷庫を圧迫している結果だ。
ポッポッポ! と魔導エンジンの音を響かせ、エリカは颯爽と去っていった。
「今日の昼食と夕食は、どうしよう?」
ミンネとハルは、逆の意味で頭を悩ませた。
孤児院の厨房には、居酒屋領主館に関わる人々から持ち込まれた、食べきれないほどの食材の山。
残された選択肢は一つ。市場の孤児院経営の屋台で売るしかない。
ヒューズの熊肉は串焼きに、エリカのカレーは陽だまり食堂のパンと共に提供すれば、夕刻の繁忙時間に間に合うだろう。
「でも、そうすると……。また、お金、増えちゃうんだよねぇ」
「どうしよう……。もう、お金、入らないよ……」
ハルが振り返ると、孤児院の隅には金貨がこんもりと山をなす大きな壺。眩い黄金色が溢れている。
「ウ~ン……。そしたら、また投資しかないかなぁ……」
ミンネが唸る。
「また、エヴリン先生の所に、相談に行こうか……」
ハルの言葉に、年少組の子供たちが騒ぎだす。
「そうそう! トーシ! トーシ!!」
「また金貨増える〜!」
幼子たちは意味もわからず、金を稼ぐのは簡単だと信じている。
しかし、ミンネとハルは知っている。お金を稼ぐのは容易ではない。それでも、現状、お金は増え続け、月末にはラルフが運営費として何百枚もの金貨を持ってくる。
かつては貧しく、孤児院を出た後は過酷な人生が待っていると教えられて育った。
将来への茫漠とした不安は微かにあるが、このロートシュタインにいる限り、飢えることはないという確信がある。
幼い悩みの複雑さは、ロートシュタインを取り巻く複雑怪奇な経済構造よりも、よほど難解だ。
二人は、溢れんばかりの金貨を湛える壺に歩み寄った。
(いっそ、泥棒さんが来てくれないかなぁ……)
そんなとんでもない考えが、脳裏を掠める。
だが、泥棒もまた、困っての事だろうと、彼女たちの優しさは理解していた。
困っている人がいるなら差し出してもいい。しかし、異常に経済が"ぶん回る"この領地には、物盗りに身をやつす不届き者が少ないのも事実。
「じゃあ、私、市場に食材運ぶね……」
とミンネ。
「私は、エヴリンさんのとこに相談にいくね……」
二人は示し合わせたように頷いた。
一食抜くことは容易い。夜、居酒屋領主館で、お腹いっぱいの賄いが待っているからだ。
「貧乏暇無し」とラルフから聞いた言葉を思い出すが、
お金があっても、忙しいではないか?
幼い少女二人は、その不合理に首を傾げるしかなかった。




