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224.クールな公爵、二人

「ねぇ、ラルフ! セスの農家から買ったお米、ちょっと変なんだけど!」


 青空が目に沁みるような真昼。ロートシュタイン領主館の執務室に、エリカの甲高い声が響き渡った。ノックもなしに飛び込んできたその勢いに、書類の山と格闘していた領主ラルフは、呆れを通り越して最早ため息すら出なかった。


「ノックくらいしろよなぁ」


 目の前のエリカは、そんな小言など聞こえていないかのように、ただただ前のめりだ。


「ちょっと見て欲しいんだけど。厨房に来てくれない!」


 そう言い放つエリカは、自分が非常識なことをしている自覚など微塵もないらしい。ラルフは、「ポンポンポンポン」と手元の書類に判子を捺きまくり、諦めたように椅子から立ち上がった。


「しかたねーなー」


 厨房へ下りていくと、そこには米を炊いた時に立ち昇る、あのふくよかで甘い芳しさが満ちていた。おそらく、またエリカは新作のカレーライスの研究に勤しんでいたのだろう。

 しかし、その匂いを嗅いだ瞬間、ラルフはエリカが言う「異変」を察知した。いつもの白米とは明らかに、かすかに違う匂いが混じっている。


「これ! これよ! なんかおかしいのよ!」


 エリカは、湯気を立てる釜の中を指差す。ラルフは、その炊きたてのご飯にしゃもじを差し込み、そっと持ち上げた。立ち昇る湯気と共に、ご飯粒が互いに強く結びつき、糸を引くような粘りを見せる。


「やっぱりな。そんなこったろうと思った……」


 ラルフの言葉に、エリカは目を丸くする。


「えっ? わかったの?」


「ああ。まあ、よくある事故、とでもいうか……。エリカ、お前が炊いたのは、餅米だ」


「モチ、ゴメ?」


 エリカは、聞き慣れない言葉に小首を傾げる。


「そう。これは、こういう強い粘りとモチっとした食感が特徴の、普通の米とは違う品種なんだよ」


「えぇぇぇぇ! お米って、そんなにも違う品種もあるの?!」


 エリカにとっては、それはまさしく青天の霹靂だった。米といえば、あのホクホクとした食感のもの一つだと思っていたのだ。確かに、品種によって微小な差があるのは知っていた。香りや、歯ごたえや、粒の大きさという、僅かな差のはずだった。


「まあな。今、ロートシュタインで手に入るだけでも、多くて十種類ほど。東大陸の南方の方では、もっと多様な米が存在する」


「えっ? じゃあ、カレーに最適な米を探求する、私の研究は……」


 エリカの瞳に、絶望の色が滲む。


「ふむ。さらに言うと、品種改良という技術も存在する。今はまだ無い、新たな品種が、これからも誕生し続けるだろうなぁ」


「果てしねぇぇぇぇぇぇぇ!」


 エリカは背中を反らし、見事なブリッジの体勢を取りながら、その研究の奥深さに叫んだ。


「というか、なんで餅米なんて仕入れたんだ?」


「だから。研究のためよ。色々なお米を試したいって言ったら、セスが色々包んでくれて。その中にこれが……」


「なるほどなぁ。どうする? これ」


「カレーに合うかしら?」


「何事も実験」


 ラルフの言葉に、エリカはカレールーの準備に取り掛かる。地下の保冷庫には、彼女の試作品のルーが山ほど保管されている。試しに、スタンダードなポークカレーのルーを温め、炊いた餅米にかけて食べてみた。


「う、うーん……。マズイわけじゃないけど……。なんか、ご飯がネチョリとして、カレーライスというか、なんか、違う料理みたい?」


 口の中でルーと一体化せず、異様な粘りを主張する餅米の存在感に、エリカは首をひねる。


「よりによって、新米だしなぁ。本来なら、もっと乾燥させてから使うものだし……」


「どうしたら……」


 悲しそうな顔で釜を見つめるエリカ。だが、この失敗作を捨てるという選択肢は、彼女の中には存在しなかった。食べられるものを捨てるというのは言語道断。"もったいない精神"は、ラルフが常日頃から口酸っぱく説き、領主館の人間たちの骨の髄まで染み込んでいる。


「まあ、そこに置いとけ。あとで、煎餅作ってやるよ」


「えっ? 煎餅って、餅米から作られてるの?」


 エリカは、ロートシュタインの市場で売られている、お気に入りのカレー煎餅を思い出し、驚きに目を見開いた。あのサクサクとした煎餅が、このネチョリとした餅米から生まれるのか、と。


「ちょっと……、餅、作ってみたくなったなぁ。エリカ、餅米、まだ残ってるか?」


 ラルフは、何か悪巧みをするような、とびきりの笑顔をエリカに向けた。



 昼下がり。ラルフは厨房で餅米を蒸し、そして領主館の庭に、ある巨大な木製品を持ち出した。


「なに、これ?」


「これは、きねうすだ!」


 それは、いつか使えるだろうと、ドワーフの木工職人にオーダーして用意させていたものだ。正月ではないが、こうして餅つきに勤しもうという魂胆である。

ラルフが腕まくりをし、杵を肩に担いだ、その時。


 庭にカーライル親子が姿を現した。騎士爵マティヤス・カーライルは、そのラルフの姿を見て、仰天したように尋ねる。


「おー! どうしたのだ? ウォー・ハンマーなど持ち出して! それで王城の正門を破るのか? とうとう謀反か? 謀反なのか?!」


 物騒極まりない問いに、ラルフは辟易する。


「いや、ハンマーじゃないから……」


「いや、どう見てもハンマーだろう」


 横から娘のミラまで反論してくる。ラルフは、それに反論できなかった。確かに、杵は、どう見ても、巨大なハンマーだ……。


 するとそこに、ダンジョン・マスターのスズもどこからともなく現れた。


 なぜか、エスキモーが着るような、フードにモコモコとしたファーが付いた赤色の暖かそうな衣服を着ており、自分も木製のでっかいハンマーを担いでいる。スズは、ラルフに対し、


「ん!」


と、青色のエスキモー服を差し出してきた。


「いやぁ~、そうじゃないんだなぁ! や、わかるよ! わかるけどさぁ、そうじゃないんだよ!!」


 ラルフは、今、別に氷の階層を登っていく気はない。ラルフはすぐに理解した。これは前世で親しんだあのゲームの文脈だと。そして、ステージクリアのために、謎の赤い鳥に捕まる気もない。


 (そういえば! 似たようなのはいる!)


 ラルフとスズは、無言で赤いワイバーンのレッドフォードを振り返った。


 突然向けられた視線に、(えっ?! なに?!!)と顔を歪ませるレッドフォードだったが、ラルフとスズはその謎のやり取りを唐突に終えた。

 レッドフォードは、不可解な人間たちの行動にドキドキしながら、そっと大きな翼を広げ、森に狩りに出掛けることにした。


「とにかく。餅つきだ!」


 ラルフは宣言する。


「いいか? エリカ。僕がこの杵をドンッ! と搗いたら、お前は濡らした手で、クルリンッ、とその餅を返せばいい。わかったな! さぁ、いくぞー!」


「ちょっと待って! ちょっと待って! わかんない! 何がどうなってどうなるの?!」


 エリカは完全にパニックだ。


「いや。だから、言った通り、ドンッ! とやって、ヒョイッ! って感じ!」


「いや、わかんないから!」


 前世で日本人として慣れ親しんだあの光景を知らなければ、この異世界の人々には、その動作を理解するのは難しいだろう。ラルフでさえ、毎年餅つきをするような旧家ではなかったが、餅つきのやり方はどこかしらで見て知っていた。


 そんな時、聞き慣れた軽い口調が響いた。


「おっ、 餅つきかよ。正月でもねーのに」


 お隣の領を治める、ファウスティン・ド・ノアレイン公爵まで、フラフラとこの庭に現れた。


「おー! 救世主あらわる! ファウストさん! "返し手"、できます?」


「あー。あれか? ペタンってやって、クルンってやるやつ?」


「そうそう! それそれ!」


 ラルフは嬉しそうだ。


「実際にやったことはないが、勘でいいか?」


「もちろん! 僕も、実際に餅搗いたことないんで」


「ふむ。じゃあ、やってみるか」


 ファウスティンは腕まくりし、水で手を濡らし、臼の前に跪く。


「まあ、何事も経験ですぜ!」


「これ、確か、掛け声いるよな?」


「おまかせしますので、良きように……」


 ラルフは杵を振り上げる。

 ファウスティンが深く息を吸い、そして――


「男は黙ってぇ!」


「勘……」


 思わず振り下ろしてしまったラルフ。しかし、謎の沈黙が訪れる。


「いや、あの。……ファウストさん?」


 ラルフは、突っ込めばいいのか、どうすればいいのか、わからなくなった。


 それを見ていたエリカやカーライル親子は、さらにわけがわからない。

 だが、ダンジョン・マスターのスズだけは、そのシュールな状況に、笑いを必死で堪え、顔を真っ赤にしていた。

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― 新着の感想 ―
なんだろこの氷河期世代刺さりまくるネタ連打 いいぞもっとやれw!
隣の公爵、転生者なの隠す気ないなw ただラルフと前世談義する気も無さそうだけど
ア〇スクライマーですか……懐かしい それに加えてポコさんネタとは、流石です社長
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