223.月に吠える
一日が終わり、人々が家路へと急ぐ頃。僕の"副業"がはじまる。
メニューは……、いろいろある。
あとは、勝手に注文してくれりゃ、できるものならなんでも作るよ! ってのが、僕の営業方針さ。
(いや、まあ、そうなんだけどさ……)
営業時間は、日暮れから、皆が酔い潰れるまで……。
人は、『居酒屋領主館』って言ってるよ。
客が来るかって? それが、結構来るんだよ……。
いや、それが……マジで、来るんだよ……。
ラルフが、前世で大好きだったドラマのモノローグを脳内再生していた。
新宿大ガード下から、歌舞伎町方面に向かう車内からの夜のきらびやかなネオン溢れる景色も、あの渋い歌声も、忠実に思い描くことができる。
だが、感傷に浸る間もなく、店内に響くのは、心地よい喧騒ではない。
常連客たちの、異様な熱を帯びた、カボチャを使ったメニューへのオーダー。それは、期待というより、むしろ非難じみた声だった。
「おい、ラルフさまよ! 絶対にもっと美味いレシピがあるだろ、このカボチャには!」
冒険者の男が、やや喧嘩腰にカウンターを叩く。迷惑千万な客だと一蹴してしまえば簡単だ。しかし、彼らの目は真剣だった。
「そうだそうだ! このカボチャは、無限の可能性を秘めている! この煮物だけで終わるわけがないだろう?! 何かを隠しているに違いない!」
「その通りだ! 美食の伝道師、ラルフ・ドーソンが、こんな平凡な煮物程度しか出せないなんて、嘘だ!」
(なんだコイツら? 一体、僕に何を期待しているんだ?)
ラルフは苛立ちを隠さず、口調を荒らげた。
「何が文句あるんだよ?! 食いたくなきゃ、食わなきゃいいだろ!!」
すると、彼らはさらに熱を上げる。
「だから! これ絶対に他のレシピもあるだろって言ってんだ!」
「そうだそうだ! 俺達の勘を舐めるな! 領主様は、確実に他のレシピを隠し持っている!」
それは、もはや料理への要望ではなく、ラルフに対する断罪にも似た、謎の確信に満ちた言葉だった。
「じゃあ、自分で作ればいいだろ?!」
ラルフも勢いのままに、尚も意地で食ってかかる。
「なんだとぉ?! やるってのか?! おうおうおう、上等だ! やったるぜぇ!!」
「それが領主さまの答えかぁ?! 嘘をつくな!!」
(……くそっ、嘘は言ってない。隠しているだけだ)
確かに、カボチャを使ったメニューは、コロッケ、グラタン、ポタージュ、そして甘味に至るまで、前世の記憶に溢れるほど思いつく。しかし、なぜか今、この場でそれを明かすのが、自分の敗北のように感じてしまう。変な意地だ。おかげで、居酒屋の中は、熱狂と興奮が渦巻き、まさに暴動寸前の様相を呈していた。
「何故にそんなフワフワとした、曖昧な想像の要望を聞き入れなきゃならんのだ?! 具体的に言えよ! 具体的に!」
ラルフの怒声にも臆することなく、常連たちは次々と意見を投げつける。
「コロッケはどうだ?! 衣で揚げたら、絶対に美味い!」
「テンプラは?! サクサクの衣の中に、ホクホクの甘さが……!」
「あのっ! もしかして、甘味にもなるのではっ? ケーキとか!」
(くっそぉぉぉお……こいつら、いつの間にか、謎のグルメ・リテラシーを身に付けやがって!)
食いたい物があるなら、自分で作れ! そう叫びたい衝動に駆られた、その時。
「カボチャとキノコで、秋の味覚満載カレー作ってみたわよー! 食べたい人いるかしら!」
厨房の奥。寸胴鍋を鋭い目つきで睨んでいたエリカが、満面の笑みで叫んだ。
「おぅ! 持ってこーい! 大盛りでな!」
「トンカツトッピングで頼むー!」
常連たちから一気にオーダーが殺到する。エリカは得意満面に胸を張った。
その喧騒の中、孤児のハルが、ラルフの背中を、ちょんちょんと、遠慮がちに突いてきた。
ラルフはしゃがみ込み、ハルからヒソヒソと意見を聞いた。
「あのね、カボチャを使って、プリンなんて作ってみたら、どうかなぁ、って……」
ハルの囁きが、ラルフの胸を微かに震わせた。しかし、その小さな声は、恐るべき地獄耳を持つ常連に捕捉されていた。
「ちょっと、今、聞こえたわよ! カボチャのプリンなんて、作れるの?!」
その言葉に、たまたま居合わせたヘンリエッタが、稲妻に打たれたかのように両手を上げた。
「プリンがあるなら、パイなんてどうでしょう?! サクサクの生地に、熱々のカボチャクリーム!」
ラルフは、なんだかもう、どうでもよくなった。
意地も、店の秩序も、全てがどうでもいい。
「もういい! 勝手に作れ! ほらっ! 厨房に入っていいぞ! 食材も、調味料も、なんでも、好きに使え!」
半ばヤケクソで許可を与えた。
「へっへっへぇ、俺の料理の腕を見せる時が来たなぁ!」
冒険者の男が、勇者よろしく腕まくりをして厨房になだれ込む。
クレア王妃やヘンリエッタを中心とした女性陣は、小麦粉やバターを準備し、新しいスイーツを生み出すための算段を話し合い始めた。
かくして、「居酒屋領主館」は、一夜限りの創作料理大会へと変貌した。
この場に居合わせた宮廷料理人のサルバドルまでもが、目を輝かせる。
「エリカさん。山の幸であるキノコとカボチャには、海の幸も合わせることで、うま味がブーストされると思いますよ!」
「なにそれ! どういうこと?! もっと詳しく教えて!」
専門家たちの間では、自然と謎のコラボレーションが生まれる。
「ふむ! エルフの里に伝わる料理も教えてやろうか? カボチャと干しブドウとナッツ、それに葉野菜で作るサラダだ」
偉大なるエルフ、ユロゥウェルまでもが、レシピを提案する。
「ちょっとナニソレ! サルバドルさん! 再現できる?」
「なんだそれは?! もっと詳しく!」
(いや、お前らもう、店開けよ……)
ラルフは、もう介入する気力もなくなり、ドサリとカウンター席に腰掛けた。
「飲むか?」
ヴラドおじさんが、湯気の立つ熱燗を勧めてくる。涼しくなってきた夜半、熱い米酒が五臓六腑に染み渡った。
ひとしきり、騒ぎが落ち着いてきた頃。常連たちの手によって、カボチャの創作メニューはあらかた出尽くした。誰もが満足げな表情を浮かべている。
その時、一人の冒険者の男が、ポツリと、深く息を吐きながら漏らした。
「でも、なんか……一周回って、カボチャって、やっぱ煮物が一番美味い気もしてきたなぁ……」
「あー。なんか、わかる。飽きが来ないというか、単純なのが良い気もするよなぁ」
店の空気は、熱狂から、静かな安堵へと変わる。そして、誰からともなく、声が上がり始めた。
「じゃあ、そういうことで。ラルフさまー! カボチャの煮物くださーい!」
「こっちにもくれー!」
「こっちもだー!!」
カボチャの煮物のオーダーが、再び、店の中心に戻ってきた。
その頃には、米酒を飲み過ぎて、すっかり出来上がってしまったラルフ。ゆらーり、と、まるで幽鬼のように立ち上がると、精一杯の怒りを込めて叫んだ。
「お前ら……、勝手すぎるわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
その叫びに呼応するかのように、領主館の外。裏庭で、狼がアォーン! と、そして子狼たちがキャォォォォォォォん! と、夜空に浮かぶ二つの月に向かって、力いっぱい吠えていた。