222.斬っ!
その日、領主ラルフ・ドーソンには、清々しい秋の休日が訪れていた。
膨大な書類の山は、優秀なメイドのアンナとエリカ、そして算術に長けた孤児たちによって滞りなく処理される。もちろん、領主の正式な承認、すなわち署名を必要とする案件も多々あるが、そこは近頃ロートシュタイン領から急激に広まりつつあるハンコという発明が解決してくれる。ラルフは、自らの前世の、"悪しき文化"を真似た印影の利便性に、小さく舌を巻いた。
愛車のロードスターに乗り込むと、爽やかな秋空の下、魔導エンジンの咆哮が静かな領都に響き渡る。
朝一番に向かうのは、セス少年が暮らす農村だ。数日前の水害で街道や村道の一部は堆積物に埋もれたものの、交通はすでに復旧していた。冒険者たちが緊急クエストとして、商人や村人たちがボランティアとして、一丸となって土砂を撤去したのだ。
ラルフは彼ら全員に、分け隔てなく報奨金を渡そうとした。だが、彼らは異口同音に辞退した。
「いやいや! 領のためじゃない。俺らは俺らのためにやったんだ!」
その言葉に偽りがないことを知っているラルフは、一計を案じた。
「いや。受け取ってって! そして、その金で僕の居酒屋に飲みに来ればいいじゃないか! そうすれば、そのお金は結局、僕のところに返ってくるわけだし!」
彼らは一瞬、きょとんとした顔を見せた後、堰を切ったように笑い出した。
「ガッハッハっハッハッハー! こりゃ一本取られたぜぇ。いやぁ、ラルフさまには、敵わねぇわ!」
彼らの屈託のない笑い声と、腹の底から湧き上がるような朗らかさを思い出し、ラルフは車を走らせながら口元に笑みを噛み殺す。本当に、気持ちの良い連中だ。
村に着くと、セスを含めた農民たちが、畝のそばで何事か話し合っていた。誰もが、どこか途方に暮れたような表情で立ち尽くしている。ラルフはロードスターを停め、彼らに声をかけた。
「どした?」
「うぉっ! ラルフさま?! いきなり現れないで下さい!」
セスの父、ドッヂが文字通り跳び上がって驚く。そして、隣にいたセスが、戸惑いを隠せない様子で説明を始めた。
「そのぅ……。先日、トレントたちが生み出した土を、畑の方に移してみたら、ご覧の通りでして……」
セスが指差す畑を見やれば、そこには信じがたい光景が広がっていた。人の頭よりも遥かに巨大な、まるで岩のようなオバケカボチャが、ゴロゴロと土の上に鎮座している。ラルフは驚きのあまり、目を見張るどころか、まん丸に見開いた。
「えっ? なに、これ? こういう品種ってわけじゃないの?」
「いえ。普通のカボチャ、のはずです。しかも、土を移したのは、昨日なんですよ」
「えっ? じゃあ、昨日までは普通のカボチャだったのに? 一晩でこんなに大きくなったってこと?!」
「はい……」
ラルフは腕を組み、深く考え込む。明らかに、エルフのユロゥウェルが施した魔法の影響だろう。トレントが代謝させた腐葉土に、魔素が異常なほど含まれていたに違いない。事実、ラルフ自身もこの夏、魔導農薬と植物魔法の応用で、規格外の巨大スイカ栽培に成功している。
「まあ、いいんじゃない? 冬も近いしさ!」
「そうなんですけど。問題が一つありまして……。硬すぎて、包丁もナタも、刃が通りません」
「いやー! カボチャなんて、そもそもバカみたいに硬いじゃん!」
そう言いながら、ラルフはマジック・バッグから短剣を取り出した。身体強化の魔法を全身に纏わせ、その巨大カボチャに刃を立てる。
「かたっ! ナニコレ?! 硬っ! えっ?! 岩?!」
「ですよね……」
セスはしょんぼりと肩を落とす。せっかくの大収穫なのに、これでは調理のしようがない。しかしラルフは、妙な確信をもって言った。
「まあ、でも。誰かしら、切れるんじゃないかなぁ……」
ラルフは大量のオバケカボチャをロードスターに積み込み、次に向かったのが騎士団の駐屯所だった。
ロードスターを駐め、応接室に通されると、そこにいたのは隊長の女騎士ミラ・カーライルと、何故かその父親であるマティヤス・カーライル騎士爵。二人は揃ってうっとりとした、ほとんど同じ表情で、マティヤスはロングソード、ミラはショートソードを手に持って眺めていた。
「見給え、ラルフ! この魔剣:スペクトラムの輝きを!」
とマティヤスが恍惚と語る。
「いやいや、父上! この私のショートソード、魔剣:ルシドの美しさこそ至高でしょう!」
とミラが譲らない。
平和で、あまりにも呑気な親子喧嘩に巻き込まれたラルフは、小さくため息を禁じ得ない。いつだったか、岩島ダンジョンで討伐したファントム・スタッグの角を素材に、ドワーフの魔剣技師トニスが鍛え上げた超一級品の剣が完成したらしい。この親子は、騎士としての訓練をサボって、ただひたすらに新しい相棒に酔いしれているのだ。
ラルフは、再び込み上げてきたため息をどうにか堪えた。
何故にこうも、ロートシュタインに集う人々は、自由奔放というか、勝手気ままなのだろう? と、一瞬、焦燥感に駆られる。だが、彼には決定的に欠落している前世の言葉があった。
"類は友を呼ぶ"
結局、この自由な空気感は、ラルフ自身が意識的にも無意識にも巻き起こしてしまったものなのだ。
とりあえず、目の前の二人に用件を伝えることにした。
「あのー。お二人とも。その剣で、カボチャ切れます?」
「はっ?」
「えっ?」
二人とも、困惑を露わにする。ラルフはマジック・バッグから、両手でやっと抱えられるサイズのカボチャを取り出した。
「これ、普通の包丁じゃ切れないんですよー」
それ、騎士に頼むことか? という突っ込みはさておき、マティヤスが騎士の血を騒がせた。
「試しに、やってみても?」
「じゃあ、訓練所に出ます?」
「ふん! 必要ない! ……チェストぉぉぉぉぉぉぉ!」
唐突に、マティヤスは剣を振り下ろした。そのあまりに突然の奇行に、ラルフは「はぁああい?!」と悲鳴に近い叫びを上げ、慌てて跳び退く。
そして、カボチャはパックリと、正確に二つに割れた。
「ふむっ! 確かに、硬いかもな。……騎士団の斬撃の、良い訓練になりそうだ。数はあるのか?」
マティヤスは涼しい顔で尋ねてきたが、ラルフは騎士爵の突然の凶行に、顔を青くして固まっていた。
すると、隣でミラが、謎の野心を目に宿らせて立ち上がった。
「私も、斬ってみても?」
ラルフはもう、この騎士親子のペースにはついていけない。
だが、もしこのカボチャが切れるのなら、これで料理ができるはずだ……。と、とりあえず、実利を優先することにした。




