202.買い食いの味
本日、エリカとミンネとハルは、市場への買い出しを任された。
領主ラルフ・ドーソンは、ずっと計画していたグルメ・ギルド設立に向けた会合があるとかで、午後一番に出掛けていった。
エリカは愛機である魔導二輪車:キャブに、リアカーを連結させ、その上にミンネとハルが乗り込む。先日、街道で故障し立ち往生してしまったキャブだが、ジョン・ポール商会での修理を終え、戻ってきたばかりだ。担当者は「すごい走行距離ですねぇ、この短期間でこんなに走ったんですか?」と驚いていた。
思えば、競馬場とロートシュタインの往復、水上都市でのカレーパン物販、そしていつだったか、一人だけで王都の実家まで辿り着いてみせ、両親やメイドたちを驚愕させたこともあった。
貴族令嬢にあるまじき行動力だと、エリカは自嘲する。まあ、今は奴隷という身分なのだが……。
領主館の裏手から出発し、小型魔導エンジンのポッポッポッという音を響かせながら、市場へ向かう目抜き通りを進む。
荷台に乗ったミンネとハルは、道行く知り合いや居酒屋の常連たちに笑顔で手を振った。
エリカも、ふと対向車線に見覚えのある魔導車を発見する。あれは、セスが運転するエバーだ。すれ違いざま、セスが片手を上げて挨拶をしてくれたので、エリカはピースサインを返した。
すると、荷台からミンネの声が聞こえてきた。
「私も、二輪車運転してみたいなぁ!」
その声には、エリカの背中を羨望の眼差しで見つめる無邪気な気持ちが滲んでいた。
エリカは、少し意地悪な口調で応える。
「ラルフに頼んでみたらいいのに……。まあ、あいつのことだから、"危ないからもう少し大きくなってから!"とか言いそうだわね」
「うん……。それも、そうなんだけど……。お兄ちゃん、優しいから……。結局は買ってくれそうな気がして……」
ミンネは遠慮がちに言葉を濁す。ラルフは、誰にも理解不能な謎の趣味趣向から、ミンネとハルに「お兄ちゃん」と呼ぶように懇願して以来、その呼び方が定着していた。
「ならいいじゃない! あなた達はもっとわがままを言うことを覚えなさいな」
そう言われても、それができるのは、エリカのような図太い性格があってこそ。ミンネとハルは、困ったように顔を見合わせた。
実は、ミンネもハルも、自分のお金で魔導二輪車くらいは買えるのだ。
居酒屋領主館の給金はしっかり支払われているし、いつだったかクレア王妃に贈り物をした際は、驚くほどの褒美の金貨を渡された。
さらに、少額だが知り合いの屋台に投資として開業資金を貸し付けており、少しずつだが着実に金は増えている。
金はあって困らないというが、何に使えばいいのかわからないのが、近頃の悩みだったりする。孤児院と領主館に世話になっている限り、衣食住は満ち足りている。
ラルフはいつも「好きなことをしなさい!」と言ってくれるが、ミンネとハルの本当にしたいことは、畑の世話をしたり、居酒屋で料理を覚えたりすることだ。それ以上にやりたいことなど、どうやって見つけ出せばよいのか皆目見当がつかなかった。
やがて、市場の喧騒の手前でキャブを停車する。三人は、その賑わいの渦の中へと足を踏み入れた。
「いらっしゃい! いらっしゃい! 甘い苺だよぉ! ん? あ! エリカちゃん! こっちいらっしゃい! ほら試食あげるから!」
「へいらっしゃい! おっ! 居酒屋看板娘たち! これ食うか? 醤油煎餅だ!」
次々と店主たちが声をかけてくる。お金を払ってもいないのに、試食を次々と勧められ、なかなか前に進めない。
やっとのことで、最初の目的地である孤児院が経営する野菜売場に到着した。
店番をする孤児たちに挨拶をしながら、ミンネは、ふと、胸の奥がざわめくのを感じた。
(懐かしいなぁ……)
ラルフとはじめて出会ったのは、まさにこの場所だった。
あの頃は、ハルと二人で粗末な敷物に青豆を広げて売っていた。
それが今や、孤児院の屋台は立派な木組みの大きな店構えになっている。あっという間だったけれど、色々なことがあったなぁと、静かな感慨が湧いてくる。
再び三人が歩き出す。しかし、ある屋台で、ハルの視線が囚われ、足が止まった。
エリカとミンネが振り返ると、ハルの視線の先には、七輪の上でプツプツと音を立てて焼かれている、立派なエビとホタテ……。
ハルは獣人特有の猫耳をピンと立て、エリカとミンネには、彼女の心の声が聞こえてくるようだった。
(じゅるり……)と。
エリカとミンネは顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる。
「いいんじゃない? ちょっとくらい……。買い食いしちゃいましょうよ。あたしも小腹が空いてきたわ」
可愛らしい企みに、この瞬間から三人の間に共犯関係が成立した。
「やったー!」
ハルは早速、小さなガマ口財布を取り出す。
「おー! ハルちゃんか! どうだ? 牡蠣もあるぞ」
店主は居酒屋の常連客だった。
三人は夢中で海の幸を頬張る。
すると、通りすがりの冒険者が声をかけてきた。
「うーわぁ……。なんか美味そうなの食ってる……。ねぇ、このキノコも焼いていい?」
「うちの店のも、なんか買ってくれるなら、勝手に焼いて食っていいぞぉ!」
気前の良い店主の返答に、冒険者はバイ貝をいくつか購入し、早速、網焼きを始めた。持ち込んだキノコも並べて。
すると、向かいの屋台の店主から声がかかる。
「おーい、そこの冒険者の兄ちゃん! そんな美味いもんには、美味い酒が必須だぜ!」
米酒の売り込みに、冒険者は辛抱たまらず、枡酒を購入する。
市場の片隅で立ったまま楽しむ飲食は、これはこれで粋なものだ。
するとまた、
「あれっ?! エリカちゃんがなんか美味そうなの食べてる!」
「あっ、本当だ! ミンネちゃんとハルちゃんも!」
今度は、居酒屋常連の共和国の議員たちに見つかってしまった。
こうして始まった、真昼間の立ち飲み騒ぎ。その一角は、まるでお祭りのようになってしまった。
夕暮れ前、三人は賑やかな目抜き通りを帰路につく。
「なんか、いろいろ貰ってしまったわね……」
「全然、お金使ってないのにね……」
「どうしよう……お腹いっぱい……ケプッ……」
何故かリアカーには、買い付ける予定だった食材よりも大幅に多い食材が満載されている。
海鮮屋の店主は「いい宣伝になった!」と言い、他の店主たちも「いつも領主さまには世話になっているから!」と言って、どんどん品物を押し付けてくる。金を払おうとしても、「いいからいいから!」と凄い勢いで遠慮されてしまうのだ。
「まあ、どうせ、常連たちの胃袋に収まるでしょ。なんとかなるわよ」
エリカは荷台を振り返り、そう呟く。
市場の喧騒を離れ、次は居酒屋領主館の喧騒が待つ道へ、魔導二輪車のエンジン音が、軽やかに空に吸い込まれていった。
その夜、賄いとしてラルフが作ってくれた海鮮チャーハンを、三人は遠慮した。
「あれ? どうしたの、三人とも、食べないの?」
ラルフは不思議そうに首を傾げる。
「あっ、いや、その……ダイエット中、というか……」
「えっ、えーっと……。ちょっと、私も、ダイエット、かな?」
「わ、私も……」
モジモジと顔を赤らめる三人に、ラルフは「……ふーん……」とだけ言って、何も聞かずにいてくれた。何かを察したようだった。




