15.冒険者ギルドのメシ
ある日の昼下がり、ラルフが執務室で次の新メニューについて思考を巡らせていると、扉をノックする音が聞こえた。
入室を促すと、そこにいたのは冒険者ギルドの伝令兵だった。彼の顔には、どこか情けないような、しかし切羽詰まった表情が浮かんでいる。
「ドーソン公爵様、冒険者ギルドマスターより陳情でございます」
伝令兵は深々と頭を下げ、一枚の羊皮紙を差し出した。ラルフがそれに目を通すと、眉をひそめた。内容は、ギルドの酒場が閑古鳥が鳴くほど寂れている、というものだった。
「情けないとはわかっているのですが、公爵様の居酒屋領主館ができて以来、冒険者たちが皆そちらに流れてしまい……」
伝令兵は、申し訳なさそうに言葉を続けた。ラルフは、その言葉に小さく頷いた。確かに、居酒屋領主館は連日大盛況だ。冒険者たちは、酒も料理も美味しく、そして何よりラルフが提供する斬新な料理に魅了されている。
「なるほど、問題は把握した。よし、すぐに視察に向かおう!」
ラルフは立ち上がると、そう言い放った。さすがに自分の店が忙しすぎるのも問題だ。
もう少し負荷分散ができれば、領地全体の経済も活性化するだろう。それに、冒険者ギルドの酒場は、この領地における重要な社交場の一つだ。そこが廃れてしまっては、冒険者たちの士気にも関わる。
冒険者ギルドの酒場は、確かに閑散としていた。昼間だというのに客はまばらで、ギルドマスターが頭を抱えているのが見て取れる。
「これはひどいな」
ラルフは、ギルドマスターに声をかけた。ギルドマスターは、恐縮しきった顔でラルフを迎え入れた。
ラルフはギルドの酒場を注意深く見て回った。カウンターの奥に、大きな鉄板が備え付けられているのが目に留まる。
「これは、どう使うんだ?」
ラルフが尋ねると、ギルドマスターが答えた。
「はあ、これは昔からありまして。魔獣などを解体した後に出る、使われない筋や骨で出汁を取ったスープを無料で提供する際に、温めたりするのに使っていました。『ビギナースープ』と呼ばれていて、新人冒険者もベテランも、皆これを飲んでいましたな。最近は、それすらもほとんど出なくなりましたが……」
ギルドマスターの言葉に、ラルフは閃いた。巨大な鉄板、そして魔獣の骨からとれる豊富な出汁。これだ!
「ギルドマスター、君のギルドに、新たな名物料理を伝授しよう!」
ラルフは、そう宣言すると、ギルドの厨房に入り、すぐに指示を出し始めた。
「まず、麺だが、これはうちの製麺工場から買ってくれ。トムたちが作ったものだ。この店の新しいメニューとして、焼きそばを出すぞ!」
ギルドマスターは困惑した。焼きそば? そんなものは聞いたことがない。
ラルフは、ギルドの厨房に立ち、巨大な鉄板に油をひき、野菜と肉を炒め始めた。ジュージューと食欲をそそる音が響き渡り、香ばしい匂いが厨房に充満する。そして、そこに茹で上がった麺を投入し、ビギナースープと、この世界にある香辛料をブレンドした特製ソースで味付けをしていく。
慣れた手つきで鉄板の上で麺を炒め、あっという間に一皿の焼きそばが完成した。
「さあ、まずはギルドマスター、君が試食してみろ」
ラルフが差し出した焼きそばを、ギルドマスターは恐る恐る口に運んだ。一口食べた瞬間、彼の顔は驚きに満ちたものに変わった。
「これは……! 美味い! なんという香ばしさ、そしてこの麺の食感!」
ギルドマスターは、夢中になって焼きそばを食べ進めた。その様子を見ていたギルド職員たちも、次々と味見を始め、皆がその美味しさに舌を巻いた。
「よし! この料理は今日から、"ギルドそば"という名前で売り出す!」
ラルフの宣言に、ギルドマスターは興奮で顔を紅潮させた。
「さらにだ、ギルドマスター。この鉄板があるなら、単純に鉄板焼きもできるだろう?」
ラルフは、ギルドの酒場に毎日持ち込まれる、大量の魔物の獲物に目を向けた。今まで捨てられていた、あまり美味しくないとされる部位や、筋の多い部分。それらを、ラルフは魔法と前世の知識を駆使して、美味しく調理する方法を次々と考案していく。
「魔獣の肉をシンプルに焼いてみたり、小麦粉で溶いた生地と合わせてみたりして、お好み焼きのようなものもできるだろう」
ラルフは、次々と新たなメニューを開発していった。もちろん、それらのレシピは、商業ギルドにも提出されることになるのだが、それはまた別の話である。商業ギルドの幹部たちが、再び悲鳴を上げるであろうことは想像に難くない。
そして、リニューアルオープンの日。
ギルドの表の通りは、まさに大パニックに陥っていた。ギルドの酒場が、新たな料理を出すという噂を聞きつけ、冒険者たちだけでなく、商人や町人、果ては好奇心に駆られた貴族まで、普段はギルドに足を踏み入れないような人々が、店の前に長蛇の列を作っていたのだ。
「なんだこの匂いは!」「俺も食いたい!」「ギルドにこんな美味そうなものがあるなんて!」
店の前は、人々の熱気と喧騒でごった返している。ギルドの酒場は、冒険者専用の施設だったため、冒険者以外の人間が立ち入ることは通常許されない。
ラルフは、その状況を見て、すぐに判断を下した。
「ギルドマスター! 直ちに領主権限の特例を発行する! 今日から冒険者ギルドの食堂は、冒険者以外の人間も利用できるようにする!」
ラルフの宣言に、ギルドマスターは驚きながらも、すぐに承知した。そして、その場で簡易的な張り紙が掲げられると、人々の歓声が上がった。
「やったー!」
「これで俺たちも食えるぞ!」
店内だけでは客をさばききれないため、ラルフはさらに指示を出した。
「表通りにも、テーブルと簡素な椅子を出せ! どんどん外で食ってもらえ!」
ギルドの表通りは、あっという間に即席の広場と化し、人々がテーブルを囲んで「ギルドそば」や「鉄板焼き」を頬張る、まさにお祭り騒ぎとなった。
厨房からは、ラルフの怒号が響き渡る。
「肉が足りない!」「麺が足りない!」
食料が足りなくなりそうになると、領主館からもアンナがメイドたちを引き連れて応援に駆けつけ、大量の食材が運び込まれる。商人たちは、この予想外の賑わいに商機を見出し、勝手に出店を開いて飲み物やお菓子を売り始めた。
吟遊詩人たちは、この奇妙な活気にインスピレーションを受け、楽しそうに歌を歌い始めた。
冒険者ギルドは、この日、ただの酒場から、領地全体の新たな交流と食の中心地へと変貌を遂げた。ラルフの型破りな発想と行動は、こうしてまた、この領地の風景を、そして人々の生活を、大きく塗り替えていくのだった。




