14.旅立ちの日
ある日の午後、領主館の広間は、いつもとは違う厳粛な雰囲気に包まれていた。孤児院の子供たちが一堂に集められ、その中心には、どこか緊張した面持ちの少年少女たちが立っていた。
「では、トム君、エマちゃん、ベルちゃん、リックとエド。君たちは本日をもちまして、孤児院を出なければなりません」
ラルフの声が、静かな広間に響き渡る。その言葉に、15歳になった年長の子供たちは、一瞬にして不安な顔になった。この年で孤児院を出ることは、領としての保護政策から外れることを意味する。
それは、自立という希望であると同時に、未知なる未来への不安も伴う。
何人かの幼い子供たちは、不安げな空気に触れて、しくしくと泣き出してしまった。
アンナが、そんな子供たちの様子を心配そうに見やり、ラルフに問いかけた。
「あの、旦那様。彼らはこのまま、居酒屋領主館で働くこともできるのでは?」
アンナの言葉は、子供たちの不安を和らげる慈悲に満ちていた。ラルフは、その言葉に小さく頷いた。
「勿論。その自由もある。それを望むなら、そうしても良い」
ラルフは、子供たち一人ひとりの顔をゆっくりと見つめた。彼らの目は、期待と不安が入り混じった色をしている。
「しかし! 私には、君たちへの提案がある」
ラルフの声に、子供たちは一斉にラルフに注目した。その言葉は、まるで魔法のように、彼らの心を掴んだ。
「トム君!」
ラルフが、真っ先に指名したのは、麺作りに情熱を燃やしてきた少年、トムだった。トムは、突然の指名に驚き、びくりと肩を震わせた。
「は、はい!」
「君は、紛れもない麺作りの達人だ」
ラルフの言葉に、トムは「はっ? え?」と困惑したような声を上げた。自分はただ、ラルフが教えてくれた麺作りを、ひたすらに繰り返してきただけだ。達人だなんて、そんな大それたことは……。
「わかっているんだろう? 君の手打ちの手際、加水率の調整、更には気候によって冠水の微調整までしている。はっきり言って、僕にはわけがわからないレベルだよ。君は天才だ!」
ラルフは、トムの麺作りへのこだわりを、驚くほど正確に言い当てた。
トムは、確かに、毎日麺を作るたびに、その日の気温や湿度に合わせて、わずかに水の量を調整していた。それは、ただ感覚的に行っていたことで、それが「微調整」と呼ばれ、ましてや「天才」とまで言われるとは、彼自身も想像していなかったのだ。
「えっ? え、えっ? あ、はい。ありがとうございます……」
褒め言葉に慣れていないトムは、照れくさそうに、しかし嬉しそうに頷いた。
「そこでだ。トム君。君には、この製麺工場を任せたい」
ラルフは、そう言って、広間の片隅に立てかけられていた大きな羊皮紙の図面を指差した。そこには、麺を作るための機械や、麺を乾燥させるための設備が、詳細に描かれている。
「トム君を中心として、エマ、ベル、リック、エドの四人。君たち五人で、この製麺工場を開いてほしい」
ラルフの言葉に、広間全体がざわめいた。孤児たちが、工場を? しかも、自分たちで?
「実は、この領主館の隣の物件を、先日買っておいた。もちろん、君たちが居住できる部屋もある。今日から、というか今すぐ準備を始めてくれ!」
ラルフの言葉は、まるで嵐のように、彼らの目の前に新たな未来を提示した。
「旦那様、いつのまに……」
アンナが、呆れたような、しかしどこか誇らしげな表情で呟いた。ラルフの突拍子もない行動には、もう慣れっこだが、その行動の背後には、常に彼らへの深い配慮があることを、アンナは知っていた。
トムたちは、呆然としながらも、その大きな提案を理解しようと努めた。
自分たちが、製麺工場を運営する。それは、彼らが想像もしなかった、新たな「仕事」であり、「生きる場所」だった。
不安げだったエマやベルの顔にも、徐々に希望の光が宿っていく。リックとエドは、既に興奮した様子で、製麺工場の図面を食い入るように見つめている。
ラルフは、そんな彼らの反応を満足げに眺めた。
彼は、単に彼らを自立させるだけでなく、それぞれの才能を見抜き、それを最大限に活かせる場所を用意してあげたかったのだ。トムの麺作りの才能、エマの繊細な作業、ベルの粘り強さ、リックとエドの力強さ。彼らの個性が、この製麺工場で花開くことを信じていた。
「さあ、いつまでも突っ立ってないで、早速準備に取り掛かるぞ! お前たちのラーメンは、この領地だけでなく、いずれはこの世界の常識を変えることになるんだからな!」
ラルフの檄に、子供たちは一斉に「はい!」と元気よく返事をした。彼らの顔からは、不安や戸惑いの色は消え、未来への希望と、自分たちに与えられた役割への責任感が宿っていた。
こうして、若き領主ラルフ・ドーソンによって、新たな才能が発掘され、この領地に、そして彼らの人生に、新たな物語が紡ぎ始められたのだった。