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123.農村の少年

 ロートシュタイン領のはずれ、小さな農村に生まれたセスは、十歳を迎えたある日、父と母が畑で作っている野菜の納品先に、父の荷馬車に同乗し向かうこととなった。

 露に濡れた畑の土の匂い、遠くで鳴く鳥の声。そんな慣れ親しんだ風景を後に、荷馬車は舗装された街道を進んでいく。


 ロートシュタインの中央部、夕暮れ時の街中には、すでに多くの人々が行き交っていた。仕事を終えた商人たち、ダンジョンから引き上げてきた冒険者たち、そして貴族たち。

 道行く人々は、誰もがどこかソワソワしたような、これから何か楽しいことが待っているかのような、そんな期待に満ちた表情をしている。その活気に、セスは胸を躍らせた。気がつくと、セスが乗った荷馬車も、その人たちと同じ方向へと吸い寄せられるように進んでいく。


「父ちゃん。どこにむかってるの?」


 セスは御者台の父に問いかけた。夕暮れの光が、父の背中を温かく照らしている。


「領主さまのところだ」


 父はぶっきらぼうに答えた。どうやら、この荷馬車に積まれた新鮮な野菜たちは、領主様へと献上されるのだ、とセスは思った。領主様のお屋敷。そんな場所へ自分が行けるのか、と想像するだけで、セスの胸は高鳴る。


 しばらく進むと、ひときわ大きな建物が見えてきた。白亜に塗られた二階建ての建物は、夕焼けの空の下で幻想的な輝きを放っている。あれが領主館か。しかし、何故これほどまでに人が集まっているのだろう? セスは不思議に思った。

 一階の窓からは、人々の楽しげな喧騒と、美味しそうな匂いが漏れ聞こえてくる。貴族さまのパーティーだろうか?いや、それにしては、商人や冒険者たちまでが、続々と領主館の扉をくぐっていく。その異様な光景に、セスはますます首を傾げた。


「俺たちゃ、裏に回るぞ」


 父はそう言って、荷馬車を勝手口へと回した。木製の扉の前に荷馬車を停め、二人で協力して、収穫したばかりの野菜を下ろしていく。コンコンコンと父が扉を叩くと、ガチャリと音を立てて扉が開かれた。


「おや! ドッヂさん! お疲れっす。ささっ、運び込んで! どうぞどうぞ!」


 人の良さそうな、ニコニコとしたお兄さんが顔を出して言った。そのお兄さんは、畑仕事で汚れた自分たちの姿にも嫌な顔一つせず、笑顔で迎えてくれた。あとで、父に「あの方が領主様だ」と聞かされて、セスは飛び上がりそうになってしまった。まさか、あの気さくなお兄さんが、このロートシュタイン領の領主様だなんて。何か無礼な態度をとってしまっていやしないかと、セスは不安になった。


「いやー。いつも悪いねぇ。じゃ、これ支払いね!」


 父が領主様から金貨を受け取るのを、セスは目を見開いて見ていた。金貨の輝きは、畑仕事で汗水流して稼ぐのとは全く違う、眩い光を放っていた。


「そちらの子は、息子さん?」


 領主様の優しい声に、セスはびくりと肩をすくめた。


「ああ、息子のセスです。ほら、挨拶しろ」


 父に促され、セスは頭を下げた。


「ど、ど、ど、どうも! はじめまして、せ、せ、セスです!」


 吃りながらも自己紹介をするセスに、領主様は微笑んだ。


「セス君は、ご両親を継いで畑をやるの?」


「どうなんですかねぇ?」


 父はセスの頭を撫でながら言った。その手は、ゴツゴツと節くれ立っているが、温かかった。

 どうだろう?

 確かに、それしか生きる道がないとも思っていた。しかし、畑仕事ばかりの人生というのは、なんだかつまらないような気もしていた。まだ十歳のセスにとって、未来とはまだ茫漠とした色を持たない霞の先に感じていた。自分の将来が、どうなるのか、全く想像もつかない。


 ふと、開け放たれた厨房の奥へと目をやると、セスと同じくらいの歳の子供たちが、皿を洗ったり、野菜を切ったり、肉を炒めたりしているのが見えた。彼らは皆、活き活きとした表情で、楽しそうに働いている。その光景に、セスの胸に、小さな火が灯った気がした。


「まあ、ドッヂさん。好きに飲み食いしてってよ! セス君も、何か好きな物食べてって。僕の奢りで」


 領主様の言葉に、父の顔がパッと明るくなった。客席は、まるでお祭りのような賑わいだった。人々の笑い声と、皿のぶつかる音、そして食欲をそそる香りが混じり合い、心地よい喧騒を作り出している。


「あっはっはっはっー!」

「ギャハハハハハ!」

「本日のオススメはカレーチャーハンよ! あたしとフレデリックのスペシャルコラボメニューなんだから!」

「マスター! この新作のまぜソバとやらを食べてみたいのだが!」


 空いているテーブルに通され、父と二人で椅子に腰掛ける。テーブルの上には、木製のプレートと、冷たいお茶が置かれている。


「やあ、ドッヂさん。景気はどうかね?」


 隣のテーブルに座っていた男性が、父に気さくに話しかけてきた。その男性は、立派な髭を蓄え、どこか威厳を感じさせる雰囲気だ。


「ああ。どうも。ヴラドさん。まあボチボチですな。幸いなことに、今年は良い雨に恵まれた。ネギもキャベツも、よく太ってくれましたよ」


 父も気さくに答えている。


「ふむ、ネギとキャベツなら、いくらでもあっていいからな!」


 ヴラドさんは、そう言って満足げに頷いた。後で、父がこっそりと教えてくれた。ヴラドさんは、本来平民なんかが会話をすることが許されるような立場ではなく、とんでもなく偉い人なんだぞ、と。その言葉に、セスは再び驚きに目を丸くした。この居酒屋には、一体どれほどの偉い人が来ているのだろう。


 なんなのだろう? この場所は。とセスはキョロキョロしっぱなしだ。

 父親はフレーバービールとかいうお酒を注文し、美味しそうに飲んでいる。黄金色の液体がグラスの中で輝き、泡がシュワシュワと音を立てる。時々、顔見知りがやってきて、軽く会話を交わしている。セスは、果実汁の炭酸水を飲んでいた。シュワシュワとした泡が舌の上で弾ける、不思議な飲み物だった。その甘酸っぱさに、セスの顔も綻ぶ。


 父親をふと見る。今度は、軽鎧を纏った女騎士と話していた。彼女の鎧は磨き上げられ、僅かな光も反射するほどだ。


「ドッヂどのが作るネギは本当に美味いなぁ! 辛くて、甘くて、シャキシャキしていて、別格だ!」


 と、女騎士は興奮したようにまくし立てる。その顔は、ネギの美味しさに心底感動しているようだった。

まあ、セスとしても、自分の家で育てている野菜を褒められて悪い気はしなかった。むしろ、少し誇らしい気持ちになった。


 すると、ゴトッと音を立てて、セスの目の前に大きな皿が置かれた。皿の上には、見たことのない料理が盛られている。


「ラルフからアンタにって、アタシの自信作よ。食べなさい」


 セスと同じくらいの歳の少女だった。金髪を綺麗に巻き、左右に垂らしたドリルツインテールが印象的だ。その姿は、明らかに貴族のご令嬢に見えた。その瞳は、自信に満ち溢れている。

 セスは戸惑いながらも、


「ど、どうも。ありがとうございます」


 と、か細い声で答えた。


「ふんっ、食べたら感想聞かせなさいな!」


 スタスタと金髪ドリルツインテールを揺らしながら、その少女は去っていった。まるで、嵐のように現れ、嵐のように去っていく。

 目の前に置かれた不思議な料理。鼻腔をツンと刺すほどスパイシーな香りが、食欲を刺激する。茶色いつぶつぶは麦だろうか? そして、たくさんの細切れの野菜。一体どんな味がするのだろう、とセスの好奇心はピークに達した。セスの腹は盛大にぐーっと鳴った。

 スプーンを手に取り、恐る恐る料理を掬い上げ、一口。


「もぐ……、え?! なにこれ?! 美味っ! え?! 美味ぁぁぁぁ!」


 セスは、思わず叫んだ。その美味しさは、彼がこれまでの人生で味わったどんな料理とも違っていた。スパイシーでありながら奥深い味わい、そして、様々な食材が織りなすハーモニー。それは、まるで魔法のようだ。彼の顔は、感動と驚きに満ち溢れていた。

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