121.完璧な仕事
「よっしゃ。次行くぞ!」
ラルフは意気揚々と、商人長屋の一角にある宿屋へと向かう。彼の背中には、先ほどの交渉を無表情で見届けていたメイドのアンナが続く。
「なんでそんなに現場仕事が好きなのです……」
呆れを含んだアンナの呟きは、しかし、ラルフの耳には届かなかった。彼の瞳は、すでに次の交渉へと向かっている。
宿屋の古びた扉を、ラルフは「こんちゃー!」と威勢よく開けた。埃っぽい空気と、微かに酒の匂いが混じり合う。
「どうも。もしかして、領主さまですかい?」
宿の受付に座っていたのは、いかにもガラの悪い男だった。顔には薄汚れた髭が生え、目は濁っている。
「あ、聞いちゃってる? 聞いちゃってたかぁ。もしかして、話早い感じ?」
ラルフはカウンターに両肘をつき、身を乗り出した。その顔には、どこか悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「立ち退きの件でしょう? そりゃ耳に入ってますよ。……で、いかほど払ってくれるんです?」
男は、品定めをするようにラルフを見つめた。その眼差しには、あからさまな銭勘定が見え隠れする。
「ほう。別に金さえくれれば、特にこの場所に愛着はないと?」
ラルフの言葉に、男はニヤリと笑った。
「そりゃあ、愛着がねぇってわけでもないが、貰えるもん貰えるなら、ウチらとしちゃあ、納得いく金額であれば。だな」
「ウチら?」
ラルフは違和感を覚えた。チラリと、食堂の方に目を向ける。テーブルを囲んで、昼間っから酒を飲みカードゲームに興じているガラの悪そうな男達が、何やらこちらをチラチラと気にしている素振りが窺えた。彼らの視線は、獲物を狙う獣のようだ。ラルフは、ふと考え込んだ。
そして、唐突に言葉を紡ぎ出す。
「そういえば、スカーレットさんはどうしたの? この宿のオーナーって、スカーレットさんだよね?」
男の顔が、一瞬だけ硬直した。しかし、すぐに取り繕うように、わざとらしい笑顔を浮かべた。
「ああ、スカーレットは今ちょっと暇を貰ってましてねぇ」
「じゃあ、貴方、スカーレットさんのご親族?」
ラルフは、さらに問い詰める。男の額に、じんわりと汗が滲み始めた。
「え、ええ。まあ、俺はスカーレットの兄ですよ。しばらく遠くに出てたもんでね。最近、戻ってきたんですよ」
男はどもりながら答えた。その視線は、泳いでいる。
「ふーん……。で、いくら欲しいの?」
ラルフは、何でもないことのように問いかけた。
「金貨百枚。まあ、そのくらいあれば」
男は、内心の動揺を隠すように、ふんぞり返って答えた。しかし、その声はどこか上ずっている。
「えっ! たった百枚でいいの?」
ラルフは、まるで驚きを隠せないかのように、目を丸くした。
「えっ、た、たった?」
男の顔から、血の気が引いていく。その背後では、食堂の男たちが騒ぎ出した。
「こちらとしては、五百枚くらいなら即金でお支払いする用意があるんだけど……」
ラルフは、ゆっくりと、そしてはっきりと告げた。男の目が見開かれる。
「ご、五百?!」
すると、食堂のテーブルの連中が、一斉に騒ぎ出した。
「嘘だろ、……五百だってよ!」
「ボロ儲けじゃねーか?!」
その声を聞き、ラルフはふむ、と考えた。そして、唐突に、
「《雷撃麻痺》」
ラルフの手から放たれた電撃が、目の前の受付に座る男の身体を貫いた。
「ぎゃーーー!」
男は、痙攣しながら椅子から崩れ落ちる。その身体からは、焦げ臭い匂いが微かに立ち上った。
食堂の男達がガタガタと立ち上がろうとした気配を察し、ラルフはローブを翻し、振り返りざまに。
「《雷撃発射》」
彼の指先から、再び電撃が放たれる。それは、狙いを定めたかのように、食堂の男たちを次々と襲った。
「ぎゃ!」
「あべしっ!」
「アバババっ!」
男たちの悲鳴が、宿屋中に響き渡る。身体を痺れさせ、次々と倒れていく男たち。
ラルフは、銃口に見立てて突き上げた指先にふぅ、と息を吹きかけた。その仕草は、まるで彼が映画に出てくる凄腕ガンマンであるかのように錯覚させる。
「何事ですか?」
そんな鉄火場な様子が繰り広げられた直後にも関わらず、無表情なアンナが、まるで何事もなかったかのように問いかけた。その冷静さに、ラルフは小さく肩をすくめた。
「スカーレットって誰だよ? 仕事はもっと用意周到にやれ! このチンピラどもが……ここのオーナーはマリアンヌさんだよ! アンナ、領兵を呼べ! こいつら地面師だ!」
ラルフの怒声が、宿屋に響き渡る。彼の顔には、普段の笑顔は一切なく、厳しい表情が浮かんでいた。
「地面師……?」
アンナが首を傾げる。
「ここのオーナーに成り代わって、立ち退きの金かすめ盗ろうとしたんだ! おいテメェ起きろ!」
ラルフは、まだ痺れて動けない男の胸ぐらを掴み、無理やり起き上がらせた。男の目は焦点が定まらず、口からは泡を吹いている。
「マリアンヌさんをどうした! まさか、最もフィジカルで、最もプリミティブで、最もフェティッシュなやり方で始末したなんて言わねぇだろうなぁ?! どうなるかわかってんのか?! ああ?!」
ラルフの言葉は、まるでドラマの登場人物のようだ。
なんだこの地上げ屋vs.地面師というB級Vシネマのような状況は、とラルフはなんだか悲しくなった。グルメ革命によりかなり平和になったロートシュタイン領に、まだこんな悪党がいるのか。彼の心には、一抹の寂しさがよぎった。
領兵がすぐに駆けつけ、悪者どもを縛りつける。その手際の良さはさすが精鋭だ。どうにか一人の意識を回復させ、口を割らせたら、この宿のオーナーのマリアンヌさんは縛り上げて轡を噛ませ、宿の奥の方の部屋に放り込んであるという。
「マリアンヌさーん! 無事ですかー?!」
ラルフは領兵と一緒にその部屋に乗り込んだ。薄暗い部屋の奥、ベッドの上で、太っちょなおばさんがもがいているのが見えた。
「マリアンヌさん! もう大丈夫です。助けに来ましたよー!」
ラルフは、優しく轡を外してあげた。マリアンヌの顔には、安堵の表情が浮かんだ。しかし、開口一番、彼女はラルフの予想を裏切る言葉を放った。
「りょ、領主さま。金貨五百枚って、本当ですか?」
その言葉に、ラルフからすーっと表情が消えた。彼の顔は、まるで能面のように無感情になった。その場に漂う空気は、一瞬にして凍りついたかのようだった。