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120.プロの仕事

 冒険者ギルドに貼り出された常設依頼、「モフモフした魔獣の保護」。但し、親を殺めてその子供を奪ってくるような非道な者は極刑!

 という、優しいんだか恐ろしいんだかわからない文面が街の話題になっていた頃、ラルフは冒険者ギルドの隣、商人長屋の一角にある縫製工房の戸をくぐっていた。

 店の中は、布地の匂いと、足踏みミシンがカタカタと音を立てる職人の活気に満ちている。


「いくら領主さまの頼みと言えど、爺さんの代からこの場所で店を守ってきたんだ。儂が生きている限りはこの場所を明け渡すことなど……」


 白髪交じりの店主、ボブは、作業の手を止めずにぶっきらぼうに言った。その顔には、長年の職人の矜持が刻まれている。


「まあまあ! いいからいいから! そういうんじゃなくて世間話しにきただけだから! あっ、これ、ウチの孤児たちが作ったプリンなんだ。奥さんと一緒に食べてよ」


 ラルフはにこやかに笑い、保冷箱をカウンターに置いた。ひんやりとした箱からは、甘く優しい香りがふわりと漂う。


「むっ、どうも。……しかし、聞いていますよ。儂らを立ち退かせて、ここに商業ギルドを引っ越しさせるってことを」


 ボブはプリンの箱を一瞥すると、顔をしかめて言った。その視線は、ラルフの目ではなく、その奥にある何かを見透かすようだった。


「……まあ、僕としても嘘は言いたくないので、否定はしませんがね。一応それなりの誠意は見せるつもりではいるんですよ」


 ラルフはそう言って、金貨が詰まった大袋をガシャリと音を立ててカウンターに置いた。ずっしりとした重みが、その場の空気を変える。陽の光を反射してきらめく金貨の山が、ボブの目を奪った。


「うっ、ぐっ……」


 店の主人は、大量の金を目の前に、喉から手が出そうなのをぐっと堪える。彼の喉がゴクリと鳴ったのが聞こえた。長年の商売で培った欲深さと、職人としての意地が、彼の心の中で激しくせめぎ合っている。


「ボブさん。あなたの息子さん、冒険者なんだってねぇ? 王都じゃ名の知られた凄腕らしいじゃない? いや本当に素晴らしい息子さんだぁ。……しかし、心配ですよねぇ。冒険者なんて、日々死と隣り合わせだぁ。ある時、ふっと死神が微笑む。どんな凄腕といえども、コロッとお迎えが来ちまう」


 ラルフの声は、穏やかでありながら、どこか含みを持っている。彼の言葉は、ボブの心を深く抉る。冒険者の息子を持つ親にとって、それは常に頭の片隅にある不安なのだ。


「りょ、領主さま! あんたどういうつもりだ! ま、まさか、む、息子を」


 主人が激昂した。その顔は怒りに赤く染まり、目はラルフを睨みつける。脅しととらえたようだった。


「いや、そういうことじゃなくてね」


 ラルフは涼しい顔でそう言い、もう一袋、金貨が詰まったそれをカウンターに置いた。先ほどの袋と合わせて、二つの金貨の山が輝いている。


「むっ!」


 ボブの目が、さらに大きく見開かれた。その目に映るのは、眩いばかりの金貨の輝きだけだ。


「いやぁ。話を聞いた時、僕は涙がちょちょ切れそうになったねぇ。……息子さん、冒険者ギルドの受付嬢と交際してるんだってね。結婚の約束もしてるとか。結婚して、冒険者を引退したらロートシュタインに戻り親父さんの店を継ぐんだって。その為の資金を稼ごうと、頑張って護衛依頼や危険な討伐依頼を率先して引き受けてるってんですよ? いやぁ、本当に立派な息子さんだなぁ」


 ラルフはいつの間にか、どこからか取り出したヤスリで自分の爪を整えている。その仕草は、まるでこの場の状況とは全く関係ないかのように見える。だが、その言葉は、ボブの心を揺さぶり続けていた。息子の未来、まだ見ぬ孫たちの顔が、彼の脳裏に鮮やかに浮かび上がる。


 そして、ガシャリと金貨の袋を追加した。三つの袋が、まるでボブの喉を塞ぐように並んでいる。


「むぐっ!!!」


 店主の目の前に並ぶ三つの袋。その輝きは、もはや彼の理性を麻痺させようとしている。ボブは苦悶の表情を浮かべ、喉の奥から呻き声を上げた。


「息子さんの為にも、そしてこれから生まれてくるお孫さん達の為にも、立派な家と店を用意してあげたくはないかい?」


 ラルフは優しく語りかけ、もう一袋、ガシャリと音を立てて置いた。四つの金貨の袋が、カウンターの上に堂々と並び立つ。


「むぐぐぐぐぐっ」


 ボブは歯を食いしばり、目には涙まで浮かべ始めた。彼の頬を、一筋の雫が伝い落ちる。彼の心は、もう限界に近づいていた。ラルフは、爪の削りカスを、ふぅと吹き飛ばした。その仕草は、まるで彼の計算され尽くした言葉の裏にある、冷徹な思考を隠しているようにも見える。


「水上マーケットのあたりなんか、どうかなぁ、って。王族の離宮もあるし、貴族達もこぞって訪れる観光地だぁ。移民達が作る織物も土産として人気でねぇ。どうかなぁ? もしかしたら、僕なら王族も紹介できるしなぁ。王家御用達、そんな看板を手に入れられたら……まあ、あくまでも、僕の妄想ですがね」


 ラルフの言葉は、まるで絵画のように鮮やかな未来を描き出す。湖面にきらめく陽光、風に揺れる色とりどりの織物、そして王族御用達という輝かしい看板。

 それは、老いた店主にとって、想像を絶する栄光と安定の未来だ。そう言って、もう一袋ガシャリと置く。金貨の袋は、ついに五つになった。


「むぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐっ!」


 ボブは顔を真っ赤にして、今にも破裂寸前だ。彼の表情は、もはや怒りでも悲しみでもなく、ただただ、圧倒的な欲望と、それを押し殺そうとする理性との壮絶な戦いを物語っていた。


「いい場所ですよぉ。湖面をすべる風が吹き抜け。夕日が水面に映るのは壮観な景色だぁ。あと、魚も美味い。……これから生まれてくるお孫さん達と水浴びや魚釣りをしながらさ。夜には家族全員集まって、息子さんと酒を酌み交わし、美味い飯を食う。……いいですねぇ。羨ましい。そんな老後なんて、貴族の僕からすると本当に羨ましい」


 ラルフの声は、どこまでも優しく、包み込むようだった。彼の言葉は、ボブの心を深く、深く、そして確実に掌握していく。家族団欒の光景、穏やかな老後。

 それは、金では買えない、しかし金で手に入れられるかもしれない、究極の幸福だ。そう言って、もう一袋ガシャリと置いた。金貨の袋は、ついに六つ。カウンターの上に、眩いばかりの金色の山が築かれた。

 そして、


「……すべて、お任せします」


 ついに主人が折れた。その声は、諦めと、そしてどこか安堵を含んでいた。彼の肩の力が、すっと抜けたように見えた。


 ラルフは前世のどこかで、

「地上げのコツはただ二つ、愛情と脅しだ」という言葉を聞いたことがあったが、さすがに脅しの方は省いたつもりだ。しかし、ラルフの巧みな口上と人心掌握のテクニックは、まさにプロの地上げ屋そのものだった。

 アンナは、その一連のやり取りを無表情で見守っていた。彼女の心の中では、

(この人、なんでもできるなぁ)という感嘆の声が響いていた。

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一人で北風と太陽やってんじゃねえよ(棒
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