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118.鱗とモフモフ

 ある晴れた日の午後、ラルフは領主館の庭で、ペットであるワイバーンのレッドフォードの頭の上に立っていた。デッキブラシを手に、ゴシゴシと硬質な鱗を擦っていく。

 レッドフォードは、その巨体を横たえ、気持ちよさそうに目を閉じている。時折、心地よさそうに喉を鳴らす低いうなり声が、のどかな午後の空気に溶けていく。

 ラルフは、このような雑務を気分転換も兼ねて積極的にこなす。一般的な貴族とは一線を画す、彼らしい行動だった。


「よー! 領主さまぁ! 精が出ますなぁ!」


 領主館の前を通りかかった荷馬車の行商人が、朗らかな声でラルフに呼びかける。果物を積んだ荷馬車が、ゆっくりと領主館の前を通り過ぎていく。


「あー、おっちゃん! この前リンゴありがとねぇ! また飲みに来てなぁ!」


 ラルフも笑顔で手を振り応える。行商人は帽子を脱いで軽く挨拶を返し、馬車を引く馬の背をポンと叩いた。


「ふぃー」


 額の汗を拭い、ラルフはレッドフォードの硬質な頭上の角をコンコンと叩き、問いかけた。


「はい、もういいか? おしまーい」


 レッドフォードはゆっくりと目を開き、名残惜しそうな顔をした後、「くはぁ」と大きな欠伸をした。その赤い瞳は、ラルフを優しく見つめている。

 たまにはまたレッドフォードの背に乗り、空の散歩にでも行こうかな、とラルフは思いを馳せる。最近、貴族たちの間で「金は払うからー!」と、レッドフォードの背中に乗れる遊覧飛行が人気を博している。それが、割と良い小遣い稼ぎになっているのは、ラルフにとってはちょっとした秘密だったりする。

 空を優雅に滑空するレッドフォードの姿は、まさに生きた観光名所だ。


 その時、メイドのアンナが領主館から小走りでやって来た。


「旦那様、お客様です」


「おー、ここに通してくれ」


 来客者は、アンナに案内され、領主館の庭に通された。レッドフォードの頭から降りたラルフは、その来客を迎えに出た。


「よぉ! 久しぶりだなぁ。ヴィヴィアン・カスター。卒業以来か」


「やあ。ラルフ・ドーソン。酒場を開いたという報せは貰っていたが、なかなか挨拶に来られなくてすまなかった」


 現れたその人物は、ラルフの学園時代の同級生だった。銀髪を短く切り揃え、女性にしては長身。魔導士特有のローブを纏った姿は、その美しさから迫力すら感じられる。知的な雰囲気を纏い、その瞳の奥には、確固たる意志が宿っている。


「わー。すっごい美人があらわれたわねぇ」


 エリカは、思わずといった風に本音を漏らした。その声は、ヴィヴィアン本人に聞こえても失礼にはならないだろう、という絶妙な音量だった。


 そして、その女性魔導士の隣には、「ニャ〜オ」と可愛らしい声で鳴きながら香箱座りする、巨大なヤマネコがいた。その毛並みは艶やかで、鋭い眼光は周囲を警戒している。


「よー。シャギーも久しぶりだなぁ!」


 ラルフはそう言いながら、その巨大猫の顎の下を掻いてやると、ゴロゴロゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らした。それは本来凶暴な魔獣のはずだが、シャギーはされるがままだ。背丈は座っていてもラルフと同じくらい巨大で、もし万が一その鋭い牙が人間に向けばただでは済まないだろう。


「アンナ、エリカ、ミンネとハル。紹介する。学園の時の同級生で、ヴィヴィアン・カスターだ。見ての通り、彼女も魔導士で、"テイマー"だ」


 テイマー。それは魔獣と心を交わし、従え、使役する魔法の使い手だ。稀有な才能を持つ者だけがなれる、特別な存在である。


「よろしく。奥様方」


 ヴィヴィアンは、わずかに首を傾げ、丁寧に挨拶をした。


「い、いや。彼女たちは、奥様方ではないから」


 ラルフは慌てて訂正する。


「そうでしたか。失礼しました。……ラルフ・ドーソンはあまり"その手の噂"は聞かなかったもので、友人として心配してはいましたが、やはり小児性愛者だったのか、と納得してしまっていた所です」


 ヴィヴィアンは無表情で、淡々と、そしてとんでもないことを口にした。


「ホントやめて! みんなそれ言う! みんな言うのよ!」


 ラルフは顔を真っ赤にして叫んだ。


「なんか、この人、怒ってます?」


 アンナが、無表情で淡々と喋るヴィヴィアンの態度に、戸惑いを隠せない様子でラルフに耳打ちした。大抵の初対面の人間は、ヴィヴィアンの言動にそのような反応をするのは、ラルフは知っていた。


「あー。いや、彼女はこれが通常運転なんだ」


 ラルフは苦笑いを浮かべた。


「では、早速、貴方がテイムしたというドラゴンを見ても?」


 ヴィヴィアンはまっすぐな視線でレッドフォードを見つめた。


「ドラゴンじゃなくて、ワイバーンね」


 ラルフが訂正すると、ヴィヴィアンはレッドフォードの前に進み出た。レッドフォードは、ムッ! と警戒したように、彼女を見た。その赤い瞳は、ヴィヴィアンの真意を探るかのように、鋭く光る。

 一方、ミンネとハルは、巨大なオオヤマネコのシャギーのお腹をモフモフと撫でていた。シャギーは気持ちよさそうに目を細めている。


 ヴィヴィアンはじっと赤いワイバーンを見つめていた。何かその瞳の奥に宿るものを見透かし、観察しているようだ。長い沈黙が流れる。庭の木々の葉が、風にそよぐ音だけが聞こえる。


 そして、彼女は口を開いた。


「よくこんな魔力内包量の多い魔導生物をテイムできましたね? 普通なら魔導接続をこの子が拒否することもできたでしょうに。よほど精神的に疲弊していたか、生命に関わるような恐怖心をこの子に植え付けたか……。ラルフ・ドーソン、魔獣が相手とはいえ、あまり感心できないやり方を取ったと推察しますよ?」


 ヴィヴィアンの言葉は、まるで鋭い刃物のようだった。


「いや! 先に襲ってきたのソイツだし、追い詰めたのは僕じゃなくてチンピラ冒険者たちで、僕は助けたというか……。今はちゃんと可愛いがってるから。なぁ! レッドフォード! なぁ!」


 ラルフは必死に弁解し、レッドフォードに同意を求めた。レッドフォードは、小さく「クゥ」と鳴いた。


「ふむ。まあ、テイム契約はかなり強固で安定しているようだ。さすがは大魔導師ラルフ・ドーソンですね」


 ヴィヴィアンはレッドフォードから視線を外し、ラルフに向き直った。その表情は相変わらず無表情だが、その言葉にはどこか納得したような響きがあった。


「いやいや。ヴィヴィアンに教えて貰ったテイムの魔法のおかげで無駄な殺生をせずに済んだのよ!」


 ラルフは照れたように頭を掻いた。


「それに、この子自身も、今の生活に割と満足しているように見受けられます。……しかし、この子は、なんという種なんだ?」


 ヴィヴィアンは再びレッドフォードに目を向け、その巨体を細部まで観察するように見つめた。


「えっ、ワイバーンの変異種じゃないの? 赤いだけの」


 ラルフの言葉に、ヴィヴィアンは首を横に振った。


「少なくとも、赤いワイバーンなんて、発見されたことはありません。それにこの大きさ。亜竜というよりは、もはや竜族といって良いのでは?」


 彼女の言葉に、ラルフは目を見開いた。


「えっ、まさかの。レッドフォードって、新種のドラゴン?」


「ダンジョン・スタンピードから生まれ出でた魔導生物なのでしょう? それなら、ダンジョンの階層守護者クラスだ。ただのワイバーンのわけないでしょう」


 ヴィヴィアンの言葉は、確信に満ちていた。


「へぇ。お前、なかなか凄いヤツだったんだな!」


 なんだか、ラルフは誇らしくなって、レッドフォードを見上げた。レッドフォードは、満足げに目を細めた。


 すると、そこへオオヤマネコのシャギーが、ゆっくりとレッドフォードの前に歩み出てきた。その場の誰もが、息を飲んだ。魔獣同士、ヤマネコとしては大型ではあるが、シャギーはレッドフォードと比べてしまうと小さい。レッドフォードがシャギーに危害を加えないかと、誰もが心配になった。

 レッドフォードが、「グググググッ」と威嚇するような低い声を上げた。その声は、地面を震わせるほどだった。

 するとシャギーは、臆することなく、レッドフォードの分厚い前脚に、ポンっと自分の前脚を着けた。

 その瞬間、レッドフォードは「ふんっ」と鼻を鳴らし、くるんととぐろを巻いて昼寝をはじめた。

 まるで、シャギーの行動が、レッドフォードの警戒心を解いたかのようだった。何か、言葉によらない深いところで、二匹は分かり合えたらしい。


 すると、そこへ。タッタッタッタッタ! と駆けてくる軽やかな足音が聞こえてきた。そして、


 ボフっ! と、シャギーの巨大な体に抱きついたのは、


「あ、え? クレアさま?」


 驚きの声が、アンナの口から漏れた。そこにいた誰もが、予期せぬ人物の登場に目を丸くした。それはクレア王妃殿下だった。そういえば、今王族たちはロートシュタインの離宮に滞在中だった。


 そして、クレア王妃は、シャギーに抱きついたまま、とてつもない早口でヴィヴィアンにまくし立てた。


「どこのどなたか存じませんが! この子を私に下さいな!」


 シャギーは、ちょっと迷惑そうな顔をしているように見えた。その瞳は、困惑と呆れが入り混じったような色をしていた。王妃のあまりの勢いに、ヴィヴィアンですら一瞬、言葉を失っていた。

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