116.ニョロニョロ
本日もロートシュタイン領は快晴。
領主ラルフ・ドーソンは、煩わしい書類仕事を一段落させ、執務室の窓から差し込む陽光を浴びていた。いつもの光景。いつもと変わらぬ完璧なメイド、アンナが、静かに紅茶を淹れている。
そして、いつもと変わらぬ、あの音。
ひゅー! と、鋭く風を切る音が響き、窓ガラスがガタガタと大きく揺れる。
そして、ドスン! と、庭から地響きのような落下音が聞こえてきた。
「……今日の献上品は、なんだ?」
ラルフは、ため息交じりに呟いた。アンナは、無表情に窓の外を見やり、淡々と答える。
「今日は、……あらまあ、ヘビですね」
すると、間髪入れずに「ぎゃー!!!」という悲鳴が庭から聞こえてきた。その声の主を察し、ラルフはゆっくりと立ち上がると、窓の外に目を向けた。
「……サメの次は、アナコンダか……」
庭には、ワイバーンのレッドフォードが、勝ち誇ったように、その巨大な爪で獲物を押さえつけている。それは、まさに巨大な大蛇だった。
どうやら、すでに息絶えているようだが、その巨体と、虹色に光る鱗の模様は、見る者に圧倒的な存在感を与えていた。
そして、その大蛇の横には、見るも無残に卒倒して芝生の上に仰向けに倒れているエリカの姿が。
彼女は、確かヘビやらムカデやら、ニョロニョロしたものが大の苦手だったはずだ。
「ヘビは……さすがに食えないよなぁ」
ラルフは、そう呟いた。彼にとっては、サメや熊は食料となるが、ヘビとなると、また別の感情が湧くらしい。
「冒険者ギルドが引き取ってくれるのでは? 蛇革は高級品だと聞きますし、身は滋養強壮の薬になるとか」
アンナが、実用的な助言を与えた。彼女の冷静な判断は、常にラルフを支えている。
「よし。じゃあ、持ってってやるか」
ラルフは、大型輸送用魔導車:ファットローダーⅡの運転手、レグを呼び出し、レッドフォードが献上した大蛇の死骸を冒険者ギルドに運んだ。
冒険者ギルドの敷地内。そこにとぐろを巻く巨大なヘビを見上げ、ギルマスは顎に手を当てて唸った。
「うーん……、ロックサーペントに見えますが、ここまでデカいと……、それに、なんだか柄が少し違う気もしますねぇ」
ギルマスの目は、熟練の冒険者らしく、獲物の種類と価値を見極めようとしている。
「じゃあ、新種?」
ラルフが問いかける。彼の好奇心は尽きない。
「その可能性もありますが。おそらく変異種でしょうな。ロートシュタインの東の森は、ダンジョンの影響で魔素が濃いですから」
ギルマスは、慎重に言葉を選んだ。この世界の生態系は、魔素の影響で常に変化している。
「で、買取りは、いかほど?」
ラルフは、人差し指と親指で丸を作り、買取り金額について聞いた。彼のペットは、まさかの金稼ぎ要員と化している。
「詳しい金額は王都の本部に運んでみてからになりますが。まず間違いなく高値がつくでしょう」
ギルマスの言葉に、ラルフは満足げに頷いた。
「ウチの子は金まで稼げる。有能で可愛いヤツですわ」
そんな親馬鹿めいた自慢を口にするラルフに、ギルマスは苦笑するしかなかった。
「で、こっちのは?」
ギルマスは、大蛇の隣で横たわる小さな身体を指差して聞いた。
「それは悪役令嬢の変異種、
"チンチクリンメスガキ"というカレーモンスターだ」
ラルフは真顔で答えた。ギルマスは、真剣な顔で首を横に振った。
「こりゃあ引き取れませんぜ」
その時、
「ハッ! 私は、何を、……? ん? ぎゃーーーー!!!」
目を覚ましたエリカが、隣にとぐろを巻く巨大ヘビを見て、悲鳴を上げて飛び起きた。そして、恐怖に顔を青ざめさせながら、這うようにしてラルフの背中に隠れた。
「やっと起きたか」
ラルフは、平然と言った。エリカは、まだパニックになっているようだ。
「な、な、な、な、なん、なん?!」
エリカは、震える声で尋ねる。ラルフは、そっと彼女の頭を撫でてやった。
「そういえば。領主さま、ここの隣に商業ギルドを引っ越しさせるんでしょ?」
ギルマスが、唐突に話題を変えてきた。彼は多忙を極める商業ギルドの状況を、間近で見ているのだろう。たが、
「確かに便利にはなるが、空き物件なんてありませんぜ」
ギルマスの言葉に、ラルフは腕を組んだ。
「そうねぇ、立ち退いて貰えんかねぇ?」
ラルフは、思案するように呟いた。
「長年あそこで商売してきた奴らだ。金じゃあ動かねぇ、って者もいるだろうなぁ」
ギルマスは、商売人の気質をよく知っている。
「でも、悲しいことに。大抵のことは金でなんとかなるのよねぇ」
ラルフの言葉には、どこか達観した響きがあった。
「ハッ! ちげぇねー! ……まあ、ヘビのことは任せてくれ。そんじゃ、また今晩飲みに行かせて貰うぜ!」
ギルマスは、そう言って、ラルフに感謝の言葉を述べ、ギルドの奥へと消えていった。
「あいよー」
ラルフは、手をヒラヒラと振った。彼の傍では、エリカがまだ、怯えきった声で呟いている。
「にょ、ニョロニョロ……ニョロニョロはダメなのよ、ニョロニョロは……」
エリカは、顔を青ざめてまだ震えている。その姿は、まるで小さな子供のようだ。
しかし、ニョロニョロと聞くと、なぜか食べたくなってくる"もの"がある。ラルフの、前世の日本人の性である。
その味覚の記憶が、彼の脳裏に、ほのかな郷愁を呼び覚ますのだった。