114.変な領
ミンネとハルが、幾度もの試行錯誤と、炉の炎との格闘の末に作り上げた陶芸作品のマグカップと湯呑みが、ついに満足いく仕上がりで焼き上がった。二人の小さな手から生み出された、いびつながらも温かみのあるそれらは、クレア王妃への心からの贈り物として、王城へ届けられた。
クレア王妃は、その贈り物を目にした途端、
「まあ! 二人とも、本当にありがとう! ありがとう!」
と、瞳を潤ませながらミンネとハルを抱きしめていた。その喜びようは、まるで世界で一番大切な宝物を受け取ったかのようだ。
その後、王城の従者がやってきて、二人に金貨百枚ずつ置いていった。二人はさすがに恐縮しきって遠慮しまくったが、どうやら王家への献上品という形式上の取り決めを守らなければならないとかで、褒美という形でそれは支払われることになった。
(いや、孤児二人が金持ちになったもんだなぁ?!)
ラルフは、その光景を遠巻きに見て、感心してしまった。
当の二人は戸惑いながらも、その臨時収入はラルフに預けると言い出した。彼らにとって、金よりも、ラルフの傍にいられることの方が、ずっと価値があるのだろう。
そして、エリカが試行錯誤して作っていた試作品のカレー皿は、なぜか商業ギルドのギルマス、バルドルが目をつけ、買いつけていったという。さらに驚くべきことに、ラルフが創設したアートオークション会場で、その皿は金貨二十枚という高値で落札されたのだ。
(どういうこっちゃ?!)
ラルフは、その知らせを聞いて、頭を抱えた。彼の目から見れば、エリカのカレー皿は、ただの不格好な粘土の塊に過ぎない。確かに前世でも、緑色の不格好な楕円の絵が何億という値が付いたり、壁にバナナを貼り付けただけの作品がアートと認識されたり、不可解なバカバカしさがアートだという認識はあった。だが、まさか自分の身近で、それが現実になるとは。
試しに、ラルフが自らろくろを回し、魂を込めて捏ねて焼いたぐい呑みを、何点かオークションに出品してみた。結果は、一点につき、銅貨一枚から五枚という、目を覆いたくなるような安値で落札された。
領主館に帰ってきたラルフは、その理不尽な現実を前に、
「あーあー! もうやってらんねぇよ! もう、ふて寝だよ! ふて寝!」
と叫びながら、執務室で大の字になって横たわった。彼の顔には、芸術の奥深さと、己の凡庸さを悟ったかのような、深い疲労が刻まれている。
その様子を見ていたエリカが、白い横目で呟いた。
「ふて寝だって言いながら、ふて寝する人、あたし初めて見たわ……」
その言葉は、ラルフの心に、さらに深く突き刺さった。
それを聞きつけたエルフのミュリエルが、ラルフの横にちょこんと座り、興味深そうに言った。
「オラもなんか作ってみてええかぁ?」
ラルフは、もうどうでもよくなって、勝手にやらせたら、数日後、完成したのは、何やら禍々しい、仮面だった。
荒々しいテクスチャーと、目の部分にぽっかり空いた二つの穴。そして、口の部分にも、不格好にあけられた穴。その造形は、まるで悪夢から飛び出してきたかのようだ。
(な、なんだコレは? エルフに伝わる呪術的な何かなのか?)
ラルフは、その仮面を前に、思わずたじろいだ。彼の知るエルフのイメージとは、あまりにもかけ離れた作品だった。しかし、アートとは不可解なもの。この仮面も、いつか高値で取引される日が来るのかもしれない。
そんなある日。居酒屋の酔っ払い達が喚く妄想と戯言だと思われていた、漁師と冒険者達で結成された海の冒険者クラン、"シャーク・ハンターズ"の構想が、にわかに現実味を帯びてきてしまった。
貴族の何人かと、そして国王様が、遠洋でしか獲れない魚や巨大水生魔獣の味に、本気で興味を覚えてしまったのだ。
彼らは、居酒屋領主館で出されるサメ料理に舌鼓を打ち、その未知の味覚に魅了された。そして、その食材を安定して手に入れる方法を模索し始めたのだ。
仕方なく、ラルフも出資をした。彼の「めんどくさい」という感情は、新たなビジネスの可能性と、国王や貴族たちの期待の前には、どうにも抗えないものだった。
そして、シャーク・ハンターズの代表として、冒険者の一人がラルフに相談してきた。
「クランハウスにする物件を、港の近くで探しておりまして」
「うん……、それ、領主である僕に相談することじゃなくね? 不動産屋まではじめた記憶はないから。商業ギルドに行きなよ?」
ラルフは、呆れたように言った。本来、そのような相談は商業ギルドが窓口となるはずだ。
「商業ギルドの奴ら殺気立ってて、話を聞いてくれやしやせんぜ!」
冒険者の言葉に、ラルフは首を傾げた。どういうことかわからんが、仕方なくラルフは重い腰を上げた。
彼が動かなければ、この話は一向に進まないだろう。
そうして、商業ギルドのギルマス、バルドルの前に、気味の悪い仮面を被った一人の男が座っている。その仮面は、ミュリエルが作った、あの禍々しいものだ。
「あっ、どうも。お久しぶりです。バルドルさん。無穴です。ちょっと、この物件の、この間取り図について聞きたくて……」
男は、仮面越しに、どこか気まずそうに声をかけた。
「……いや、領主さまですよね?」
バルドルは、その男の正体を見抜き、呆れたように言った。
ラルフはなんだか恥ずかしくなってきて、そっと仮面を外し、机の上に置いた。
(恥ずかしいなら、わけのわからないこと、するなよ!)
と、バルドルは、心の中だけで叫んだ。彼の顔には、疲労と、そして怒りが入り混じっている。
「まあ、そういうことでだな……」
ラルフは、顔を火照らせながら、曖昧に言葉を濁した。
(どういうことだよ?!!)
バルドルは、今にもブチ切れそうだ。彼の脳内では、すでに血管が何本か切れている。
「この物件、冒険者クラン、シャーク・ハンターズが借りたいということなんだが」
ラルフが、ようやく本題を切り出した。
「まあ。いいでしょう。……ただ、もう面倒なんで! 領主さまが買い上げて、直接彼らに貸したらどうですか?!」
バルドルは、悲痛な叫びを上げた。彼の声には、すでに限界が来ていることが如実に表れている。
ラルフは、商業ギルドの地獄絵図を横目に見た。
「屋台の融資の書類、まとまってる?!」
「ちょっと待ってよ! 計算合わないって!」
「ワイバーン肉の卸しの確約、冒険者ギルドに打診したの誰だよ?!」
「ねぇ! メガロドンの肉って、どの商会が扱ってるの?! こんな雑な書類じゃわからないわよ!」
「おい! 緊急便だぁー! 王都からの伝令だぞぉー!」
「どうしろってのよ?! このクソ忙しい時に!!」
まさに、商業ギルドは狂乱だった。書類の山がうずたかく積まれ、職員たちは悲鳴を上げながら走り回っている。しかも、その狂乱のきっかけを作ったのは、グルメ革命に邁進するラルフ、その人だ。
(あっらぁー。いよいよ、これはなんとかせにゃならんなぁー)
ラルフは、心の中でそう思った。彼の無自覚な行動が、このロートシュタイン領に、とてつもない活気と、そして混乱をもたらしている。