112.伝統と作法
ある日、ラルフとミンネとハル、そしてエリカは、領主館の一階で陶芸を嗜んでいた。ドワーフの職人街から取り寄せた陶器用の粘土が、作業台の上に山と積まれている。
皆、思い思いの形を創造しようと、真剣な面持ちで粘土と向き合っていた。
ろくろを回し、器用に手捻りでぐい呑みを作るラルフ。その指先は、普段の無頓着さとは裏腹に、繊細な動きを見せていた。ミンネとハルは、クレア王妃にプレゼントするための湯呑みとマグカップを作っているようだ。二人の小さな手から生み出される、いびつながらも温かみのある作品。ラルフは、二人からそんな心のこもった贈り物をされたら、クレア王妃はまたもキュン死にするのではないか? と、微笑ましく思った。
一方、エリカはというと、顔に粘土をつけながら悪戦苦闘している。
「むー、上手くいかないわねぇ。ちょっと重すぎるのかしら?」
彼女が作ろうとしているのは、巨大なカレー皿だった。
「大きすぎね?」
ラルフは呆れた。その巨大な円盤は、エリカの底なしの食欲そのものを物語っているかのようだ。
「どうせおかわりしちゃうんだから、一発で大盛りカレー食べたいじゃない」
エリカは、不満そうに口を尖らせた。
「いや、初心者に大皿は難しいだろ」
ラルフがアドバイスするも、彼女の情熱はカレーにしか向かわないのかもしれない。悪戦苦闘は続く。粘土の塊は、なかなか彼女の思うように形を成してくれない。
その時、
「た、大変だぁ! 領主さまー!」
領兵が、息を切らしながら駆けてきた。その顔は、恐怖に引きつっている。
「むっ! ……お次はなんだぁ?」
ラルフは、粘土で汚れた手を軽く叩きながら、顔を上げた。また何か、厄介事が舞い込んできたかと、半ば呆れ顔だ。
「み、み、港に、ば、ば、バケモノが?!」
領兵の声には、尋常ならざる怯えが滲んでいた。そのただならぬ雰囲気に、ラルフ一行は、魔導車:ネクサス3に乗り込み、海へと急いだ。
港には、すでに人だかりができていた。海賊公社の人間たちの姿も見える。
皆、口々に騒ぎながら、海を、いや、遠く悠々と波間に揺蕩う、巨大な背びれを見ていた。そのあまりの大きさに、港の人々はただ立ち尽くすばかりだ。
ざっばーん!
突然、その巨大な背びれを持つ何かが、海面を割ってその巨体を舞い上がらせた。青い空を背景に、漆黒の巨大な身体が、見る者の度肝を抜く。それは、
「うぉーーーー!! メガロドンだぁあああああ!」
ラルフは、興奮を隠せない。前世で、B級サメ映画を割と嗜む方だった彼は、異世界ならではの巨大なサメの魔獣の出現に、思わず声を上げてしまった。恐怖よりも、純粋な好奇心が勝る。
「領主さま! なんとかならんすか? あんなのがいちゃあ、船が出せんです」
漁師たちが、ラルフに詰め寄る。彼らにとって、それは生活の糧を奪う死神だ。
「お得意の魔法で、ドッカーン! と殺っちまって下せぇよ」
別の漁師が叫んだ。ラルフは、まあまあ落ち着き給え、と漁師たちをたしなめる。
「サメ退治にはなぁ。作法があるのだよ。まずは、今にも沈みそうな舟のマストにしがみ付きながらだなぁ。"死ね! バケモノ!" と叫びながらドッカーン!! っと」
ラルフには何やらこだわりがあるらしいが、その伝統的なサメ映画の作法は、誰にも伝わらない。漁師たちは、きょとんとしている。
「わざわざ沈める舟なんざぁ、用意できませんぜ!」
漁師のツッコミに、ラルフはむぅ、と唸る。
「もしくはビリビリ感電死だな!」
「あんた、アレまで飼うとか言い出さないわよね?」
エリカは何かを疑うような白い目をラルフに向けた。
「飼う⋯⋯。うーん。飼ったら飼ったでなぁ。隙をついて逃げ出し、次々に人間を襲うってのも、お約束なんだよなぁ」
「さっきから何の話をしてるんです! 領主さまぁ!」
わけのわからないやり取りをしていたその時だった。
バッシャーン!
と、巨大な水飛沫が上がる。その飛沫が、人々の顔にかかるほどだ。そして、
「ギャオオオオオオオオオオ!」
遥か上空から狙いを定め、その巨大ザメに鋭い爪で襲いかかったのは、紛れもない、
「レッドフォード!!? なにしとんのじゃワレぇぇぇぇ!」
ペットに見せ場を持っていかれたラルフの怒号が、港に響き渡った。
「うわぁぁぁぁ!」
「きゃー!!!」
突然にして海上で始まった巨大生物同士の戦いに、人々はパニックに陥る。
レッドフォードは巨大ザメの背中に爪を深く食い込ませ、空に引き上げようとするが、メガロドンは海中で長い尾を激しく振り回し、抵抗する。その巨体が起こす波紋は、港にまで到達するほどだ。そして、キシャーーーー! と、耳障りな威嚇の声を上げた。
「サメって鳴くのかよぉ?!」
ラルフは、思わずツッコミを入れた。彼の目の前で、前世の映画でしか見たことのないような、一大スペクタクルな戦闘が繰り広げられている。もはや皆、呆然と立ち尽くし、その光景をただ見上げている。
メガロドンvs.レッド・ワイバーン ――勝手に戦え!
という状況に、ラルフはもうなんだかどうでもよくなってきた。彼は屋台で海鮮焼きそばとソーダ水を買い、桟橋の端に座り込んで、その壮絶な戦いを見物することにした。
海上では相変わらず死闘が繰り広げられているが、港の人々もすでにパニックを通り越し、座り込んでその大迫力な戦闘を見物しだした。
中には酒を飲んでやいのやいの、メガロドンとレッドフォードのどちらが勝つか賭けまで始めてしまっている者たちもいる。
なんだか、"ロートシュタインらしいなぁ"、とラルフは思ってしまった。この街の人々の、とんでもない状況への適応能力と、どんな時でも楽しみを見出す精神力には、いつも感心させられる。
最後は、レッドフォードがメガロドンを力ずくで陸に引き摺り上げ、その巨大な口の中に強烈なブレスをぶち込んだ。炎と熱に内臓を焼かれたメガロドンは、巨大な痙攣を起こし、息絶えた。
レッドフォードは、勝ち誇ったように雄叫びを上げた。その声は、まさに勝利を告げる凱歌、いや、凱炎咆哮とでも言うべきか。ロートシュタインの空に、新たな伝説が刻まれた瞬間だった。