11.物流にも革命を
ある穏やかな日中、領主館の広大な前庭に、いつもとは異なる緊張感が漂っていた。
領主ラルフ・ドーソンが、何かとんでもないものを披露すると聞きつけ、多くの関係者が集まっていたのだ。
商業ギルドのバルドルを筆頭に、市場の商人たち、木工工房の腕利きの職人たち、そして好奇心に駆られた数名の貴族たち。
彼らの視線の先には、これまでに見たことのない、奇妙な物体が鎮座していた。
それは、まさしく「馬のない馬車」だった。車輪はついているものの、馬を繋ぐ手綱も、馬具もない。代わりに、車体の中央には複雑な魔法陣が刻まれた魔石が埋め込まれ、所々に金属の筒のようなものが突き出ている。
「皆様! 本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます!」
ラルフが、高らかに声を張り上げた。彼の隣には、いつものようにアンナが控えている。
「さて、本日皆様にお披露目するのは、私が長年開発に心血を注いできた、未来を拓く新たな移動手段! その名も、魔導車であります!」
ラルフの言葉に、集まった面々はざわめいた。馬のない馬車? そんなものが本当に動くのか? 誰もが半信半疑の表情を浮かべている。
「これより、試作一号機! いっきまーす!」
ラルフはそう叫ぶと、颯爽と魔導車の運転席に乗り込んだ。まるで、前世の自動車を運転するかのように、彼は慣れた手つきで、見たこともないレバーやボタンを操作していく。
キュルルル……ブォン!
魔導車の魔石が鈍い光を放ち、やがて金属の筒から、見たこともない煙が排出される。そして、ゆっくりと、しかし確実に、魔導車は動き出した。
「な、なんだと!?」
「本当に動いたぞ!」
「馬もいないのに……!」
驚愕の声が、あちこちから上がる。バルドルは、目を見開き、口をあんぐりと開けている。貴族たちは、顔色を変え、その光景に信じられないといった表情を浮かべていた。
ラルフは、ハンドルを握り、滑らかに前庭を一周する。まるで、彼自身がこの乗り物の体の一部であるかのように、自在に操っている。
実は、ラルフは居酒屋の経営を通じて、この領地の物流に大きな問題を感じていた。大量の食材の仕入れ、完成した料理の運搬、そしてエール樽の輸送。どれもこれも、馬車での運搬は非効率的で、時間もコストもかかる。この魔導車こそが、その問題を解決する切り札となるはずだった。
魔導車がラルフの手によって停止すると、集まった者たちは一斉に彼に詰め寄った。
「公爵様! これは一体、どういう仕組みで動いているのですか!?」
「これがあれば、荷物の運搬が格段に早くなるではないですか!」
「これは、世の中を変えるに値する発明だ!」
商人たちは、早くもその莫大な商機に気づき、目を輝かせていた。木工工房の職人たちも、その構造や素材に興味津々で、熱心に魔導車を観察している。
しかし、一部の貴族たちは、その光景に危機感を感じていた。馬車による輸送業は、一部の貴族や商人が大きな利益を得ていた分野だからだ。この魔導車が普及すれば、彼らの既得権益が脅かされることになる。
「ラルフ様、これはあまりにも、あまりにも危険な発明ではありませんか?」
ある貴族が、震える声でラルフに詰め寄った。
ラルフは、そんな彼らの反応を面白そうに眺めていた。彼は、この魔導車がもたらすであろう変化を、誰よりも理解している。
「さて、皆様。本日はこれにてお開きとさせていただきます!」
ラルフは、唐突にそう告げた。集まった者たちは、不満そうな顔をする。もっと詳しく説明を聞きたい、その仕組みを知りたい、と口々に言い出した。しかし、ラルフは彼らの言葉に耳を貸さず、広場に集まっていた孤児たちに目を向けた。
「よし! 明日は休みだ! ガキどもー! これに乗って、海いくぞー!」
ラルフの言葉に、孤児たちの顔に一斉に笑顔が花開いた。
「いぇー!」
「海ー!」「やったー!」
子供たちの歓声が、領主館の庭に響き渡る。彼らは、まだ一度も海を見たことがないのだ。
光景を見て、集まった大人たちは呆然とした。革命的な発明の直後に、子供たちを乗せて遊びに行くというのか。ラルフの行動は、彼らの常識をはるかに超えていた。
アンナは、そんなラルフの隣に立ち、深いため息をついた。
「旦那様は、本当に。しかし、これもまた、旦那様らしいといえば、旦那様らしいのですが……」
ラルフは、子供たちの笑顔に満足げに頷き、そして、もう一度魔導車に乗り込んだ。その瞳には、新たな冒険への期待と、この領地を、そしてこの世界を、より豊かに変えていこうとする、確固たる決意が宿っていた。