102.お菓子はどこへ消えたか?②
ヘンリエッタは、クレア王妃が座る目の前のテーブルを凝視した。
そこには、お茶会の名残であるティーカップやソーサーが並んでいる。しかし、肝心の消えた菓子が置かれていたはずの場所には、何もなかった。
「お皿は、お皿も一緒に消えたのですか?」
ヘンリエッタは、問いかけた。
「あら? そういえば、どうなのかしら?」
クレア王妃は、にこやかに首を傾げた。その表情には、本当に覚えていないような、どこか間の抜けた雰囲気があった。
メイドたちに備品の皿を数えさせると、計算はぴったり合っていた。皿は一枚たりとも減っていない。消失していないのだ。
(しかし、ではなぜ、王妃の目の前に、皿が置かれていないのだろう?)
ヘンリエッタは、頭の中でこの矛盾をこねくり回した。菓子が消えたのなら、通常は皿だけが残るはずだ。皿ごと消えたのなら、備品数が合わない。だが、皿は残っていないのに、備品数は合っている。これはどういうことだ?
ヘンリエッタは、そこにいる全員を見渡した。クレア王妃、宮廷魔術師たち、貴族のご婦人方、そして侍従たち。彼女は、それぞれの表情、態度、仕草、視線の動きを瞬時に観察した。誰もが、どこか落ち着かない様子で、ヘンリエッタの視線が向けられると、そっと目を逸らす。
「クレアさま。一つお聞かせ下さい」
ヘンリエッタは、王妃に向き直り、静かな、しかし確固たる声で問いかけた。
「あらぁ、何かしら?」
王妃は、変わらずにこやかに首を傾げた。
「クレアさまのお言葉に、嘘偽りはないですか?」
その言葉が放たれた瞬間、周囲の者たちの顔が、一斉に青ざめた。その場にいた貴族たちや侍従たちは、まさかそのような言葉が発せられるとは思ってもいなかったのだろう。そして、間髪入れずに非難の声が上がる。
「まあ! なんてことを言うの?!」
「不敬だ! 不敬にもほどがある!」
「子供と言えども、聞捨てならんぞ!」
「そうよ! そうよ!」
臣下たちや、貴族のご婦人方が、一斉にヘンリエッタを糾弾した。その声は怒りに満ち、彼女を睨みつける視線は、まるで悪魔を見るかのようだ。
しかし、その喧騒を、クレア王妃はスッと片手を上げて収めた。
彼女の表情は、先ほどまでののんびりとした雰囲気から一変し、どこか厳粛なものになっていた。
「ヘンリエッタちゃん。王族というのはね、大変なのよぉー。特に女となるとね。着飾るように嘘をつき、笑顔のままに自分を偽る。……ここは、ロートシュタインとは違うのよ」
王妃の言葉は、諭すような、しかしある種の、覚悟を感じさせるものだった。その声には、長年、王族として生きてきた者の苦悩と、秘められた真実が含まれているようだった。ヘンリエッタの背中には、ゾッとするような悪寒が込み上げた。この王宮は、ロートシュタインの居酒屋領主館とは全く違う場所なのだと、改めて思い知らされた。真実を追求することが、必ずしも正しいとは限らない、ということを。
その時、張り詰めた静寂を、場にそぐわないほどに能天気な声が壊した。
「誰かがパクって食ったんだよな?」
声の主は、ラルフだ。彼は、状況の深刻さを全く理解していないかのように、のんびりとした口調で言った。その一言は、ピリピリとした空気を一瞬で粉砕する。
ラルフの言葉を聞いたクレア王妃は、ハッと顔を上げた。そして、彼の顔を見て、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあ、犯人はラルフ・ドーソン公爵ね! 姿を消し、宮廷魔術師にもバレない手際で菓子を盗み食いする。この王国に、そんなことができる魔導士が、他にいて?」
クレア王妃は、挑発するように微笑んだ。その言葉には、ラルフへの信頼と、そして彼をからかうような意図が込められているのが見て取れた。彼女の視線に、周囲の者たちの視線も加わる。皆の視線が、まるで鋭い針のようにラルフに突き刺さる。彼の卓越した魔法の腕前を知る者たちにとって、王妃の言葉は、まさしく真実のように響いただろう。
「僕はロートシュタインにいたから! アリバイはあるから!!」
ラルフは、慌てて両手を振りながら、必死に潔白を主張した。彼の顔は、突然の濡れ衣に焦り、真っ赤になっている。
しかし、誰もがその言葉を信じているかどうかは、定かではなかった。お菓子の消失事件は、思わぬ方向へと転がり始めていた。そして、この事件の裏に隠された真実が、少しずつ、しかし確実に、その姿を現し始めていた。