逆境のアメリ
「アメリ・ハローズ。君との婚約を破棄する」
私はアメリ・ハローズ侯爵令嬢。
今日は、私の人生の中で最も素晴らしい一日になるはずでした。
しかし、学生時代の集大成であり、これからの未来に対する希望と期待で胸が膨らむ卒業パーティーにおいて、婚約者である同じ侯爵家の子息、エドワード・アッシュフォードから婚約破棄を宣告されてしまったのです。
婚約者の冷酷な言葉を耳にした瞬間、まるで世界が静止したかのように感じられました。
私はその場に立ち尽くし、心の中でエドワードに対する怒りと悲しみが渦巻くのを感じましたが、上手く言葉を発することができません。
すべてが夢のように、頭の中が真っ白になっていくのです。
「⋯⋯理由を、お聞かせ願えるかしら?」
恐らく、聞かなくても分かっています。
けれど、何とか絞り出して、私は声を震わせながら尋ねました。
エドワードは冷ややかな目で私を見つめ、そして彼の一歩後ろに立っている美しい男爵令嬢エリス・ローズに目を向けました。
彼女の表情は、一見怯えているように見えましたが、瞳には私に勝ち誇った色が浮かんでいました。
「理由は簡単だ、アメリ。お前がエリス嬢をいじめていたことが原因だ!」
その言葉を聞いて、私はやはりという気持ちでいっぱいでした。
私がエリス嬢をいじめていた?
そんなこと、ありえません!
私は一度もそんなことをした覚えがありません!
なぜなら、侯爵令嬢の私と、男爵令嬢の彼女との接点なんてほとんどなかったからです。
会話すらまともにしたこともありません。
さらに、見た目以上に気が強いと女学生の間でも有名なエリス嬢が、誰かにいじめられるなんて信じられません。
ましてや、この私になんて。
この半年ほどの間、エドワードは何度も私にエリス嬢をいじめているのではないかと問い詰めてきました。
その度に私は驚き、そんなことは決してしていないと説明しました。
しかし、エドワードは私をかばうどころか、エリス嬢を心配する言葉を口にするばかり。
次第に、エドワードとエリス嬢は互いに心を通わせるようになり、私との関係は冷えていったのです。
私の中で激しい怒りと悲しみが交錯している中、エドワードは続けました。
「お前にはもう我慢できない。エリス・ローズ嬢こそが、僕にとってふさわしい女性だ!」
その一言に、侯爵令嬢としての矜持とともに、怒りと失望が心を支配し、そしてその奥底には、言いようのない虚無感が広がっていきました。
もう⋯⋯なんなのこの茶番劇は?
そうよ、こんなの、まさに婚約破棄のテンプレじゃない!⋯⋯って、あれ?
その瞬間、私は自分がこの世界に転生したことを思い出しました。
ああ、ここは、かつて読んだ小説の世界だわ!
そして、エドワードとの婚約破棄まで、すべてが物語通りに進んでいる。
なんで今まで気づかなかったのでしょう。
もっと早くにこの世界が小説の世界だと気づいていれば、違う展開にもっていけたかもしれません。
さらにここは剣と魔法のファンタジーの世界。
私は侯爵令嬢としてのたしなみばかりを勉強してきて、剣術や魔法は二の次でした。
女学生が剣術科や魔術科にいることを、馬鹿にしていた節もありました。
「私は」
なんて愚かだったのでしょう。
私の心は次第に冷静さを取り戻していきました。
エドワード・アッシュフォード。
彼は確かに容姿端麗ですが、心から愛することができる人ではありません。
彼がエリス嬢だけでなく、他の女性と遊んでいたことも、なんとなく感じてはいましたが、それでも侯爵家同士の繋がりのために我慢していたのです。
けれど、もう彼に未練はありません。
確か、物語中の婚約破棄の場面では、私は大声で泣き叫び、エドワードとエリス嬢を罵り、さらにはエリス嬢をビンタして、卒業パーティーを台無しにしてしまうことに。
そして、最終的に両親に修道院に送られてしまうという展開だったはずです。
私のすべきことはただ一つ。
エドワードとの婚約破棄を受け入れる。
そして、これからの自分の人生をどう歩むか。
私にとっては、そちらの方が重要事項です。
私は心を決めました。
「おい!聞いているのか!」
エドワードが怒鳴るように叫びました。
私はその一言を無視することなく、冷静に答えました。
「承知しました」
「へ?」
その瞬間、エドワードは驚愕した表情を浮かべ、部屋の中の皆も呆然として言葉を失いました。
おそらく、私が泣き叫んで駄々をこねると思っていたのでしょう。
おあいにくさま。
もう、貴方に未練は1ミクロンもありません。
エリスは勝ち誇ったようにほくそ笑んでいましたが、私は彼女に一瞥をくれるだけで、冷ややかに見返しました。
「どうぞお幸せに」
私は静かにカーテシーをし、毅然としてその場を後にしました。
背後でエドワードとエリスが呆然としているのを気にせず、堂々と歩き出しました。
そう、今、私は新たな一歩を踏み出します。
これから、私の新しい人生の始まりですわ。
***
卒業パーティーを後にした私は自室に戻ると、気持ちを落ち着かせるために、深呼吸をしました。
こんなことになったことに、最初はもちろんショックでした。
しかし、それが前世を思い出すきっかけにもなり、気づけば、無意識のうちに自分を奮い立たせる気持ちが芽生えていたのです。
「これからは、この世界をどう生きるかが重要よね」
私は心の中で自分に言い聞かせました。
今までの私は、お嬢様としてのたしなみばかりを学び、他の事へは正直興味を持っていませんでした。
けれど、今、この世界にいる以上、私はもっと色々な事を学ばなければならない。
そして、何より、魔法を使いたい。
あの小説の中で、魔術師として名を馳せるキャラクターがいました。
たしかレオン⋯⋯その人物のように、私も魔法を使いこなせるようになりたい。
魔法を学び、自分の力で新たな人生を切り開いていきたい。
新しいことを学ぶためには、まず情報を集めることから始めなければなりません。
これからは、今の自分を超えて、どんな困難にも立ち向かえる強さを身につけるのです。
婚約破棄という経験を通して、私はすでにひとつの試練を乗り越えたのだから、これからの苦労など何の問題もありません。
その後、私の変化は目を見張るものでした。
学園を卒業した後、婚約破棄を気の毒に思った両親が、私の希望を聞き入れて家庭教師をつけてくれました。
さらに、
「お嬢様、実は私、魔法を少しだけ学んでいます」
専属メイドのアーニャが、かつて家族のために魔法を学んだ経験があること。
そして、魔法を教えることを申し出てくれました。
アーニャは私に魔法の基礎から教え始め、私の才能を引き出す手助けをしてくれました。
アーニャのおかげで、少しずつ魔法を使いこなせるようになり、やがて私は王宮魔術師としての職を得ることができました。
その後、他の魔術師たちと切磋琢磨しながら、私は王宮での地位を築いていきました。
そして、同じ王宮魔術師である辺境伯の子息。
私の憧れていたレオン・ルーンブルグと出会いました。
魔法を深く学び、日々精進しているレオンとは、仕事を通じて何度も顔を合わせるうちに、お互いに尊敬し合うようになりました。
彼の真摯な姿勢と、私と同じように魔法を学ぶ姿勢に、心が惹かれていくのは必然でした。
そしてある日、彼から言われた一言が、私の心を打ちました。
「君と一緒に魔法を学べて、俺は本当に幸せだ」
私たちは心を通わせ、やがて結婚することとなりました。
結婚式の日、私はあの時感じた心の叫びを思い出しました。
あの婚約破棄が、私の人生を変えたんだ、と。
辺境伯領に嫁いだ後、私はその魔法の才能を存分に発揮しました。
魔物の脅威にさらされていた領地を守るため、次々と魔法を駆使して問題を解決していきました。
辺境伯領に嫁いだ後、私はその魔法の才能を存分に発揮しました。
「やはり、君は素晴らしい女性だ」
レオンのその言葉に、私は温かな安心感を覚えました。
傷つき、信じることができなかった私は、ようやく誰かに評価され、愛されることを実感した瞬間でした。
過去の痛みを乗り越え、レオンと共に辺境伯領を治め、力強く生きることができるようになったのです。
***
逆境を乗り越え、辺境領を守り、発展させた女傑として、アメリ・ルーンブルグの名前は今でも語り継がれています。