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第9話

 マントで灯りを隠しながら、足元だけを照らして進む。敵にこちらの位置を知らせないのと、闇に目を慣れさせるためだ。

 ハルワの首に結んだロープをフェンネルが持ち、さらに伸ばしたロープをメルロー様が持ち、さらにその後ろを自分が持って、ほとんど視界のない暗闇をなんとか進んでいく。


「そっちは川です」

「橋はあるのか?」

「ありませんが、今の季節はほとんど水が無いはずです」

「匂いを消すつもりだ」

「ハルワなら大丈夫。普通の犬とは違うから」


 川原に出ると頭上がひらけ月光が降り注ぐ。少し明るくなった。


「なるべく同じ石を踏むように歩け」


 水に落ちないよう石の上を渡っていく。石がぐらつかないか確かめながらフェンネルが先行する。なるべく同じ場所を踏むようにメルロー様が歩き、さらに同じ場所をわたしが歩く。

 川をこえた辺りで、フェンネルが足を止めた。


「見ろ。足跡だ」


 水に濡れた足跡だ。わたしたちは濡れないように川を渡ったが、敵は匂いを消すためわざと水に入っている。

 灯りで照らしながら足跡を追うと、また川の方へ向かっている。


「進むと見せかけて戻ったか」


 しかしハルワが進みたがらない。上流の方を向いてピタリと静止している。


「ハルワに従って」

「わかった」


 ハルワを追って川沿いを進むと、また足跡を発見した。


「戻ると見せかけて、また戻った」


 足跡は林間の小道に続いている。


「敵が往復したところを、こちらは直進できました。もうすぐ追いつけるのではないでしょうか?」

「かもしれないが、待ち伏せが怖い。ハルワに様子を見てきてもらおう」

「ハルワ、お願いできる? 敵にバレないように、この先に居ることだけ確認できれば良いから」


 ハルワの首からロープを外してやる。足音もなく疾走して小道に飛び込んだ。


「敵は追手を警戒している。進みが遅い。追いつくのは簡単そうだが、奇襲するのは難しいだろう」

「どうするの?」

「見張りながら機会をうかがう。ダメなら増援を待つ」


 しばらくするとハルワが帰ってきていた。


「この先にいた?」


 ハルワが静止する。イエスだ。


「敵は三百ヤードの距離にいる」

「なぜわかる?」

「時間をカウントしてたの。ハルワの走るスピードは知ってるから、距離が計算できる」

「この道の先には何がある?」

「しばらく進むと分岐があります。左手は川沿いに山を越える道。右手には小さな小屋があります」

「敵は近い。慎重に進もう。灯りはなるべく小さく」


 林間の小道に入る。

 月光も届かない暗闇を、限界まで灯りを絞って進む。もしも敵に見つかったら、どうなるかわからない。命の危険もある。

 足を前に動かす。ただそれだけのことに神経がすり減っていく。それでも黙々と繰り返すしかない。ロープだけを頼りに、ひたすら闇の中をかき分けて進んでいく。とても長い時間が経過したように思えた。

 メルロー様が止まった。前にいるフェンネルが止まったようだ。


「灯りが見えた」


 フェンネルの囁やき。

 灯り? どこに?

 目を凝らして探そうにも、どの方角を見れば良いのかもわからない。


「このまま近づいて奇襲するか、ためしに交渉してみるか」

「交渉してみましょう」


 方針が決まった。


「ハルワに遠吠えをさせることはできるか?」

「わからない」


 そんなことを話していると、いきなりハルワが吠えた。


「オオオーーーーン!」


 低く唸るような声。


「ワォワォワォ、オオオオーーーーン!」


 さらに低く太く、長く吠えた。

 すると視線の先に灯りが見えた。警戒して周囲を照らすように灯りを動かしている。


「カベルネ、そして盗人ども、おまえたちは包囲されている。大人しく投降しろ」


 フェンネルが叫んだ。


「なにが盗人だ! バーガンディはギャンブルの負けを暴力で取り返す気か? こちらには証文があるのだぞ。隠れていないで出てこい!」


 叫び返して来た。


「望み通り、話し合いましょう。わたしが行きます」


 そう言ってメルロー様が灯りを掲げる。


「やめろ!」


 フェンネルの慌てた声。


「考えがあります。このチャンスは絶対に逃せません」

「危険すぎる!」

「承知の上です。交渉が決裂したら囮になります。隙をついて攻撃してください」

「無謀だ!」


 フェンネルの制止を聞き入れず、メルロー様はひとり敵の方へ向かっていく。

 敵の方もこちらへ向かって歩き出す。

 わたしはフェンネルに腕を引っ張られ、一緒に茂みに身体を隠した。

 隠れたまま敵を観察する。顔は見えないが男が四人。


「四人いる。隠れてはいないみたい」

「そうじゃない。こちらに頭数が割れているのは、敵もわかってる」


 そうか。四人いるのは知られているのだから、それ以下の人数にはできない。もしも敵が増援と合流していたら、四人以上に見えないように隠れさせる。だから安心はできないのだ。


「おやおや、バーガンディの娘さんか」

「メルローなのか?」


 暗闇に小さな灯りが5つ集まった。

 交渉がはじまる。


「単刀直入に行こう。金を返してくださいでは話にならない。こちらにメリットはない。交換条件だ。何を出せる?」

「母の日記とアンフォラだけは返してください。他はすべて差し上げます。ダメなら盗難届けを出し、どこまでも追いかけます」

「バーカ! ダメに決まってるだろ! ママのワインはオレのだぞ?」


 日記とアンフォラを差し出せば、金品は諦める。敵の目的は宝石類だと思われる。日記とアンフォラを持ち出したのはカベルネだ。つまり「カベルネを捨てれば追いかけない」ということになる。

 なかなか魅力的な提案に思えるが。


「保証がない」

「弟を人質にしてください」

「はあ? バカだろ?」

「ハハハ」

「アンフォラだけで良いのか? 中身は特別なワインなんだろ? 帝都に運べば大金になるらしいじゃないか?」

「良いでしょう。中身は諦めます。アンフォラだけ返してください」

「どうやって開ける?」

「オレのだぞ! 勝手に決めるな!」

「開け方は父が知っています」

「いま教えろ」

「無理です」

「交渉決裂だな」


 短い悲鳴。メルロー様が捕まってしまったようだ。


「放してください!」

「おまえも人質になってもらう」


 フェンネルが「チッ」と舌打ちした。


「開け方なら知っています!」


 茂みから飛び出してそう叫んだ。


「メルロー様を解放すれば開け方を教えます! メルロー様から手を放してください!」

「やったぞ! メルローなんかいらない。開け方を教えてもらおう」

「少し黙ってろ。おまえが開け方を知ってるという保証がない!」


 それはその通りだ。

 どうやって納得させる?

 いや、納得なんかさせなくていい。


「あなたがたに選択肢はないはずです。開け方を教えてくれるあてが他にあるなら、好きにすればいい。いないのでしょう? そのアンフォラを開けられるのは、わたしとバーガンディ様だけです。それに、メルロー様を返さないというなら、ここで戦います。争いになれば死傷者が出ます。なるべく平和的に交渉したかっただけで、戦いで負けるとは思っていません」


 しばしの沈黙。


「もし戦闘になったら、トフィーはとにかく逃げろ。何があっても振り返るな。増援を呼んできてくれ」


 フェンネルが囁いた。


「少し相談させろ!」


 ならず者たちが相談をはじめる。はっきりとは聞こえないが、女だけで行動しているとは考えられないこと、犬がいることを話し合っているようだ。

 メルロー様の「答えられません」という声が聞こえた。こちらの人数を聞かれたのだろう。


「良いだろう。女を離す。開け方を教えろ」

「メルロー様を解放するのが先です」

「わかった」


 メルロー様が解放される。

 こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。

 ちょうど中間地点にさしかかった所で、敵が「止まれ!」と叫んだ。


「そこから先に進むのは開け方を教えてからだ」

「トフィーさん教えないで。交換条件にしましょう」

「それはできません。約束は守るべきです」


 わたしは大声で開け方を説明した。まず湯を沸かし、アンフォラの蓋の窪みに注ぐ。しばらく待つと塗料が溶けるのでボロ布で拭う。それを繰り返して蓋の模様が消えれば、封印の効果も消える。


「まあ良いだろう。その方法で開封できたら、日記とアンフォラの返還も考えてやる。おまえらはここから立ち去れ」

「そんな! 諦められません」

「いまはそうするしかありません」

「後退しろ。まだチャンスはある」


 わたしとフェンネルが説得するが、メルロー様は聞き入れてくれない。

 しかたなくフェンネルが藪から飛び出して、メルロー様を掴んで無理やり後退させる。


「おまえ! あのときのヤックの女!」


 カベルネが飛び出した。


「バカ! やめろ!」


 仲間の制止を無視して、懐から武器を取り出した。細い棒状の武器だ。

 フェンネルは自分の身体を盾にして、メルロー様を背後にかばう。


「ヒィ」


 メルロー様が悲鳴をあげた。

 カベルネの武器、あれはラタンの鞭だ!

 鞭を持った手をまっすぐフェンネルに向けた。


「よけて!」

「死ね!」


 棒状の鞭が弓矢のように射出される。

 バン!と大きな衝突音がして、フェンネルが仰向けに倒れた。そのまま地面をずるずるとすべる。


「フェンネル!」


 駆け寄る。

 フェンネル!

 フェンネル!

 どうしよう?

 フェンネルが!


「やったぞ!」


 カベルネの脳天気な声。


「やりやがった!」

「クソったれ!」

「どうする? やっちまうか?」


 敵も浮き足立っている。

 ハルワが「ガルル」とうなった。


「やめろ、これは事故だ。カベルネがやったことで、オレたちに争う気はない」


 フェンネルを抱き寄せるとゴホゴホと咳き込んだ。


「まだ息がある。悪いことは言わん、仲間を連れて帰れ。早くしないと死ぬぞ」


 そう言い残して、ならず者は立ち去った。

 フェンネルは生きてる!

 傷は?

 暗くて良く見えない。

 衣服の上から傷を確認していると、その手をフェンネルが掴んだ。温かい。握る力もある。大丈夫だ。そんな意志を感じる。

 フェンネルが目を開いた。


「フェンネル?!」

「大丈夫だ。驚いたが、傷は浅い」


 良かった!

 フェンネル!

 本当に良かった!

 安心したら涙がこみ上げてきた。


「自分で起きられる」


 フェンネルがそう言うので、少し身体を離す。


「無理しないで」


 フェンネルが立ち上がって身体を動かす。最初はゆっくりと、ストレッチをして、しだいに早く動く。


「問題ない。ほとんど無傷だ」


 信じられない。


「トフィーさん、これを」


 呼ばれて灯りを向けると、メルロー様が手を広げて見せた。持っているのはボロボロに壊れたラタンの鞭だった。


「飛んできた鞭がフェンネルさんの胸に当たる直前、一瞬だけ空中で止まったように見えました。それから何かが弾けるような衝撃があってフェンネルさんが倒れたんです」

「直前で止まった? フェンネルには当たらなかったんですか?」


 フェンネルが自分の胸のあたりを服の上からまさぐる。


「アミュレットが壊れている……」


 そういうことか。フェンネルが身につけていたアミュレットが魔術の効果を打ち消したのだ。


「大切なアミュレットだったのに……」


 フェンネルがショックを受けている。

 災いを払って壊れたということは、そのアミュレットには本物の魔術がかけられていたのだ。素人が作ったお守りみたいなアミュレットはどこにでもあるけれど、持ち主の命を救うほどのアミュレットはかなり貴重だ。良い材料、魔術師の技量、それから相手への強い気持ちが必要になる。特別なものだったのだろう。


「あの、フェンネルさんが無事なら、チャンスではないでしょうか? 敵は油断しています」

「いや、こちらからしかけるのは危険だ」

「この先には山小屋があります。敵はそこで朝を待つと思うのです」

「場所がわかっているなら、焦る理由はない。戻って増援をつれてくるべきだ」

「あるんです。アンフォラを開けてしまったら、魔術が解けたらワインの劣化がはじまります。これがどれほど重大なことか、カベルネたちには理解できないのです」


 メルロー様の声に熱がこもる。


「わたしひとりでも行きます」

「行ってどうする?」

「アンフォラを開けないように説得します」

「危険すぎる」

「あのアンフォラには、それだけの価値があるんです!」

「命より大切なものなどない」

「あります。トフィーさんならわかってくれますよね?」


 急に話をふられてしまった。


「わかった。トフィーが決めてくれ。オレはそれに従う」

「わたしもそれで構いません」


 進むか、戻るか。

 わたしの決定にふたりが従う。

 責任重大だが、すでに結論は出ていた。

 この夜の間、ずっと考えていたことがあるのだ。


「フェンネルの身体は本当に大丈夫?」

「ああ、どこにも痛みはない」


 念のため確認した。


「わたしは戻るべきだと考えていました。できるだけ早く、大勢の人手を集めるべきだと。ですが、今は進むべきだと思っています」

「なぜだ?」


 不満そうなフェンネルを無視して言葉を続ける。


「進むのはアンフォラと日記を取り戻すためではありません」

「そんな!」


 今度はメルロー様が不満を訴えた。

 そう、わたしの考えはどちらとも違っているのだ。


「わたしたちにはもっと大切な役目があります。話すと長くなるので、移動しながら話しましょう。まずはシラー様のワインの秘密から」


 メルロー様が息を呑む。


「ワインの秘密がわかったのですか?」

「まず、わたしの推論をお話します。そのあとで証拠をお見せします」

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