表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/11

第3話

 ふたたび馬車は走り出す。

 ナラの林を抜けると、緩やかな丘に広がるぶどう畑があらわれた。金色の夕陽が畑の隅々まで届き、成熟したぶどうの房が煌めいている。

 畑の先にいくつも建物が見える。ワイン倉、作業員の寝所、それから本邸。大勢の人が働いている。小さな村みたいだ。

 敷地の中へ入り、さらに本邸の前の扉から中へ入る。馬車が止まった。


「いいですか、くれぐれもオペラと呼ばないように」


 オペラ様がそう言った。


「かしこまりました。マダム・ジョコンド」

「はい、マダム」


 ブラン様とわたしがそう答える。

 第二王妃のオペラ様が急にあらわれたら大騒ぎになってしまう。幸いなことにオペラ様の顔はあまり知られていない。事件の調査で城を出るときは、身分を隠して行動することが多い。

 植物学者のマダム・ジョコンドというのが、そういうときにつかう名前なのだが、これは偽名というわけでもない。オペラ・ビスキュイ・ジョコンドはオペラ様の旧姓で、学位をもっているのも本当だ。調べられても簡単にはバレない。

 植物学者というのも便利な肩書で、行く先がどこでも「植物の調査に来た」という理由がつかえる。「こういう花を見なかったか?」などと会話して知識を披露すれば疑われることもない。

 そしてわたしはマダムの助手という設定だ。


 馬車を降りるとバーガンディ様が迎えてくれた。立派な髭のクマみたいな大男だ。

 ブラン様が植物学者の知人を連れていくという話は、昨日のうちに早馬を出して伝えてある。マダム・ジョコンドの調査に協力してほしいという国王の手紙も添えた。

 当主みずからの出迎えは手紙の効果だろう。


「ようこそいらっしゃいました、マダム・ジョコンド」

「こちらこそ、急な話でもうしわけありません。植物は季節の移ろいに敏感です。この機会を逃せばまた来年までま待たねばなりません」


 ひとまず簡単な挨拶だけすませ、バーガンディ様とはいったん別れた。まずは客室に案内してもらい、荷物を整理して、話はそれからだ。

 ブラン様はさっそくメルロー様のところへ。フェンネルは「盗賊を尋問する」と馬小屋へ。ハルワはバーガンディ様が飼っている犬と一緒に走り回っている。

 わたしとオペラ様は、使用人に先導してもらい邸内へと移動する。玄関の先は吹きぬけのロビーになっていて、目立つ場所に女性の肖像画が飾られていた。おそらくシラー様だろう。小柄で、明るい表情の女性だ。


「これはシラー様の肖像でしょうか?」


 荷物運びを手伝ってくれている使用人に声をかけた。


「はい。その通りです」

「シラー様が蘇ったという噂は本当ですか?」


 ついでに質問すると使用人が渋い顔になる。


「もうしわけありません。お答えできません」


 なんだろう?

 答えられないと言われると、まるで「蘇ったのは真実だ」というふうに聞こえる。


「オペラ様、変だと思いませんか? 何もなければ噂を否定するのが普通だと思えます」


 そう耳元で囁いた。

 オペラ様は顔色ひとつ変えずにこう答えた。


「それより、シラーには魔術の才があったようですね」

「え? どういうことでしょう?」

「肖像画に書かれている文字を読みなさい」


 あらためて見ると、肖像画の下部に文章が書かれている。


「我が妻シラーの奇跡の業を讃えん。天の移ろいを見抜き、長雨を止め、霜を避けし者。そして、時を超え不滅なる者」


 最後の一文だけ絵の具の色が鮮やかだ。書き足されたばかりなのだろう。時を超え不滅なる者。やはり「シラーが蘇った」と思える文章だ。

 ありえない話だが、シラー様には不思議な力があったとしたら?


「シラーは精霊に好かれていたのでしょう」


 魔術師としての修行をしていなくても、生まれつき精霊の声を聞き、精霊に愛される人がいる。精霊たちは愛する者の呼びかけに答え、特別な力を与える。そこいらの魔術師より大きな力を持つことがあるのだ。


 そのまま母屋を通り抜け、客室へと案内された。客室と表現したが、母屋に隣接した別宅になっていて、必要な設備はすべて揃っている。オペラ様の屋敷より広い。

 ひと息ついてから荷物の整理だ。オペラ様の荷物は王都からの土産物と着替えがほとんどだ。普段は高価なドレスを着ないオペラ様でも、客人という体裁がある。それなりの服が必要になるのだ。

 さっそく今夜のディナーにそなえなければ。着付けを手伝って、髪を結い、お化粧をする。


「あまり派手なメイクにしないように。控えめで自然な感じにしてくださいね。お願いしますよ」


 それくらい言われなくてもわかってる。

 メイクをしている間もオペラ様は口うるさく、わたしが筆に色をのせるたびに「派手すぎる」と文句を言ってきたが「大丈夫です」と無視して作業を続けた。


「できました。とってもお美しいです」

「あら。褒められると悪い気はしませんね」


 ほら、大丈夫だったでしょ。心の中でそう言った。小さい頃から化粧は得意で、ラミントン王妃にもよく褒められていたのだ。

 夕食の席でも、オペラ様の美貌は評判だった。


「美しさの秘訣も植物から学べるものですか?」

「学者にしておくのがもったいないね」


 バーガンディ様とその母上が口々に褒めてくれた。わたしも鼻が高い。

 そしてもうひとり、遅れてやってきた男がこう言った。


「この人がマダム・ジョコンド? 凄い美人じゃん。植物学者っていうから、メルローみたいな暗い女だと思った」


 バーガンディ様を若くして、細くしたような外見の男だ。


「カベルネ! お客様に失礼だぞ。息子がもうしわけありません」

「美人だって褒めたんだ。失礼ってことはないだろ? この外見で頭も良いなら、クルティザンになれるよ」


 クルティザンというのは高級娼婦のことだ。

 オペラ様が苦笑いする。バーガンディ様もだ。


「ともかく席におつきください」


 バーガンディ様にうながされ、用意された席に座る。すべての席が埋まったが、肝心のメルローの姿が見えない。


「娘さんがいると聞いていますが」


 オペラ様が疑問を口にすると、ブラン様が答える。


「メルローは来ないそうです。もう寝ると」

「体調でも悪いのですか?」

「もうしわけない、娘のメルローなんですが……」


 バーガンディ様が非礼をわびて、なにか話そうとしたところ、それを遮るようにカベルネ様が口を開いた。


「できの悪い娘でもうしわけありません。お客様が来ているというのに、何を考えているやら」


 不自然に抑揚をつけた大げさな口調。なんとなく気持ち悪い。


「カベルネ、少し黙りなさい。メルローはブドウの収穫にそなえているのです。夜が明ける前の時間に収穫するのが一番良いとかで、この時間には床についているのです」

「変な娘でしょう? 夜のうちに収穫するなんて、聞いたこともない。やめろと言っても聞かないんですよ。困った娘です」


 またカルベネ様がでしゃばってきた。やっぱり変な喋り方だ。なんでこんな口調になるのだろう。


「わたくしは素晴らしいアイデアだと思います。ブドウは木が寝ている間に収穫するのが最良なのです」


 オペラ様が断言するのを聞いてバーガンディ様の顔が明るくなった。植物学者から太鼓判を押されたのが嬉しいのだろう。


「はい。メルローは帝都の大学を出ています。専門は植物ではありませんが、マダムの後輩といえるかと」

「そのようですね。ブランからは大学の同期だと聞いていました。会うのを楽しみにしていたのですが、事情があるなら仕方ありません」


 それからは和やかなムードで、この地方の植物やブドウについて会話がはずんだ。バーガンディ様はブドウの栽培に従事してきた人だけあって、このあたりの植生にはかなり詳しいようだ。そしてオペラ様はそれ以上の知識をもっている。次から次へと興味深い話が飛び出してくる。

 ところがしばらくすると、カルベネ様が「あーあ、つまんない」と声に出して席を立った。


「座りなさい。お客様がいるだぞ」

「そろそろ友達が来るんだ。もう良いでしょ?」

「また夜遅くまでカードゲームか? いいかげんにしないか」

「だから、オレの友達だってお客様なんですけど。父上の理屈は矛盾してますよね?」

「カベルネ!」


 バーガンディ様が立ち上がったのを、オペラ様がなだめる。


「わたくしはかまいませんよ。お友達を大切にしてください」

「ほらあ、マダムもそう思いますよね?」


 結局、カベルネ様は退席してしまった。

 全員で大きなため息をつく。


「ところで、今回いらしたのは、どのような調査なのでしょう? できるかぎりの協力はさせていただきます」


 気を取り直して、という感じでバーガンディ様が話題をふった。


「それなのですが、おおやけにしたくない事情があるのです。できれば内密にお話ししたい」

「もちろん、かまいませんよ」


 そんなわけで、あらためてバーガンディ様に時間をつくっていただくことになった。

 夕食をおえ、客室にもどる。


「バーガンディにだけ身分を明かしてみます。錯乱している可能性を考えていましたが、頭はハッキリしているとわかりました。悪事をたくらんでいるとも思えません。会話の成り行き次第ですが、シラーのことを聞けるか試してみます」


 オペラ様がそう言った。宝石箱から王家の紋章のついた指輪を取り出す。疑いようのない王家の証だ。

 バーガンディ様にシラー様のことを聞けるなら、たしかに解決の最短距離だ。


 ふたりで応接室へと向かう。バーガンディ様はすでに待機していた。

 オペラ様は向かいの席に座ると、わたしに指輪を手渡した。それを掲げるよう持ち、バーガンディ様へお見せする。


「わたくしは第二王妃のオペラです。オペラ・ビスキュイ・ジョコンドは旧姓なのです。植物学者というのも真実ですが、結果として騙すようなことをして、もうしわけなく思います」


 バーガンディ様の顔色が変わった。


「あなたほどの方が訪ねてこられるとは、よほどのことと存じます。ご要件をうかがってよろしいか?」


 オペラ様は堂々とした態度で答える。


「これは最重要機密と思っていただきたい。第三王子ファッジの結婚が決まりました」

「なんと!」


 バーガンディ様が息をのんだ。わたしも驚く。ここで話すとは思っていなかったし、ファッジ様の結婚相手は自分だ。

 オペラ様は会話の成り行きで次第でシラー様のことを聞くと言っていた。王妃だとカミングアウトして反応を観察する。それから質問するか決めるつもりのようだ。


「わたくしはこの婚礼に特別の思いがあります。できるかぎりの祝福をしてやりたいのです。ワインの質も妥協したくはありません」


 オペラ様は胸の前で手を組んで、バーガンディ様の目をじっと見つめた。


「それで、うちのワインを」

「バーガンディのワインは貴重品です。いまのうちに最上級のものを押さえておきたいのです」


 バーガンディ様の声は感激で震えている。オペラ様のカミングアウトも、来訪の理由も、疑っている様子はない。

 それもそうだ。オペラ様は真実を話しているのだ。普段はそっけない態度なのに、こんなに思ってくれていたなんて。わたしまで泣きそうだ。


「いや、しかし困りました。その期待には答えられないかもしれません。ワインの醸造は妻の仕事でした。妻を亡くしてから、以前のような品質を保てていないのです」

「そうなのですか?」

「はい。うちの上級ワインは三年熟成させています。去年出荷したものが、妻の手を離れた最初のものです。たまたまハズレの年だと思われたかもしれませんが、今年も同じでしょう」


 自然な流れでシラー様のことが話題にのぼった。質問するチャンスだと思ったが、オペラ様はそこにはふれずに会話を続けた。ブドウ畑のことやワインの醸造工程についての専門的な話を聞いて、明日から仕事を見学させてもらうことになった。

 ひと通り話し終え、そろそろお開きというタイミングで「他に聞いておきたいことはないです

か?」と問われた。遠慮せず、なんでも聞いてくださいと。

 そこでやっと、オペラ様は決断した。


「亡妻が帰られたという噂について、お聞きしてもよろしいですか?」


 ついに核心に踏み込んだ。これで真実が明かされる。大きなヒントが得られるはずだ。

 バーガンディ様はしばらく考えてから、こう言った。


「そこの従者を退席させていただけますか?」

「構いませんよ。トフィー、外で待ちなさい」


 わたしはうなずいて退室した。廊下に出て、大きなため息をつく。

 平静を装ったつもりだったが、内心は大きく落胆していた。生殺しもいいところだ。二人はどんな話をしているのだろう。肝心なところで追い出されてしまった。

 あとでオペラ様から聞けばいいか。いやまて。たぶんオペラ様は話してはくれない。バーガンディ様はわたしを退席させた。近しい関係の従者にも聞かせたくない、そういう意思表示だ。オペラ様はそれを了承したのだ。その約束は必ず守るだろう。

 しばらく廊下で待っていると、扉が開いて二人が出てきた。就寝の挨拶をして別れる。客室へと戻った。


 部屋に戻って髪をほどき、メイクを落とす。その間、オペラ様はほとんど喋らなかった。やはりバーガンディ様との秘密は守るつもりのようだ。

 ドレスを脱いで、お湯で身体の汚れを拭きとり、寝間着に着替えた。


「これから、どうしましょう?」


 わたしの方から声をかけた。

 オペラ様はそれには答えず、チェアに深く腰掛けたまま、考えごとをしているようだった。

 しばらくすると、手招きしてわたしを呼んだ。それから、いつもの淡々とした口調でこう言った。


「いまから3つ助言を与えます。ひとつめ、あなたは気持ちを顔に出しすぎです。泣きそうになったり、落ち込んだり、まるわかりです」

「はい。以後気をつけます」


 そんなに顔に出てたのか。我慢していたつもりだったのに。気をつけよう。


「ふたつめ、嘘と真実は紙一重です。北と南のように正反対のものではありません。好きと嫌いのように、とても近いものなのです。まったく同じということもあります」

「はい」


 そしてオペラ様は、わたしの目を見つめながらこう言った。


「みっつめ、バーガンディ家にかけられた呪いはあなたが解きなさい」


 最初は意味がわからなかった。

 バーガンディ家の呪い。これはシラー様のことだろう。もちろん真実を解き明かしたいと思っている。

 どうして、わたしに任せるのだろう?

 オペラ様は協力してくれないのだろうか?


「わざと遠回しな言葉を選びました。理由はわかるはずです。わたくしはバーガンディと話して、この家には呪いがかかっていると思ったのです。それを解くのはあなたの仕事です」


 そう言われて、やっと気がついた。

 オペラ様はバーガンディ様との約束を守る、そのことを軽く考えすぎていた。シラー様について知ったことを話さないのだから、わたしたちと情報交換したり、指示を出したりはしないということ。オペラ様はこの件から手を引くつもりなのだ。

 そして約束を破らずにできる範囲の助言をした。遠回しな言葉で「シラー様の事件の真相を解け」と言ったのだ。

 わたしたちはメルロー様を助けるだけで良い、謎解きは必要ないと考えていた。オペラ様はそれではダメだと考えている。謎を解きなさい。メルロー様だけでなく、バーガンディ家を救いなさい。そういうメッセージだ。

 オペラ様はわたしならできると考えた。わたしに任せることを選んでくれた。信頼されている。

 胸が熱くなった。

 いけない。また顔に出ている。

 深呼吸して、なるべく何でもない顔をする。


「わかりました。やってみます」


 オペラ様は「期待していますよ」とうなずいた。

 それからハルワを呼んだ。

 ハルワはソファの下から這い出ると、尻尾をふりながらオペラ様の前に立った。


「まずハルワに聞いてみなさい。やり方はわかりますか?」


 うなずく。

 以前にオペラ様がやっているのを見たことはある。普段のハルワは獣の本性を抑えている。特別な頼み事をするときは、少しだけ力を開放してやる必要があるのだ。

 荷物から小刀を取りだす。鞘から抜いて、自分の手のひらに当てる。目をそらしてから、軽く力をこめた。

 痛いという感じではない。ピリピリとむず痒いような感覚。ドクンドクンと心拍があがる。

 手をひらいて、ハルワに差し出した。

 柔らかい舌でペロペロとなめ回す。

 しばらく待つと、ハルワが静止した。微動だにしない。呼吸しているのか不安になるくらいの完全なる静止状態だ。


「ハルワ、ここにシラー様の霊がいるのか教えて」


 ハルワの身体がわずかに動く。呼吸を取り戻し、少しだけ足踏みをして、尻尾を動かした。

 そしてまた静止する。

 この動作は「ノー」だ。やはりシラー様の霊はいない、ということだろうか。


「それではダメです。ハルワは人名を理解しません。質問を変えなさい」


 オペラ様に指示され、質問を変える。


「ハルワ。この館に精霊がいるか教えて」


 ハルワはストンとその場に座ると、また静止状態になった。

 この動作は「イエス」だ。

 まさか、そんなことあるわけがない。

 だって死者は蘇らない。オペラ様もそう言ったのに。


「どこに?」


 ハルワは立ち上がると、一定のスピードで歩きだした。場所を聞かれたとき、ハルワはその場所へ向かって歩く。あるいは方角をしめすように立って静止する。そうやって位置を教えてくれるのだ。

 ところがハルワは、わたしの周りをグルリと一周してスタート地点に戻ると、また同じように座って静止してしまった。

 もちろんこの動作にも意味がある。特定の場所や方向を示すことができない。全方位、あらゆる場所だとしめす動作だ。

 ハルワはこの館のいたるところに精霊の気配があると言っているのだ。


「この部屋にも?」


 ハルワは動かない。

 イエスだ。


「これがバーガンディ家の呪いです」


 そのとき、目に見えない何者かに身体を触られたような、そんな気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ