第2話
翌朝。ファッジ様を見送ってから、わたしたちも出発した。
ブラン様が用意した馬車にオペラ様と乗り込む。朝一番に王都をたてば、夕方にはバーガンディ領につく予定だ。
今回はオペラ様の愛犬ハルワも一緒だ。ハルワは普通の犬ではない。遠い南国の生まれで、神話の時代からつたわる特別な血統の犬なのだと聞いている。他の犬とは比較できないくらい賢い。喋れないだけで人間の言葉をほとんど理解している。足も速い。戦うこともできる。
さらに今回は重要な役割をもっている。動物は人間よりも感覚が鋭く、精霊や幽霊なんかの存在を感じられる。高性能な幽霊探知機というわけだ。
オペラ様は「世界で一番可愛い」と言ってるけれど、見た目は平凡な犬だと思う。ブチ模様で大きめの体格だ。
走り出してすぐ、王都を出たところで馬車がとまった。
「ヤックの女が呼んでいます」
御者がそう言った。外を見ると背の高いヤック人の女が手をふっている。
ヤック人というのは異教徒のことで、寛大な国王のはからいでコンフェクシリアに住むことを許されている。我々とは価値観が違うというか、ちょっと野蛮な人たちだ。あまりまともな仕事をしていない。行商人、旅芸人、用心棒、それから犯罪者も多い。
髪や肌の色に違いはないが、それでも見ればヤックとわかる。手をふっているヤック人の女は旅人だろうか。道端で寝起きしていそうな汚れたマント。女なのに短く刈った髪型。コンフェクシリアの女じゃないのは確実だ。それにヤックの女は、喋り方も男みたいに乱暴なのだ。
「オレだ。オペラ様に話がある」
よく見ればフェンネルじゃないか。
フェンネルはオペラ様に雇われている武芸者だ。わたしたちのボディガードをしてくれたり、必要があれば戦ってくれる。剣の達人だ。
わたしとは年齢も近い。仕事仲間というか、友達みたいな関係だ。
名前を呼ばれたオペラ様が、席を立って外を見た。
「どうしてこんなところに? すぐもどります」
オペラ様が馬車をおりる。フェンネルと軽く言葉をかわすと、すぐにもどってきた。
「あの者はファ…… フェンネルという武芸者で、わたくしの手駒です。同行させることにしました」
ブラン様に向かってそう告げる。
「ヤックをですか? 差別するつもりはありませんが、客室には入れられませんよ。バーガンディ家には、貴人を連れていくという話になっています。それ用の馬車です」
わたしもフェンネルを乗せるのは反対だ。この馬車はオペラ様に失礼がないように用意された、特にグレードの高い馬車だ。泥だらけのフェンネルを乗せたら汚れてしまう。
「フェンネルに着替えさせましょう」
「いや、いい。オレは護衛だ。御者台に座る」
わたしの提案を却下して、フェンネルは御者台に飛び乗った。
「フェンネルは必ず役に立ちます」
オペラ様がそう言うと、ブラン様はしぶしぶ了承した。
さあ、いよいよ出発だ。
南へ向かって街道を走る。空は高く、気持ちが良い風が吹いている。
「では、バーガンディ家についてお話ししましょうか」
ブラン様がそう言った。今日は一日馬車の旅だ。どうせ時間があるということで、詳しい話は馬車の中ですればいいと、昨日はあえて話さなかったのだ。
さっそく質問する。
「メルロー様はどういう人ですか?」
「小柄で可愛い人ですよ。浮き沈みの激しい性格で、ちょっと変わり者ですが、良い人です」
ブラン様が恥ずかしそうに笑った。なんだか羨ましい。
つづけて質問する。
「ではシラー様は、どんな方だったのですか?」
「とても良い人だったと聞いています。メルローからも、素晴らしい母だったと聞いていました。直接会ったことはありません。あくまで伝聞です」
ブラン様はメルロー様との出会いから、順を追って話してくれた。
メルローと知り合ったのはもう十年ちかく前、帝都の大学に通う同期として出会った。同郷のよしみで友達になり、すぐに恋人になった。
大学卒業をひかえたころ、メルローの母が亡くなったと連絡があった。メルローは特別に卒業を早めてもらい故郷へ帰る。それが五年前。
二人が故郷へもどってからは婚約者という関係だ。すぐに結婚しなかったのは服喪のためで、それも五年という約束だった。今は結婚の準備を進めている段階だ。
ブラン様はシラー様本人とは直接面識はない。メルローからは「素晴らしい母だった」「家族の仲は良い」と言われてきた。
「ただ、ひとつ不可解なことがあります。シラー様は死ぬ間際にひどく錯乱して、おかしなことを言ったらしいのです」
シラー様の死は極めて不可解だ。
ある日のこと、シラー様が慌てた様子でバーガンディ様のところにやってくると、いきなり「メルローに殺される」と叫んだのだ。なんの前触れもなく唐突に叫びだしたので、父も息子も、使用人たちも驚いて、かなりの人数が集まったようだ。
シラー様はまるでメルローの幻覚でも見ているようだったという。恐れて、悲鳴をあげ、逃げるみたいに家の中を走り回り、階段から転げ落ちて死んでしまった。
あまりに不可解な死だ。
バーガンディ様は茫然自失。カベルネ様は「メルローが殺した」と言うが、当のメルローは帝都の大学にいたのだ。それだけはありえない。メルロー本人も困惑している。
使用人たちから話を聞いても、だいたい同じ意見だ。シラー様が錯乱して転落するまでの一部始終を大勢が見ている。
錯乱する直前、シラー様は地下の貯蔵庫でワインの管理をしていたようだ。ひとりこもって作業するのが日課で、誰とも会っていない。貯蔵庫に荒らされた様子はなく、ここで何かが起きたとも思えない。
「気を悪くしないでください、あくまで可能性の話として、メルロー様のアリバイは完璧なのでしょうか? 自分が遠方にいるタイミングで事件が起きて、容疑者から外れるトリックとか」
わたしがブラン様に質問すると、かわりにオペラ様が答えた。
「トリックだったら確実な方法で殺すはずです。アリバイがあるタイミングで死んでもらう必要があるからです」
そうか、アリバイ工作をしたなら普通に殺して他の人に疑いを向けるべきだ。錯乱させて偶然に死ぬのを待つなんて不合理だ。
「たしかに、錯乱して自分の名前を叫ばれたら、アリバイどころか疑われてしまいますもんね」
するとオペラ様が、またおもしろい指摘をしたのだ。
「それはメルローがそう思っただけかもしれませんよ」
オペラ様の話は少し複雑だったが、個人的には納得できる話だった。
おそらくシラー様は錯乱したとき、色んなことを叫んでいたはずだ。錯乱しているのだ。はっきり意味の通る発言はしていない。意味不明な言葉をたくさん叫んでいて、その中のひとつに「メルローに殺される」という発言があったのだと思われる。
そしてメルロー様は現場にいなかった。目撃者たちから事件の話を聞いた。さらにブラン様はメルロー様から話を聞いた。この伝言ゲームで「メルローに殺される」というセリフだけが存在感を大きくしたのだ。
自分に関わる話は印象に残りやすい。メルロー様を挟んで伝言ゲームをしたことで、まるでシラー様が「メルローに殺される」としか言っていないような印象になってしまった。だから「メルローがそう思っただけ」とオペラ様は考察したのだ。
それからもうひとつ、オペラ様は意外なことを話してくれた。
「それに母親が娘を愛せないというのは、珍しいことではありません」
母親が娘を愛せないなんて、そんなことがあるのだろうか。わたしは信じられなかった。
しかしオペラ様はよくあることだと言う。オペラ様は魔術師として、色んな人から相談を受けている。その中で「子供を愛せない」という悩みは、わりと多いのだという。なかでも特に「母親が娘を愛せない」という組み合わせが多いと感じている。悩んでいる人全員が相談に来るわけではないので、本当はもっと多いだろうと考えているようだ。
状況はさまざまで、我慢して良い母を演じられる人もいるし、娘を虐待してしまう人もいる。
娘の方の反応もそれぞれだ。母親が感情を隠していても「好かれていない」と見破る娘もいるし、虐待されても母の愛を疑わない娘もいる。
そしてよっぽど関係がこじれない限り、他人の目がある所では「問題のない母と娘」を演じている場合が多い。
「母は娘を愛して当然だと、誰もが思い込んでいます。しかし、それは単なる思い込みかもしれません」
オペラ様が話し終えると、ブラン様は興味深そうにうなずいてから口を開いた。
「シラー様とメルローも、本当は不仲だったのかもしれません。言われてみると、思い当たることがあります。知りあったばかりのころです」
帝都で知りあったばかりのころ、メルローは礼儀正しく控えめな娘だった。あまり自分の意見や好みを言ってくれない。そんな中で珍しく「ダリアの花が好きだ」と言うのを聞くことができた。
それからしばらくして、偶然にダリアの花を手にすることがあったので「好きだったよね」とプレゼントした。するとメルローは意外そうな顔をするのだ。
「よく覚えていましたね」
「好きな人のことを覚えているのは当たり前じゃないか」
そう告げると「信じられない」と大げさに喜んでくれた。当時は喜んでもらえたことが素直に嬉しかったけれど、いま思うとあまり愛情を受けずに育ったのかもしれない。
それから二人だけで食事をしていたときのこと。会話が盛り上がったはずみでメルローの袖がカップにふれ、ワインをこぼしてしまったことがあった。「大丈夫かい」と声をかけ、すぐにテーブルを拭いた。なんでもないことだった。
しかしメルローは真っ青な顔で硬直している。両手を強く握りしめて、恐ろしいものを見るような目をしていた。そしてこんなことを言うのだ。
「ブランは笑わないのですか?」
飲み物をこぼすのはマナー違反だと母から教えられた。無作法は殿方に笑われる。まともな結婚はできない。そう言われて育ったのだという。
「わたしが笑うとしたら嬉しいときだよ。キミを侮辱する目的では笑わない」
そう答えると、メルローはしみじみとうなずいた。
「そうですよね。急に笑いだしたら変ですよね。どうして母の言葉を鵜呑みにしていたのでしょう。外の世界は想像していたのとまるで違います。ずっと母から聞かされていたのは、何だったのでしょう」
メルローが笑ったので一緒に笑った。
そのときは箱入り娘の少しズレた感性だと思ったけれど、母娘の異常な関係があったとしたら、いまはそう考えずにいられない。
「それ以来、メルローは変わりました。硬かった態度もとけて、自分の意見を言うようになりました。そして、わたしはますますメルローを好きになってしまい、彼女を守ってやれたらと思っているわけです」
ハハハとブラン様が笑った。
わたしも自分の気持ちに素直に振る舞えるようになりたい。そんなことを考えると、手のひらの温もりを想い出す。ファッジ様は今ごろ何をしているんだろう。
窓の外に視線を向けると、大きな湖が見えた。湖面がキラキラと輝いている。
「ここで休憩にするぞ」
御者台のフェンネルがそう言った。
馬車をとめ、湖畔の宿屋で休憩をとることにした。
旅は順調だ。お昼前に折り返し地点をむかえることができた。水鳥の群れを眺めながら昼食をとり、縮こまった身体をよく伸ばした。
午後からは山道だ。道が悪くなると脅されていたが、恐れていたほどでもなかった。むしろ景色に変化があるので退屈しない。それにオペラ様がこの辺りの地理や歴史など、いろいろな話をしてくれた。毎日顔を合わせているが、ゆっくり雑談するチャンスは意外にない。楽しい時間を過ごすことができた。
長い道のりだったがトラブルもなく、まだ太陽が頭上にあるうちにナラの林に到着した。この林道を抜ければ、そこはバーガンディ領だ。
「ワインの樽はナラから作られます。ナラは硬く耐水性が高く、家具やフローリングなどに広くつかわれている。優れた木材なのです」
オペラ様の話を聞いていると、御者台のフェンネルが急に立ち上がった。
甲高い叫び声が、遠くから聞こえた。
馬車が止まる。
窓から前方を見ると、人影が見えた。
女だ。こちらに向かって、叫びながら走ってきている。衣服が乱れている。
その背後にさらに数人、凶悪な面構えの男たちが走ってきている。
女は男に追われているようだ。
「助けて! 誰か! 盗賊です! 助けてください!」
フェンネルが飛び降りる。
「馬車から降りるな」
そう言い残して走り出した。
「フロマージュ様! お助けください!」
泣き叫ぶ女のもとにフェンネルが駆け寄る。女を背後に隠すようにして、盗賊たちの前に立ちふさがった。
フェンネルが剣を抜くと、盗賊たちが止まる。
「クソ! もういい、引き上げだ!」
盗賊たちはナラの林の中へと消えていった。
ホッとすると同時に、何か変だと感じた。
すぐその理由に気づく。
「罠です! その女を信用しないで!」
めいっぱいの声で叫んだ。
女はこちらがフロマージュ家のものだと知っていた。最初から狙って待ち伏せしていたのだ。この女は盗賊の仲間。被害者のふりをして、不意打ちをする作戦だ。
女が脱げかけのスカートの中から短刀を抜く。思い切り短刀を突き出した。
フェンネルは背を向けたまま刃を回避する。左手で女の腕をつかむと、足をかけながら強く引っ張り、地面に組み伏せてしまった。
「もう大丈夫だ」
手招きしている。フェンネルのいる場所まで馬車を進めた。
馬車を飛び降り「怪我はない?」とたずねると「手加減したつもりだ」と返された。この程度で自分が怪我をするとは思っていないようだ。
女は「盗賊に脅されていた」と泣いているが、フェンネルは首を横にふる。女の背中に大きな刺青がある。ブラックフォレストのマーク。階級は隊長。驚くべきことに、この女が襲ってきたグループのリーダーだったのだ。それでフェンネルはもう安全だと判断したようだ。
戦闘は終わったが、ブラン様は見るからに怯えている。自分の命を狙われたのだ。無理もない。
「殺さないのですか? ブラックフォレストの盗賊ですよ?」
ブラックフォレストの盗賊は凶悪だ。そのメンバーは見つけしだい殺して良いことになっている。
「殺さない」
フェンネルは首を横にふった。馬車に積まれたロープで女盗賊を拘束すると天井の荷台に転がす。
「盗賊たちが仲間を助けに来るかもしれない!」
恐れるブラン様を、オペラ様が「落ちつきなさい」となだめた。
「黙っていましたが、盗賊に狙われているのはわかっていました。フェンネルが同行したのはそのためです」
驚いた。フェンネルが合流したとき、そんなことを話していたのか。
「相手はブラックフォレストですよ? たった一人の護衛で?」
「わたくしの手駒はフェンネル一人ではありません。安心なさい。こうやって盗賊をとらえ、向こうの情報を聞きだす。すべて予定通りです」
そういうことか。オペラ様の手駒がフェンネルだけではないとすると、おそらく少し後ろから護衛の馬車がついてきているはずだ。
さっきフェンネルは迷わず飛び出した。馬車の後ろから攻撃される可能性もあったはずなのに、前だけに意識を集中していた。後衛がいるので背後を守る必要がなかったのだ。
「盗賊のような輩は、騒動の噂を聞けばそこに集まるものなのです。混乱に乗じて金品を奪うのが目的です。おそらくバーガンディの幽霊騒ぎを聞きつけたのでしょう。メルローを守るということは、こういう悪党とも戦わねばなりません。覚悟を決めなさい」
オペラ様の言葉に、ブラン様がうなずいた。