最終話
事件が終わり、バーガンディ領から王都へ帰り、一週間がたっていた。
わたしは剣士長の館でメイドの仕事をしつつ、オペラ様のもとで魔術師としての修行も続けている。忙しいが穏やかな日々だ。
秋が深まり、王都には国中から食材が集まっている。市場は冬支度をする人たちで溢れんばかりだ。これも剣士長ファッジ様の盗賊退治が大戦果を挙げたお陰だろう。
ファッジ様はブラックフォレストの幹部を捕えただけでなく、その恋人まで捕えることに成功した。命知らずの盗賊幹部も恋人の命は惜しい。組織の情報を聴き出して、複数のアジトを壊滅させたのだ。
街角ではファッジ様の活躍をまとめた紙芝居が上演されている。南国の港町を舞台に、船荷を狙う盗賊団とファッジ様の一進一退の攻防。捕らえた女盗賊からの誘惑を退けるが、嘘の情報により一転ピンチをまねく。敵の魔術に倒れるファッジ。船を奪い逃走する盗賊団。しかし、夜の船上に死んだはずのファッジが現れる。そして3対1の戦闘に勝利する。そんな物語だった。
どこまで本当なのか本人に聞いてみたが、捜査上の機密を守るために事実とは違う発表をしている。それをもとに大幅に誇張された物語だと言われてしまった。
「オレの手柄じゃないよ。トフ……いや、仲間に助けられたんだ」
そう言って謙遜している。
ともかくファッジ様の名声はさらに高まったようだ。メイドとしては誇らしいけれど、婚約者としては恐縮してしまう気持ちもある。
バーガンディ様のもとに亡き妻シラーが現れたという噂も、最新版にかわっている。復活したのはシラー様本人ではなく、ワインの製法である。シラー様の死で絶えてしまった秘伝の技術を蘇らせたのだ。なんでも凄腕の魔術師が協力したらしい。
とまあ、真実とは違っているけれど、噂を訂正するわけにもいかない。わたしたちが事件に関わったのは秘密のことなのだ。
あれで良かったのだろうか?
いまだに考えてしまう。もっと上手くやれたのではないか。
事件の決着がついて、バーガンディの館に戻ると、オペラ様は寝ないでわたしを待っていてくれた。
「トフィー! 怪我はありませんか?」
「はい。大丈夫です」
「良かった…… 本当に!」
そんなやり取りをしていると、わたしは涙が止まらなくなってしまった。
事件を解決しようと夢中だった。とにかくやるべきことをやろうと、気にする暇もなかったけれど、とても恐ろしい夜だった。
オペラ様の顔を見て安心したせいか、感情が溢れて抑えられなくなってしまったのだ。
「よしよし、今日はもう休みなさい。身体を拭いて」
目覚めると昼過ぎだった。
フェンネルはもう王都へ帰ったと聞かされた。あの三人のならず者を王国軍に引き渡して、事後処理のために一緒に帰ってしまったらしい。
それからわたしは、オペラ様とバーガンディ様、ブラン様に事件の顛末を詳しく報告した。
「そうですか」
オペラ様は特に何も言ってはくれなかった。
「悲しみや後悔が消えたわけではありませんが、今はすっきりした気持ちです。胸のつかえが取れたような、そんな気がします」
バーガンディ様は顔色も良く、少し若返ったようにも見えた。
「本当にありがとうございます。この恩は一生忘れません」
ブラン様はそう言って感謝してくれた。
それから、取り戻したラタンの鞭からは、もうシルフの力は消えていた。
「シラー様はもういないと、シルフたちが気がついてしまったのでしょうか?」
「膠をつかっただけでは、精霊との契約は維持できないでしょう。シルフたちをこの地に留まらせたのは、おそらくカベルネの執着心です」
オペラ様の言うとおり、もうバーガンディ領に精霊たちはいないようだった。
わたしたちの仕事は終わった。王都へ帰るのはカベルネの葬儀のあと、ということになった。
出発の日、わたしは早起きしてメルロー様の仕事を手伝った。事件と葬儀でブドウの収穫が遅れてしまっている。暗いうちから作業を開始する。
「やはり酸素でした。酸素という言葉こそ使っていませんが、空気中に原因物質があることにたどりついていました」
シラー様の日記は、答えを知っていて読めば、なんとか理解できるというくらいの内容だったようだ。
「日記はカベルネの棺に入れてしまいました」
「もう読み終わったんですか?」
「いえ、日記を読んでわかったのですが、ワインの味については、わたしと母は趣味が合わないようです。わたしにとって理想に近いワインを酷評していたり、失敗作のようなワインを絶賛していたり、読んでいるとイライラしてしまって」
そう言ってメルロー様は笑った。
「今はむしろワイン以外のことを書いた日記に興味があります。反面教師として」
「メルロー様は大丈夫だと思います。シラー様とは違うという気がします。それに、もし問題があればオペラ様に相談してください」
ブラン様との結婚式は来年に延期することになってしまったが、わたしとフェンネルにも招待状をだすと約束してくれた。
再会を誓って、朝焼けの中で別れた。
「ミズ・トフィー。今回の事件が解決したのは、あなたのおかげです。あなたを弟子にして本当に良かったと思っていますよ」
帰りの馬車の中で、オペラ様がそう褒めてくれた。わたしにとっては何より嬉しい言葉だった。
「オペラ様は、これで良かったと思いますか?」
「もちろんです。すべてが思い通りとはいかないものです。適当なところで折り合いをつけるのも良い魔術師の条件ですよ。自分の気持ちに固執しすぎると、シラーのようになるかもしれません」
自分の気持ちに固執しすぎると、かえって道を踏み外す。たしかにその通りだと思う。
シラー様は好きも嫌いも、まったく妥協できない人だった。過度な憎しみで娘を傷つけ、過度な愛情で息子を壊してしまったのだ。
気楽に、ポジティブに、悩みすぎないくらいがちょうどいい。
それはわかっているのだけれど……
「はあ」
仕事中なのに、思わずため息が漏れてしまう。身体に力が入らない。
「ミズ・トフィー。なんです? そのため息は?」
オペラ様に睨まれてしまった。
「だって、ファッジ様が……」
そう、わたしの悩みはファッジ様のことだ。
もともと幼なじみで長いつきあいなのだけれど、大人になれば身分が違う。婚約しても主従関係が抜けないというか、なかなか普通に接することができない。そんな悩みを抱えていたのが、最近は余計にひどくなってしまったのだ。
とにかく会話の場数をふもうと、今回の事件のことを話してみても上の空みたいな態度で、あまり真剣に聞いてくれない。ファッジ様はブラックフォレストの盗賊団を半壊させる大戦果をあげている。それと比べたら、わたしの冒険なんか取るに足らないことなのだろう。
いやもしかしたら、そういう態度を「ひがみっぽい」と思われたのかもしれない。
なんというか、いつにもまして会話が噛み合わないのだ。
「すまないトフィー。できたら目的を言って欲しい。バーガンディの話をする目的を」
ファッジ様はバーガンディの話題を避けたがっていた。
「話をする目的って…… あなたと話しがしたいから、それではダメですか?」
わたしがそう言うと「困った」という顔をする。
それから明らかに態度がよそよそしいというか、ろくに喋ってくれないし、最近では避けられているような気さえする。
そして今朝、いよいよ「大事な話がある」と言われてしまったのだ。
「今夜にでも時間をつくってくれ。オレとトフィーの今後について、避けて通れない話だ」
そう言われてしまった。
これが噂の婚約ホニャララというやつだろうか。盗賊団を半壊させた活躍で、ファッジ様の人気はすごいことになっている。平民のわたしではとても釣り合わない。
それはわかっているけれど、そんなことをされたら、もう、わたしは、どうしよう?
泣きたい。
おかげで今日は仕事に身が入らないのだ。
「そんなことですか。くだらない。ノロケはよそでやりなさい」
他人ごとみたいにいうけれど。
「オペラ様が話し合いなさいっていうから、よけいに傷が広がったんですよ?」
「はいはい。ほら、玄関に来客ですよ」
ほんとだ。しかたない。
重たい身体で立ち上がり、玄関へと向かう。
「はい。どちらさまでしょ」
扉を開けると、そこにいたのはファッジ様だった。ここに来るとは思っていなかった。
わたしは困ってしまった。
「ようこそ、ファッジ様」
微笑んで手を握ろうとしたが、やんわりと拒絶される。
「すまないトフィー。大事な話があると言ったろう? オペラ様にも同席してもらいたいんだ。今から話せないか?」
嫌な予感が当たってしまった。わたしとファッジ様の婚約は、オペラ様の後継者という立場とセットなのだ。
いやだ、聞きたくない。
「やっと話す気になりましたか、手短になさい」
いつの間にか現れたオペラ様が、ファッジ様を応接室に通してしまった。さっさとテーブルについて、ファッジ様を座らせる。それからトントンとテーブルを叩いた。わたしも座れという意味だ。
しかたなく座る。
「なんというか、その……」
ファッジ様が言い淀む。
「早くなさい」
オペラ様がせかした。
「トフィー。とりあえず、これを見てほしい」
ファッジ様がテーブルの上に布に包まれた何かを置いた。
「さっさと確認しなさい」
オペラ様にせかされて包を開く。
これは、なんだろう? 金属の破片とボロボロになった黒い塊。石に見えるけれど石じゃない。生物っぽい。
「これは?」
「トフィーにもらったアミュレットだ」
ああ。たしかに、熊の爪から作ったアミュレットだ。ボロボロに砕けているので気がつかなかった。
「つまり、そういうことなんだ」
ん?
「そういうことって?」
「だから、その、任務中にアミュレットを壊してしまったんだ」
アミュレットが壊れたくらいで、なにをかしこまっているんだろう?
「大事な話ってこれのこと?」
「まあ、そういうことだ」
「もしかして、命にかえても大切にする、という約束のこと?」
そう言うとファッジ様は黙ってしまった。
「そんなこと、気にしてたの?」
わたしは気にしない。
むしろ嬉しいくらいだ。本当に大切に思ってくれたのだ。壊れたことを気軽に報告できないくらい、大切にしてくれていたのだ。
「トフィーは良いのか?」
「もちろんです。また作ります。絶対に」
ファッジ様が絶妙な表情になる。
「もしかしたら、トフィーはもう気がついていて、オレのことを責めているのかと思っていた」
「なにそれ? わたしはてっきり、愛想を尽かされたのかと思った。ずっとよそよそしいから」
「オレが? ありえない」
ファッジ様が苦笑いする。
オペラ様が大げさにため息をついた。
「なんですか? オペラ様」
「いいえ。あなた方がそれで良いなら、わたくしから言うべきことはありません」
というわけで、賢明な読者様はもう気づいているかもしれないが、フェンネルの正体はファッジ様なのであった。
わたしはこのことにまったく気がつかず、その後もフェンネルと協力していくつかの事件を解決することになる。
その話はまたの機会にさせてもらおう。