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第10話

 夜の闇の中に、精霊たちの気配を感じる。

 ハルワの力を借りなくてもわかる。それくらい濃厚な気配。シルフたちが集まっている。おそらく「シラー」という名前に反応しているのだ。


「シラー様はワインの保存方法を研究していました。応接室にあったアンフォラのワインは、ほとんど劣化していませんでした。つまりシラー様は『ワインが劣化する原因』をつきとめていた、ということになります。メルロー様はその原因を知りたいと思いますか?」


 メルロー様が「はい」と答えた。


「原因がわかったら、どうします?」

「劣化しないワインをつくります」

「自分で飲むために?」

「いいえ。出荷します。なるべくたくさんの人に飲んでもらいたい。それが醸造家の願いです」

「はい。わたしもそう思います。おそらくシラー様も同じだったと思います。そうだとすると、あのアンフォラは少し変だと思いませんか?」


 メルロー様がしばらく考える。


「わかりません。何が変なのですか?」

「量です。アンフォラは魔術と相性が良い容器です。実験には最適ですが、出荷するには少なすぎます。大きな樽をつかって、もっと大量に作るべきです」

「まだ実験の途中だったとか?」

「メルロー様はどう思いました? まだ不完全だと思いましたか?」

「開封した父の話を信じるなら、母の研究は完成していたと思います」

「ほかにも証拠があります。アンフォラが応接室に置かれていたことです。来客に見せるつもりだったのでしょう。この中にはワインが入っている。五年経ったらアンフォラを開封する。客が来るたびにそう言って宣伝する。開封するときにはその人たちを集めて、自分の技術を見せつけようと考えていた。研究は完成していて、ワインを売り出すつもりだったことがわかります」


 ワインの古さを証明するのは意外と難しい。

 たとえば「これは五年前のワインだ」と言ってワインを提供しても「最近のものでは?」と言われたら反論が難しい。今回はシラー様が死んでしまったので、同じワインが作れないから疑わなかったというだけなのだ。


「なので地下のセラーに置かれたアンフォラが変なのです。販売用のワインを大量に貯蔵しなければならないのに、アンフォラひとつでは量が少なすぎます」

「それはそうですが、これからワイン樽を置くつもりで、その前に死んでしまっただけなのでは?」

「はい。わたしもそう思います」


 急に肯定されて、メルロー様が「えっ?」と意外そうな声を出した。


「シラー様が錯乱死したのは、まさにその作業中だったのでは? 大量のワイン樽を運ぶ直前に事故を起こしたのでは? そう考えると、もうひとつ謎がうまれます。地下のセラーで高山病になるほどの低気圧を作り出して、シラー様は何をするつもりだったでしょう? 風を当てることでワインの劣化が防げるとは思えません。あのアンフォラは見事なものでした。独学の素人が魔術を失敗したのかと思っていましたが、初歩的なミスではないと思います。よく勉強しています」


 メルロー様が歩くのをやめた。前を歩くフェンネルが止まったようだ。

 視線の先の暗闇に小さな光が見える。目的地の山小屋だ。窓は閉め切っているようだが、わずかに光が漏れている。


「つまりトフィーさんは、母の死はワインの秘密と繫がっている。そう考えているんですね?」


 メルロー様がふり返ってそう言った。


「はい。これです」


 手に持った灯りを目線の高さに掲げる。小さなロウソクの火が揺れている。


「光ですか?」

「いえ、結論から言ってしまうと『酸素』です。酸素がワインを劣化させるのでしょう。応接室のアンフォラには『酸素をはじく』魔術がかけてあったのだと思います。そしてシラー様は、地下のセラー全体を大きな保存容器にしようとした。セラーから酸素を抜くことを考えたのです」

「え? そんなことをしたら……」


 言いかけて止まる。メルロー様は化学の知識がある。酸素が無くなれば人間がどうなるか、よくわかっている。そしてシラー様の最後は、まさにその通りの状況なのだ。


「わたしの推理が正しければ、セラーにあったアンフォラには『酸素を集める』魔術がかけられています。アンフォラの中にはシルフたちが集めた大量の酸素が圧縮されている。それであのとき、開け方を教えても問題ないと思ったのです。中身はワインじゃない。取り戻す必要もありません」

「酸化が原因だとすると…… 亜硫酸塩で劣化が防げることも辻褄が合う……」


 メルロー様はブツブツと独りごとを呟いている。もうわたしの話を聞いていない。


「で、オレは何をすればいい? 悪いがワインの話は理解できてない」

「うん。わかってる。説明は省くけど、わたしの推理が正しかったら、そのうちあの小屋が火事になる」

「は?」


 フェンネルはさっぱり理解できないという顔だ。


「アンフォラの中身が酸素なら開けても問題ないと思ったんだけど、燃焼も酸化現象だから最悪の場合は山火事になるかもしれない」


 わたしたちが持っている小さな灯り。この燃焼も酸化現象なのだ。そして大量の酸素は燃焼を大きくする。

 しかし、この説明はフェンネルには難しかったようだ。


「簡単に言うと、山小屋で火をつかって湯を沸かす。アンフォラを開けると酸素が漏れて、火が大きくなる。もの凄い大きさの火柱になって、火事にならないとしてもパニックになると思う」

「それで?」

「飛び出て来たところをフェンネルが叩く」

「なるほど」


 フェンネルは周囲の地形を調べて、戦闘の準備をはじめた。頑丈で手頃なサイズの木の枝を何本か拾い集めると、握って素振りをする。剣のかわりにするつもりのようだ。


「それから、敵はまだラタンの鞭を持ってると思う」

「鞭?」

「シルフを操るラタンの鞭。さっきの飛び道具。あれ一本だけなら、簡単に使い捨てにしないと思う」

「魔術の武器か?」

「それなんだけど、わたしは武器じゃないと思ってる。シラー様が武器を作るとは思えない。それに魔術の触媒は用途を守るのが基本なの。鞭は使役するための道具で、武器じゃない」

「わたしを憎んでいたとか?」


 メルロー様も会話に加わった。


「それは無いと思います。これは想像ですが、娘とのトラブルがきっかけで、シラー様は『鞭』の威力に気がついたのだと思います。シルフは気まぐれな精霊です。鞭で無理やり命令を聞かせると、これまでより操りやすいと気がついた。それでアンフォラと同じく(ニカワ)を使って鞭を強化した。これならシラー様本人でなくてもシルフを操れます。その鞭を複数用意して、これまでより大きな魔術をおこなうつもりだったと思うのです。問題はその魔術が何かと言うこと。緊急事態なので、当てずっぽうの推理ですが自信はあります」


 メルロー様とフェンネルがうなずく。


「おそらく鞭は『天候操作』の魔術道具です。シラー様はこれまでも、ブドウを守るために天候を操作していたようです。もっと上手く操作してやろうと考えたのでしょう」


 メルロー様が「ああ」と深くうなずいた。


「シラー様は優秀な人物ですが、エピソードを聞いていると『やり過ぎて自滅する』性格だと思いました。魔術というのは、なるべく小さな範囲で、限定的に使うべきものなのです。良いワインが欲しければ、ワインの成分に小さな変化を起こすような魔術が好ましい。良いワインのために良いブドウ。良いブドウのために良い畑。さらに天候まで操作する。このように魔術の規模を拡大していくと、どこかで必ず自滅します」


 わたしがそう言うと、メルロー様が「アハハ」と声を出して笑った。


「そうですね。母が考えそうなことです。天候を操作する魔術で間違いないでしょう」


 メルロー様もわたしと同じ意見のようだ。


「では作戦を確認します。火事で避難してきた敵をフェンネルが倒す。勝算は?」

「問題ない。ふたりは安全な場所で待機していてくれ」

「わかった。鞭を奪ったら、天候の操作はメルロー様が中心になってください。方法はレクチャーします。メルロー様はシラー様と良く似ています。シルフたちを騙して、雨を降らせます。山火事を防ぐにはそれしかありません」


 それから三人で相談して、細かい打ち合わせをした。それぞれが持ち場へついて待機する、

 しばらくすると、小屋の中から悲鳴のような声が聞こえてきた。

 窓から漏れる光が大きくなったような気がする。

 怒号のような叫び。


「煙が出ている。本当に火事になるぞ」


 フェンネルが感嘆の声をあげた。

 夜の闇で気がつかなかったが、よく見れば小屋から煙が上がっている。


「火が出ました」


 急に明るくなる。

 山小屋と聞いて想像していたより、はるかに立派な屋敷だ。その屋敷からメラメラと火が出ている。

 空が赤く染まる。


「オレは逃げるぞ!」


 扉が開いて、ひとりの男が飛び出して来た。

 暗闇からフェンネルが襲いかかる。木の枝を剣のかわりにして、腹部、頭部、それから脚部へ三連撃。

 動きが止まった男の腕を掴むと、安全な場所まで引きずって地面に倒す。さらに数回殴って、素早く武器を奪う。


「なにをやってる!?」


 扉からもうひとり男があらわれた。

 二人目もできれば奇襲で倒したかったが、一人目をかたづける前に発見されてしまった。


「気をつけろ! 敵襲だ!」


 男が屋敷の中に向かって叫ぶ。仲間に連絡されてしまった。これでもう奇襲はできない。2対1の戦いをしなければならない。

 しかしフェンネルは臆せず、堂々と二人目に向かって間合いをつめる。

 男は逃げようとしたが、屋敷の中に戻るわけにもいかない。覚悟を決めて、右手でナイフを抜いた。

 小屋の火はどんどん大きくなっている。その火がフェンネルを照らした。


「ビビらせやがって、女じゃねえか! 女はナニでも咥えてろ!」


 ナイフをヒラヒラとひるがえしてみせる。


「そういうおまえは、左手でシコるのが好きなのか?」


 フェンネルが指摘すると男が動揺する。わざとらしく右手の武器を見せたのは、本命の左手から意識をそらすため。背中に隠していた左手を前に出すと、その手には短剣が握られていた。演技過剰をフェンネルが見抜いたのだ。舌戦も一枚上手だ。


「うおおお!」


 男が叫びながら斬りかかる。

 フェンネルは大きく後退すると、思いきり木剣を投げつけた。木剣は狙いをそれて、誰も居ない方向へ飛んでいく。

 そう思ったが、木剣の飛んだ先にもうひとりの男がいた。


「クソ!」


 三人目だ。いつの間に外に出たんだろう?

 そうか、窓だ。窓から出て襲撃のタイミングをはかっていたんだ。

 二人目が叫んだのは、三人目と攻撃のタイミングを合わせる合図だった。フェンネルが二人目と斬り合っていたら、横から三人目に攻撃されていただろう。恐ろしい戦術だが、フェンネルには通用しなかった。むしろ奇襲のタイミングを教える結果になったのだ。

 フェンネルが武器を失った。その隙をつこうと二人目が襲いかかるが、もちろん上手くはいかない。フェンネルは戦闘中に木剣が折れることをみこして準備していた。あらかじめ予備を地面にさしていたのだ。武器を投げるつもりで後退したのだから、そこには予備の木剣があるということ。

 木剣で二人目の股間を突いた。

 悶絶する男から武器を奪う。腕を捻り上げて、三人目の方に向けて立たせた。


「クソ! 邪魔だ!」


 屋敷の火がひときわ大きくなる。炎に照らし出された三人目の手にはラタンの鞭が握られていた。フェンネルが二人目を盾にしているので攻撃できないのだ。


「アニキ! この女、なんかヤバイよ!」


 さて、ここまでは上手く立ち回ったが、敵に鞭を持たれてしまった。このままでは遠距離から一方的に攻撃されてしまう。まだフェンネルが不利な状況だ。


「おまえもアレを持ってるんじゃないか?」


 フェンネルは二人目の身体をまさぐって、ラタンの鞭を持っていないか確認する。そして上着の内側に手を入れ、何かを取り出した。

 ラタンの鞭だ!


「させるかよ!」


 二人目が暴れる。男の腕がフェンネルの手にあたり、ラタンの鞭がポーンと遠くに飛ばされてしまった。

 フェンネルは二人目の顔面に肘打ちをお見舞いすると、鞭の落ちた方へ走った。

 三人目も鞭の落下地点へ走る。

 急いで!

 よし! フェンネルの方が早い!

 ところが鞭の目の前で、フェンネルが急停止する。

 拾う瞬間を攻撃しようと三人目が狙っている。そのまま進んでいたら突風を食らっていただろう。急停止でタイミングをずらしたのだ。

 鞭を拾う瞬間がもっとも危険。しかし鞭を手に入れたらフェンネルが優勢だ。

 フェンネルと三人目が睨み合った。

 おそらく、この攻防で決着がつく。

 バチバチと屋敷の燃える音が大きくなる。

 フェンネルが走った。


「あ!」


 フェンネルが足をすべらせて転んだ。

 まさか! こんなにあっけなく決着してしまうなんて!

 とどめを刺そうと三人目が身を乗り出した。

 そのとき暗闇からハルワが飛び出し、男の腕に噛みついた。


「ああー!」


 あまりの苦痛に絶叫する。


「降伏しろ! 抵抗すれば腕が使い物にならなくなるぞ」


 フェンネルが叫んだ。


「わかった! 降参だ! 降参! 許してくれ!」


 男は武器を手放し、自分から地面に転がった。

 ハルワは噛むのをやめたが、男の顔面に向かって何度も吠えている。


「クソ! オレの腕が! 油断した!」


 すっかり戦意喪失した三人目を木剣で小突いて立たせる。顔面に肘を食らって悶えている二人目も立たせて、一人目と同じ場所へと移動させる。


「犬に助けられたな!」

「運の良いやつ!」


 男たちがフェンネルに悪態をついているが、そうではない。


「合図は、オレが転んだら」


 フェンネルはハルワに攻撃させるときの合図をそう指定した。そのときは理解できなかったけれど、今ならわかる。敵の意識を自分に引きつけておいて、その隙にハルワに攻撃させる。連携の合図だと敵にバレることもない。立派な戦闘の技術だったのだ。

 運が良かったわけではない。フェンネルの実力だ。


「悪いが、ずっと見張ってもいられない。しばらく動けないようにさせてもらう」

「嘘だろ!」

「助けてくれ!」

「安心しろ。怪我はしないように手加減してやる」


 木剣で男たちを数発殴りつけた。汚い悲鳴が響く。

 これで三人は倒したが、まだフェンネルは警戒を解いていない。増援と合流した可能性もあるし、まだカベルネがいるはずだ。


「カベルネ! 出てこい!」


 屋敷に向かって呼びかけたが反応はない。

 わたしと一緒に隠れていたメルロー様が我慢できずに飛び出した。


「カベルネ! 家に帰りましょう! カベルネ!」


 しかし反応はない。


「助けないと!」

「危険です。煙は一瞬で意識を奪います。それに他の出口から逃げた可能性もあります」

「先にこっちをやるぞ」


 痛みに悶える男たちから武器と荷物を取りあげる。ベルトを外して腰の袋をとり、上着を脱がせた。宝石類もすべて没収する。


「もう一本あったぞ」


 フェンネルがラタンの鞭を見つけたようだ。


「こっちも見つけた」


 戦闘中に二人目が落としたラタンの鞭を拾い上げる。

 フェンネルが男たちのズボンを脱がせ、そのズボンを巻きつけて拘束する。簡易的だが、時間稼ぎには充分だ。


「メルロー様、頼みます」


 わたしとフェンネルとメルロー様、それぞれが一本ずつラタンの鞭を持った。

 三人で円になり、真ん中で鞭を合わせる。


「大気の精霊シルフよ。我が命を聞き入れたまえ!」


 メルロー様が叫んだ。

 あきらかに自然のものとは違う風が吹いた。

 上空に無数の少女が見える。透明で、わずかに青い色をした少女たちが、空を埋め尽くしている。フワフワと海に漂うクラゲのようにも見える。

 空が赤紫に染まっている。


「この地に雨を降らせ、炎を消し止めたまえ!」


 シルフたちの声を聞いた気がした。


「シラーだ」

「シラーが帰ってきた」


 そう聞こえた。

 フワッと身体が浮かぶような風が起こる。

 飛ばされないよう、マントを強く身体に巻きつけた。

 無数の火の粉が、空に向かって登っていく。

 足元から上に向かって、強い風が吹き上げていく。これまでに体験したことがない風。暴力的な風の力だ。

 マントを握りしめて耐える。

 耐え続ける。

 そしてスッと急に静かになった。

 風がやんだのだ。

 すぐにポツポツと雨粒が落ちてきた。

 バラバラと地面を叩く音。

 雨が降り出した。


「これで火を消せるでしょうか?」

「思ったより小屋の火が強いです。でも、山火事は防げるはずです」


 作戦通り。すべて上手くいった。

 そう思いたかったが、ひとつ懸念が残っていた。


「まだカベルネが出てきません。カベルネは無事でしょうか」

「おい、カベルネはどうした?」


 フェンネルがならず者を問いただす。


「うるさいから檻に閉じ込めた」

「檻?」

「奥にでかい金属製の檻があったんだ。そこまで火が回らなければ助かるかもな」


 そうか、この小屋はカベルネを閉じこめるために建てたという小屋だったのか。

 そうこうしていると、バーガンディ様とブラン様、それから山狩りのために集まった人々がやってきた。炎が見えたのだろう。


「カベルネは?」

「檻の中だそうです」

「そうか……」


 わたしたちは炎を見守った。

 雨は降り続け、小屋の火はしだいに弱くなっていく。

 それと合わせて消火活動も行われる。延焼を防ぐため屋敷を壊し、泥と水をかけて火を消していく。

 わたしたち三人は雨宿りをしながら、ただ待つことしかできなかった。


「カベルネはもう助からないでしょう…… カベルネが死んでしまう……」


 メルロー様が涙を流した。

 それからしばらくして、作業者たちが騒がしくなった。


「生きてる!」

「生きてるぞ!」


 小屋の中から担架が運び出される。

 雨はもうやんでいた。

 火事は消え、あたりは暗闇に包まれている。

 小さな灯りの中で、父と娘の前に担架が置かれた。


「ああ……」


 生きている、というだけの状態だった。

 直接焼かれてはいないようだが、全身真っ黒に汚れている。


「服を脱がせてください。ナイフで切って」


 ナイフで袖を落として、身体から服をはぎ取った。

 手になにか持っている。小さな日記帳だ。

 バーガンディ様がそれを受け取る。


「妻の日記だ」


 あらわになった身体の状態をみる。背中側にひどい火傷をおっている。身体を丸めて、顔や腹側を守ったのだろう。それでも、もう助からない。


「近くにこれもありました」

「中身はカラです」


 アンフォラだ。

 いっそ煙を吸ってしまえば楽に死ねただろうに、酸素があったせいで、意識があるまま高温であぶられ続けたのだ。

 終わらない熱さと痛み。その苦しみを想像すると、あまりの恐ろしさにゾッとする。


「熱傷がひどいです。もう助かりません。別れの挨拶を」


 バーガンディ様がうろたえる。

 メルロー様は迷わず手を握った。


「カベルネ」


 カベルネの口がわずかに開いた。


「ママ……」


 笑ったようにも見えた。


「カベルネ」

「ママ……」

「カベルネ」

「カベルネ!」


 ふたりが呼びかけても、それっきり答えることはなかった。母親のもとに旅立ったのだ。

 こうして、バーガンディ家の幽霊事件は幕を閉じたのだった。

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