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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

養豚場の飼い主

作者: mememe




ああ、お腹がすいた。



僕は自分のぐう、という気の抜けた腹の音でゆっくりと意識を浮上させる。

欠伸をしながらベットヘッドに置いてある目覚まし時計を見ると、時刻は午前六時過ぎを指していた。

どうやらまだ起きる時間ではないらしい。

けれど僕の空腹は抑えきれない程で、再び眠ることはできなさそうだった。


そうと決まれば、と僕はもぞもぞとベッドから出てひんやりと冷たい床に足をおろす。

そしてのそのそと覚束無い足取りで薄暗い部屋から抜け出していった。



部屋と同じく薄暗い屋敷の廊下は、普段では考えられない程に静けさを保っている。

僕はまだ寝ている同居人たちのためになるべく足音をあまりたてないように歩いた。

いつもの賑やかな雰囲気を感じさせないのは、あの常に五月蝿い連中が眠っているからだろう。


たまには静かなのも良いなあと思いつつ、空腹を主張するお腹をさすりながら重厚な階段を降り、1階にあるキッチンの扉を開けた。




「あれ? ヨハンさん。起きてたんですか」

「…サミュエルこそ」


てっきりキッチンは真っ暗なのかと思いきや、中はぼんやりと明かりがついており、そこには一人の男が佇んでいた。

癖の強い黒髪に、あまりファッションに気を使っていなさそうな黒縁眼鏡。

痩せ型な体型にこれまたてきとうに買ったであろうボーダーのTシャツ姿の男。

そんな最近僕らの“仲間”となったヨハンという男は、どこか鬱陶し気に僕を見た。

その不貞腐れた顔に僕は思わず顔を緩める。

彼はまだ僕らに馴染んでおらず──とゆうより恐らく嫌っているのだろうが──声をかける度にこの顔をするのだ。


「早起きなんですね。何か作ってるんですか?」

「寝ないでゲームをしてただけ。作ってるのはホットミルク」

「へえ、ヨハンさんは本当にゲームが好きなんですね。そうゆう人を何て言うんでしたっけ、確か…オタク、だったかな?」

「………さあね」


ヨハンは心底うんざりしたように溜息をつくとホットミルク作りを再開した。

どうやら僕とあまり話したくないらしい。

けれどそれを知っていて放っておくほど、僕は人が良い訳でもないのだ。


「何のゲームをしてたんですか?」

「ファンタジー系のロールプレイングゲーム」

「へえ…あ、お砂糖をそんなに沢山入れるんですか? ヨハンさんは甘党なんですね。僕も結構甘いもの好きですよ。と言っても食べ物全般好きなのですが。でもやはり一番好きなのは──」

「…あのさ、あんたは何しに来たの? 俺とお喋りするためにキッチンに来たわけ?」


自分に構ってないでさっさと事を片付けたらどうだ、とヨハンの顔はハッキリと書いてあるようだった。

僕はそんな態度に思わず吹き出す。

それを見てヨハンは更に顔を険しくさせてしまった。




彼が僕らと知り合ったのはつい二、三週間ほど前のことだった。

彼は僕らとの出会い頭にこう言い放ったのだ。


「君らみたいに最低な奴らに僕は出会ったことがない。人の作品を踏みにじるなんて。このクソったれ。殺してやる」


フランス人の僕にはあまりわからないけれど、これが彼のアメリカンジョークだったらどれほど良かったことか。

しかし実際何人もの人間を殺してきた彼が口に出すと、それは妙にリアリティを持つ言葉だった。


そんなありったけの嫌悪を隠しもせず僕らにぶつけるヨハンに、僕らの仲間の一人である男はそれはそれは楽しそうに微笑みながらこう言い返していた。


「ヨハン! 君はとってもイカれていて、どうしようもなく最低で、実に興味深い人間だよ。こういうのは気が引けるが、君は俺たちの“仲間”になるべきだ。だって俺たちは君の作品が好きで、そして君も、きっと俺たちの嗜好が大好きになるのだから!」


男はそう言うと、最後に拒否権は無いぞと付け加える。

その時のヨハンの顔といったら、まるで嫌悪と憎悪と怒りを混ぜて煮詰めたような、世界一嫌いなものを見る目をしていた。


そしてその日に、ヨハンは晴れて僕らの“仲間”となったのだ。




「僕は早めの朝食を作りに来たんです。君も食べますか?」


なるべく優しく笑ってヨハンにそう言うと、彼は少し考えるような素振りをした後、何かを思い出したように僕を見た。


「あんたの料理は食べないよ」

「あれ? どうしてです?」

「腹を下すから」


げえ、と舌を出してそう言うヨハンは、どこか好奇を含む目で僕を見ていた。

ああ、なるほど。彼はもう知っているのか。


「なんだ、つまらないですね。誰ですか? あなたに“それ”を吹き込んだ人物は」

「テオだよ。あんた、見た目より相当悪趣味なんだな」

「遊び心があると言ってください。テオは本当にお喋りさんですねぇ」


僕はそう言いながら、キッチンの床に手を伸ばす。

ヨハンはそれを見ながら怪訝そうに首を傾げた。


「まさか、この下にその部屋があるってわけ?」

「その通り」


僕は得意気に笑いながら床に取り付けてある取っ手を持ち上げる。

ギシギシと音を立てながら床の一部が持ち上がり、中からは更に下へと続いていく階段が現れた。

中は暗く、明かりがないと何も見えない程だ。


「すごいでしょう。ゼノさんが作ってくれたんです」

「…キッチンの下に作るものじゃない。やっぱり物凄く悪趣味だ」

「失礼ですが、君には言われたくない言葉ですね。どうです? 一緒に来ますか?」


慣れたように一段階段を降り、後ろを振り向いて紳士的にヨハンに手を差し伸べる。

しかしヨハンはお手製のホットミルクに口をつけながら、得意の不貞腐れた顔でひらひらと手を振った。


「朝から見たくないよ、そんな吐き気を催すもの」

「あらら。つれないですねぇ」

「俺を君らと一緒にしないでくれるかな」


ヨハンは不敵に笑いながら僕を見下ろし、そしてこう言い放った。


「俺の作品と君らの嗜好では、天と地程の差がある」


そのユーモラスな言葉に、僕も彼にこう言い返した。


「それはこちらの台詞ですよ。ミスター・ディスプレイ」





この地下室は僕だけの部屋で、僕以外の人間は滅多に入ることがない。

何故なら先程ヨハンが言っていたように吐き気を催すから、だそうだ。


けれど僕はこの地下室が大好きだ。

この湿った匂いも、薄暗い雰囲気も、無機質な見た目も、肌にまとわりつく重い空気も。


暗く足元が見えない階段を、慣れた足取りで陽気に鼻歌を歌いながら降りてゆく。

そしてたどり着いたひとつの扉を、ゆっくりと開いた。



「元気にしていましたか?」


僕の言葉は明かりのついていない暗闇へと吸い込まれていく。

当然のように返事は無かったが、部屋の奥から微かに布が擦れる音が聞こえて僕は思わず笑みを漏らした。


「どうやら元気そうですね。良かった、死にかけは嫌ですから」


パチリ、と電気のスイッチを押す。

裸のままの電球が明かりを灯し、部屋は目に痛い蛍光灯の光に照らされた。



部屋の奥に、一人の少女がいた。

手首を鎖に繋がれ、剥がれかけのタイル地の壁へと繋がれている。

口には猿轡を嵌めており、飲み込みきれなかった涎が口元を汚していた。


少女は繋がれている鎖が音を鳴らすほどに震えながらサミュエルを怯えたように見つめている。

サミュエルはそんな少女に優しく微笑みかけると、紳士的にお辞儀をした。


「おはようございます。可愛いお嬢さん」



サミュエルは少女に近づくと、少女の足元に置いてあったペット用の餌入れを手に取った。

そんなサミュエルの一挙一動に少女は過敏な程に体をびくつかせる。

サミュエルはそれが面白いのか、俯いている少女の顎を掴んで上を向かせると、まるで紳士的がキスをするかのように少女に顔を近づけた。


「可哀想に、そんなに体を震わせて。部屋が少し肌寒かったでしょうか。そうだ、今度ゼノさんにヒーターを用意してもらおうかな。次に来た人が住みやすいようにね」


ペラペラと一人で喋り続けるサミュエルは、自然な動きで壁に背をあずけて座る少女の隣に腰をかけた。

少女の肌が触れる部分には柔らかなマットが敷き詰められており、意外にも座り心地は良く、状況に似つかわしくない快適な空間となっている。

少女は大きく肩を震わせ、震えながら隣に座るサミュエルを怪訝な目で見つめる。


「そうだ、僕が毎日君に出していたご飯。あれ、実は僕の手作りなんですけど…結構美味しかったでしょう?」


サミュエルの言葉に、少女はガタガタと震えながらも、否定をしてはいけないと控えめにひとつ首を縦に振る。

確かにサミュエルが毎日きっちり3回銀色の餌入れに入れるご飯は、こんな状況でなくても食べたい程に美味しいものだった。

その証拠に少女はここに来てから随分日が経つが、痩せ細るわけでもなく、むしろきめ細かく潤った肌を保ったままだった。

ただ一つだけ、手を使えないため犬のように食べなければいけないのが難点だったけれど。

サミュエルはそんな少女の頭を優しく撫でた。


「あれは僕オリジナルの特製ブレンドなんですよ。一切肉類を入れないように作ってるんです。つまり入っているのは野菜だけ。さて、何故だかわかりますか?」


少女は控えめにふるふると首を振る。

質問の意味も、目の前の男がなぜ自分に語りかけているのかもわからないのだろう。

サミュエルはそんな少女に優しく優しく微笑みかけた。


「人間は雑食…つまり平たく言うと草食でもあり肉食でもありますよね? 君だってお母さんにお肉ばかり食べていないで野菜も食べなさい、と怒られたことがあるでしょう? それに比べて牛や豚、鶏なんかは草しか食べないんです。つまり草食動物。だから彼らの肉は臭みがなくて美味しい」


カシャン、と少女を繋ぐ鎖が音を立てる。

サミュエルはニコニコとその綺麗な顔に笑顔を張り付けたまま、まるで絵本を読み聞かせるかのように話を続けた。


「君がここに来てから約3ヶ月。君は毎日僕の出したご飯、つまり野菜だけを食べて生きてきた。さて、君のお肉は美味しいのか、美味しくないのか」


少女の額に脂汗が浮かぶ。

少女はサミュエルの顔を見上げ、静かに息を荒げる。

体の震えは止まっていた。


「人間は女性、特に子供の肉が一番美味しいんです。まだ筋肉が成熟しきってなく、なにより弾力がある。脂身は少なすぎず多過ぎもせず、舌の上を簡単に溶けていく。さて、どんな料理にしましょうか。煮るのも焼くのも炒めるのも、どれも捨て難いですね。…まあ、量は沢山あるので少しずつ考えていきましょうか」


ね? 可愛いお嬢さん。

サミュエルはゆっくりと立ち上がると、少女と壁を繋いでいた鎖の鍵を外す。

鎖を外された少女の腕はだらりと床へ落ちた。


どうやら長い間動かすことができなかったためか、少女は自分の腕を上手く動かすことができないようだ。

少女は嗚咽をあげながらパニックに陥ったように暴れようとした。

しかし腕と同じように長い間満足に立つことのなかった足では、サミュエルからうまく距離を取ることもできない。

そんな少女をサミュエルは優しく抱きかかえ、ひょいと体を持ち上げてしまった。


「うう…! う、ううー…!」

「こらこら、女の子がそんなにはした無く暴れてはいけませんよ」


まるで執事のように少女に優しく注意をするサミュエルは、少女を抱き上げながら部屋の一角にいる白いカーテンの中へと入っていく。

少女は現れた光景に目を見開き、動きをとめた。


そこにはありとあらゆる刃物が置かれていた。

肉切り包丁やノコギリ、はたまたチェーンソーや料理に使う包丁。種類は豊富、サイズも様々だ。

そしてなにより真ん中には血のようなものがこびりついた無機質な手術台が置いてあった。

サミュエルは優しい手つきで少女をそこへ寝かせると、手首と足首を拘束する。


「みんなと違って僕の仕事は時間がかかるんですよ。捕まえてから約3ヶ月、地下室で飼わなきゃいけない。けれどそれをしないと肉は臭みがあって美味しくないんですよね。まあ焦らされるほど食べた時の幸福感が増すので、その過程も僕は愉しむようにしていますが。あっ、でも決してマゾヒストな訳じゃないですよ? それはレオの役目です」


サミュエルの楽しそうな声と一緒に、ガリガリと床を重たい何かが引き摺る音が響いた。

少女はゆっくりとサミュエルのほうを見る。

サミュエルの手には、見るからに重そうな大きい金属のハンマーが握られていた。


「ふふ、刃物が沢山並べてあるから切られると思ってたんですか? 大丈夫、それは後ですよ」


サミュエルがゆっくりと少女に近づく。

少女は大きな瞳を見開き、ふうふうと肩で息をしながらその光景を見つめる。


「“屠殺(とさつ)“という言葉を知っていますか? 豚はね、殴って殺すんだ。肉が柔らかくなるようにね」


腰に力を入れて、サミュエルがハンマーを振り上げる。

少女の瞳から涙が溢れ出た。

そこでサミュエルはふと、何かを考えるように首を傾げ動きを止め、振り上げたハンマーを肩に担いだ。


「うーん…やっぱりちょっと気が引けますね。なんだか勿体無い」


困ったな、と首を傾げるサミュエルに、少女は思わず感謝する程に安堵した。

お願い、なんでもするから、わたしを逃がして。


「あ、そうだ。君の声を聞かせてくださいよ。ずっと猿轡をしていたから長い間聞いていないですし」


サミュエルはそう言うと少女に噛ませていた猿轡をゆっくりと外した。

少女は困惑しながらも、ほんの少しの希望に縋るようにサミュエルを見上げる。


「さあ、何か僕に言いたいことはありますか? 可愛いお嬢さん」

「…………おかあ、さん…お母さんに、会いたい…!お願い…」


少女は唇を震わせ、掠れた声で懇願するようにサミュエルに告げる。

サミュエルはその言葉に少し驚いたように目を丸くし、そして優しく微笑んだ。


「わかりました」

「……!」

「会わせてあげましょう。貴女のお母さんに」


少女は初めてサミュエルに自分の笑顔を見せた。

サミュエルはそんな少女の可愛らしい笑顔に満足したように、少女のふっくらとした頬を撫でる。



そして再びハンマーを握り締め、ゆっくりとそれを振りあげた。



「感動の再会を果たしてくださいね。僕の、胃の中で」








ヨハンは昨日の昼から自室に篭もり、新作のゲームの攻略に勤しんでいた。

やっとのことで中間のボスを倒し、ヨハンは満足そうに一人薄暗い部屋で笑顔を浮かべる。


そんな陰湿なヨハンの部屋の扉を、ドンドンと少々手荒に叩く者がいた。

ヨハンは珍しい来客とゲームを邪魔されたことで眉をひそめる。


「ヨハン、あたし、サヤだけど。夕食ができたから広間に集まって」


凛とした高い声が扉の外から聞こえる。

ヨハンは小さく溜息をつくと、ゲーム画面が映るテレビを見ながら口を開いた。


「今日は夕飯はいらないよ。てきとうに自分で済ませるから君らは勝手に──」

「何言ってんのよ。夕食は屋敷にいる全員が揃って食べるのがルールなのよ。アンタだけ特別扱いしないから」


苛立ったような声と共にバタン、と乱暴に扉が開く。

そこには一人の不機嫌そうな顔をした少女が立っていた。

日本の紺色のセーラー服に身を包んだ艶やかなストレート黒髪を持つ少女は、鋭い目つきでヨハンを睨んでいる。

ジャパニーズ美人、といったキリリとした顔立ちのため、その目つきは軽く人を殺せそうな勢いでもあった。


「サミュエルが言ってたけど、アンタって昨日からゲームばっかしてるんだってね。ヨハンってオタクなの? あたし日本にいた頃オタクにストーカーされたことあるから嫌いなのよね」

「…………夕飯を揃って食べるのがルールっていうのは、一体誰が──」

「ゼノに決まってるでしょ。あたし、ちゃんと伝えたから。あと一分で来なかったら死なない程度に殺すからね」


物騒な言葉を吐きながら、サヤは踵を返して部屋から立ち去っていく。

そんなサヤを見て、ヨハンは今度は大きく溜息をつくとゲームのセーブをしてから渋々と大広間へと向かって行った。



だだっ広い広間には重厚な長机がひとつ。

両脇と誕生日席には椅子が合計9つ並べられている。

そのうち既に人が座っているのは3席だけだった。


「遅いわよ」


肩肘をつき不機嫌そうに口を曲げるサヤがヨハンを鋭く睨む。

何故そんなにも常に喧嘩腰なのだとヨハンは自分を棚に上げてサヤから目を逸らし溜息をつく。


「ヨハンさんはどうぞこちらのお席に」


そんなヨハンに声をかけ、わざわざ椅子を引いてくれたのは、真紅のドレスに身を包んだまだ幼さの残る人形のような顔立ちの少女だった。

透き通るような翡翠色の瞳が特徴的であるが、ひとつは皮の眼帯によって残念ながら隠れている。

少女は色素の薄い色のふんわりとした髪を揺らし、どうぞとヨハンを椅子へと促した。


「ありがとうエリーゼ」


エリーゼと呼ばれた少女は、無表情のまま頷きヨハンの左隣へと腰をかけた。


「エリィ、お腹すいてる? さっきアップルパイ食べたばかりじゃない」

「大丈夫です、食べることはできます」

「ふうん。そんなに食べて成長しなくていいのに…」


サヤはそう言って頬を少し膨らませる。

そんな表情をしていれば、自分より少し歳下の可愛らしい少女に見えるのだな、とヨハンは自分の左斜め前に座るサヤを横目で見て思った。


「なによ」


そんなヨハンをサヤは再び冷めるような目で見つめ返す。

そんなサヤの気迫に、思わず目を逸らしかけたヨハンだったが、ここで逃げては何故か負けた気がする。


「…いや、二人は仲良がいいんだなと」

「勿論よ。この野蛮な屋敷での唯一の女の子同士だもの。さっきもモールで一緒にショッピングしてたのよ」

「へえ、近くにモールがあるんだ。何か買ったの?」

「コレクション用の大きな瓶を」


隣でそう回答したエリーゼをヨハンは思わず見る。

コレクション。

はたしてこの幼い少女のコレクションとは、世の中のあどけない少女が集めるような…例えば綺麗なアクセサリーとかだろうか。

ヨハンが思想していると、ぐりんとエリーゼの顔がこちらを向く。

相変わらずやけに無表情な顔だが、その翡翠色の瞳は先程より鈍く輝いているように見えた。


「興味があるようでしたら是非お見せしますわ、ヨハンさん」

「…いや、遠慮しとく」


自分より遥かに年下であろう少女に、若干恐怖を感じる自分に情けなさを覚えつつ、ヨハンはエリーゼの提案を丁寧に断る。

そんな時、机の右側でガタンと物音がした。


「僕は興味があります…エリーゼさん」


長机の右端に静かに座っていた線の細い青年が、おずおずと手を挙げている。

なぜか腰まで伸びている襟足に長ったらしい前髪のせいで目元はよく見えないが、口元は微かに歪んだ笑みを浮かべているようだった。

人のことは言えないが、そういえば居たなと思う程になかなか影の薄い男だ、とヨハンは考えた。


「貴女のコレクション、僕はまだ見たことがないのです…」


不気味に笑う男に、エリーゼは無表情を崩してはいないが、よく見ると眉を顰めているような…様子を伺っているのか、恐怖しているような顔をしていた。


ふと意外にも静かに黙っているサヤに目をやると、サヤは自分の3つ隣に座る男に見向きもせず、先程と同様に不機嫌そうに頬杖をついたまま、男とは反対側のキッチンへ続く扉を睨んでいるようだった。


「そうですわね…ルシアンさんにも是非」

「いいのかい? それなら早速この後にでも──」

「みなさん、お待たせしました。本日のディナーにしましょう」


ルシアンのモゴモゴと話す小さな声を遮りながら、いつも以上のテンションでキッチンの扉を開けて入っていたのはサミュエルだった。

いつもニコニコと紳士的な笑顔を貼り付けているが、今日は更にご機嫌のようだ。

鼻歌まじりの軽快なステップを踏みながら、サミュエルは両手に乗せた銀食器を席に座る者の前に配り始めた。


「本日のディナーは子羊のローストですよ。特製のバルサミコベースのソースと一緒にどうぞ」


目の前に運ばれてきた食事は、どこかの高級レストランに出てくるメインディッシュのようであった。

完璧な焼き加減の肉の周りには、丁寧に作られたであろうソースが繊細に散らされている。


ヨハンはこの忌々しい屋敷に来て、ごく僅かだが嬉しいことが幾つかあった。

ひとつはゼノが自分の部屋を最高のゲーミングルームにしてくれたこと。

もうひとつは何もせずとも毎日美味しいディナーが食べられることだ。


「サム、今日はやけにご機嫌だね」


ヨハンが目の前の食事に喉を鳴らしていると、サヤがじろりとサミュエルを睨みながら投げかけた。

サミュエルはその言葉によくぞ聞いてくれたと言わんばかりに両手を擦り上げる。


「気づきました? 実は今日、3ヶ月育てた僕のディナーがやっと食べられるんですよ」


キラキラと爽やかな顔によく似合う笑顔を浮かべるサミュエルを見て、ヨハン以外の3人は動きを止め、明らかに浮かばない顔をする。


「うっわ最悪」

「…やはりサヤさんともう少しお出かけしていれば良かったですわね」

「僕、今日は部屋でご飯にしたいのです」


口々に不満を言う3人に、察しの良いヨハンはまさかと口を歪める。


「お前、今朝のあれ…まだなのか? 今なのか?」

「はい、まだですよ。これでも手際良くなった方なんですが、処理には半日以上かかりすので。最初の頃は丸2日くらいかかってましたよ」


もうヘトヘトです、とやり切った感満載の笑顔を携えながらサミュエルはキッチンへと消える。

ヨハンを含む残された4人は、珍しく同じような顔つきで目線を交えた。


まさかあいつ、ここで食うのか? つーか目の前のこれって…


ヨハンは自分の目の前に置かれた、先ほどまで涎が湧き出るほど美味しそうに見えていたディナーを見下ろす。

顔を青くしていると、再び鼻歌まじりにキッチンの扉が開かれた。


既にテーブルに並べられた銀食器と同じ皿には、子羊のローストと称された肉とは異なる形の肉が乗っている。

大事そうに皿を運ぶサミュエルは、ヨハンの目の前の席にコトンと皿を置き、そして座った。


「僕のはサーロインです。皆さんより贅沢でなんだか申し訳ないですね」


心の底から申し訳なさそうな顔をしている男に、ヨハンはありったけの嫌悪感を顔で表す。


「おい、そんなのと一緒に俺の前に座らないでくれるかな」

「そんな今更。ここが僕の席だって決まってますので」

「今日だけは無理。てゆうか俺たちのディナーは大丈夫なんだろうな!?」


こいつに話しても埒があかない、とヨハンは他の3人に助けを求める。

珍しく苦い顔をしている3人は自信なさ気な顔つきをしていた。


「まあ多分肉は普通。でも同時に作ってると思うから多少は…」


サヤの回答にヨハンは思わず天を仰ぐ。

おお神よ、主よ、いつもは絶対に祈らないが今日は別だ。地獄に行く他ないようなことばかりしてきたが、“食人”なんかはさすがに無理だ。


「ははは。皆さん揃いも揃って悪魔のような人なのに、そんなに顔を顰めて…。いい加減僕の嗜好にも慣れてください。ヨハンさんは初めてなので無理ないかもしれませんが」


申し訳ないです、と困った笑顔を浮かべる目の前の紳士に、思わずカトラリーのナイフを投げつけたくなる衝動を抑え、ヨハンはなるべく相手の食器は見ないように自分の手元に目線を落とした。


「やっぱり俺、母国に帰りたい」

「そんなのここにいる全員が思ってますよ。あの人に目をつけられた時からね」


大きく肩を落とす青年を一瞥した後、サミュエルは目を閉じ、思わず緩む口元を隠しもせず丁寧に胸の前で指を組んだ。




さあ、冷めないうちにいただきましょう。

神が与えてくれた、あの可憐な少女との出会いに心から感謝しましょう。


「いただきます」


ぐちゃり。


奥歯に絡みつき、ぷちぷちとひとつずつ千切れる細かい繊維。そこから溢れ出る旨み、脂、香り。


──ああ、これだから辞められない。


小さな養豚場の飼い主は、

脳裏に残る少女の笑顔を

その芳醇な旨みで塗り潰した。



Fin.

声のない天使とのシリーズものです。

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