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二
結局、森本晋作は見付からなかった。代わりに倉庫で学生の死体を見つけ、――匿名にしようか迷ったが――警察に報告し、デモはてんやわんやの騒ぎとなって解散した。警察と会うことになって、俺は身元が割れるのを恐れたが、直前に会ったシャーマン博士が素性を適当に偽ってくれた。思ったより演技の上手い教授だった。俺はその日一日は時間をとられたが、怪しまれずには済んだだろう。それでも――人は罪が顔に出るものだ。自分が殺したわけではない。が、身の周りで人が死ぬというのはやはり俺を暗い気持ちにさせた。警察は同情してくれたらしい。
タフにならなければ。
自宅はJR横須賀線沿いの衣笠にあった。駅前の(自衛隊の同僚曰く、昭和が残る)商店街の中華料理店の二階を間借りしている形で、どうも俺は中華と縁があるらしい。店主の瑛さんは古い馴染みという訳ではないが、もうかれこれ四、五年の付き合いになる。一階に降りれば必ず小言を言われ、俺は無視して豆腐料理を注文する。そんな仲だ。
倉庫で亡くなっていた学生は菊池君といった。二回生で、彼のことを知るのはたやすかった。広場で友人たちが騒ぎ散らしていたからだ。情報はそこにいるだけであちらからやってきた。竜崎というアーチェリー部のマネージャーで《無学同盟》の幹部だった。我々は警官が来るまでの間、そこで話し込んだ。彼はマネージャーの業務の合間を見ては体を鍛えているらしく、アーチェリー部のマネージャーと筋肉という組み合わせは、俺にはずいぶん異質なもののように思えた。これが主将かなんかだったら、少しは俺の味方も変わるかもしれない。もちろん彼が女性だということもひょっとしたら、それには与っているのかもしれない。割と偏見はある方だ。
当然のことだが、俺は彼女を疑った。女性だからというのではないし、アーチェリー部のマネージャーなどという仕事に付いているからでもない。それは一言で言うなら、ただの勘だった。わずかな変化だが、彼女の眼が左右に泳いだのを俺は見てとった。それで決めつけるというのも早計かもしれないが、疑うには十分な根拠だ。彼女は俺を人込みのなかに見付けると、親類の叔父でも見たときのようにさも気さくに話しかけてきた。もっとも俺には気さくに話しかけられる叔父はいない。彼女にはそれがいたのだろう。「菊池君には借金があったみたいなの」
有難い情報だったが、同時に呆れた。「どうしてそれを俺に言うんだ?」
「探偵かなんかでしょ?」
「ウン惜しい」俺は笑って否定した。「どういう訳か、その手の連中にはよく間違えられるみたいだけど、自分としては有り難くないな。もっとやくざな稼業だよ」
「物書き?」
「そういうことにしておこう」俺はメモをとりながら彼女の話に耳をかたむけた。曰く、彼女、竜崎恵子と菊池君は、大学で同じ部活の先輩後輩の間柄だったとの事。しかし最近の菊池君はどうも体調がすぐれないようだった。「だって、あんなに方々から金の無心してたら、胃に穴が開くわよ。多分、胃に穴を開けちゃったのよ」、「方々というのは?」、「部員全員。わたしもみんなも。みんな少額ずつだけど、彼に貸しがあったの」「それで行方をくらませた?」「それは、分からないわ」
俺は最初の地点に立ちかえって、もう一度尋ねた。「どうして俺を探偵だと思ったんだい?」
「そうだったらいいなって思ったのよ、ただそれだけ」
酒は嫌いだ。だが、博士の個人的なパーティー――もちろん俺はそれを断っても良かったのだが――に出る羽目になって否応なく飲む羽目になった。もちろんこんな集まりに出かけるのは気が進まなかったし、猿回しの猿にされるだけだということは、覚悟していたのだが。
会合は都内にある居酒屋で行われた。掘りごたつと表の台風が、皆の団結を高めるのに役立っていた。ただし俺を除いて。人の右手を勝手にいじくりまわす博士の友人だけあって、会席に集まったメンバーも変人ぞろいだった。小人病の女ダンサー、ゲイのカップル、博士、それに俺。炬燵を囲みながら、日本酒などをつまみと一緒に注文した。一気に場が陽気になる。菊池忠彦君の死や森本晋作殺しの依頼、それらは一時的にだが、消し飛んでいたと言っていい。この二点に共通項があるとはまだ思えない。しかし前者は俺が調べる必要のないことで、後者の依頼は取り下げられた。
だが菊池君の殺しと、森本晋作殺しの依頼(あるいはそれを取り下げた人間)が同じ場所から出ていたとするなら? 沈みながらそんなことを考えている俺に向かって、ゲイのカップルの片割れが声をかけた。「ここにあなたが呼びだされた訳、分かってる?」
「博士の被害者の回ですか」
「ブブー。面白い答えだけど、違うのよ。訊くけど、あなた、森本君を本当に殺す気だったの?」
畜生め。口があんまり軽すぎるんじゃないか。「ハッキリ断言しますが、彼には指一本触れません。いいですか」
「私たちが普通の人間だったら、あなたを警察に突き出すこともできたのよ」
「あなた達は十分に普通ですよ」
「私ね」ゲイの片割れはふっと言葉を切って、「未来から来たの。タイム・マシンでね」
「面白いですね」
それからゲイ――モモコさんというようだ――は、俺の痛いところを付いてきた。激痛だった。俺は五人殺している。その罪悪感から逃れたくはないかというのだ。「あなた、助かりたくない?」
助かりたい。誰だって。しかし救いの芽は、もう尽きたのだ。少なくとも、俺にはそう見えた。どれほど回心しても、どれほど慈善事業に寄付しても、俺が法の網に囚われることを良しとない人間がいるのだ。それは俺に殺しをさせてきた(そして俺もそれを甘んじて受け、堕落していった。同罪だ)人間たちだ。「とっくに地獄に落ちてるよ」
「だからこそのタイム・マシンよ」モモコさんは言った。「あなたも過去に戻ってやり直したいでしょ」
ハハ、ハハハ。
「所があるのよ。今はないけどね」黒い笑いが爆発して、あと少しで俺は手が出るところだった。「気長に待ちなさい」
「そこの」おれはへべれけに酔ってる、シャーマン博士を指さした。「が、作るのか?」
「かもね」
風と雨が居酒屋の窓を叩いて、ガタガタ揺らした。音が鳴っていた。
同じ席を囲んで騒ぎちらすこの大人ちを見ていて、俺は何だか馬鹿らしくなった口をつけていなかった日本酒を一口すすると、今度はやるせない思いが襲ってきた。情報をあたえれば、こちらの望む情報を引き出せるかもしれない――尤もそれは、あいてがこちらの望む情報を持っていることが前提だが、あの場で事情聴取を受けていた博士なら何か知っているかもしれない――と思い、俺は一昨日広場で竜崎という子から聞いた情報を博士に聞かせた。博士は、すでにへべれけだったが、まだ少しはこちらの言うことを理解する能力が残っていた。「彼、菊池君じゃったかな、は、わしの講義を受けに、来たことがある」
「他には?」
「わしは、あまり単位をやらなかった……、講義室の奥のほうで、小説をひろげて、読みふけっているタイプの子じゃった。かれには、確か……つるんでる子が大学にいたな」
菊池忠彦に友人がいた。すると、その友人が何かを知ってる可能性もある。
「その子の名前は?」
「わたし知ってます、有名だから」小人病のダンサー、ユダさんが口を挟んだ。「それってさっきから話題にしてる、森本君のことでしょう?」
豆腐料理が山盛りに盛られてテーブルに出された。やつが今日、起訴されたらしい。どんな態度で法廷に臨むのかはわからないが、一国の首相を殺した男らしくせめてふるまってほしいと思った。ブレないまま法に殺されてくれ。テレビのチャンネルを変えてくれるよう、俺は頼んだ。