清掃事務員斎藤響子は今日も掃除をする
武 頼庵(藤谷 K介)さま、X I さま合同企画『穏やか事務員さんの真実!!企画』参加作品です。
多少残酷な描写があります。
「……」
「どけっ! 邪魔だっ!」
「……あっ!」
「ったく。掃除のばばあが」
「すいませんねぇ」
いかにも高級そうなスーツを身に纏い、高級そうな時計に先の尖った靴を見せびらかすように、髪を逆立てた男がビル内を闊歩する。
男は自らぶつかっておきながら、清掃事務員のおばさんに偉そうに当たり散らす。
ぶつかられた清掃事務員のおばさんは持っていた掃除用具をバラバラと落としてしまった。
ずれた黒縁メガネを直しながら掃除用具を拾う彼女は全体的にボサボサした黒髪を後ろでひとつ結びにしていた。
「あのおばさん、この前入った清掃事務員ですね。片桐さんの往来を邪魔するなんて」
「ホントですよ。よくあんな薄汚い格好をして汚いところを掃除する仕事なんてしますよね」
片桐と呼ばれた男の取り巻きが吐き捨てるように清掃事務員を罵倒する。
「ふん。それしか能がないんだろ。無能なヤツには似合いの仕事だ。適材適所ってやつだろ」
「さすがは片桐さん。出来る男は言うことが違いますね~」
「にしても、あのおばさん。最初の驚いたときの声、けっこう可愛くなかったか?」
「そうかぁ~? おまえ溜まってんじゃねぇの?」
「そうかなぁ」
「……そういや、最近アレ、してねえな」
「そういやそうですね~」
「……そろそろ、久しぶりにやるか。ちょうど良さそうな具合のがいるんだ」
「マジっすか! ぜひやりたいっす!」
「俺も! さすがは片桐さんっ!」
「……ふっ。有能な俺のためになれるなら、あいつも本望だろ」
男たちは下卑た笑いを浮かべながらビルの廊下を歩いていった。
「……」
清掃事務員のおばさんは落ちた掃除用具を拾いながら、去っていく3人を射抜くように見ていたが、それに気付いた者はいなかった。
「お疲れ様ですー」
清掃の仕事を終えたおばさんがしわがれた声で女子更衣室に入ってきた。
「あ、響子ちゃん。お疲れ様~」
「あら。お疲れ様です。今日は早いんですね」
先客が見知った顔だと分かると、清掃事務員の響子は声色を変えた。
先ほどまでのしわがれた声とは違い、丁寧で穏やかで、それでいて艶っぽく若々しい声だった。
「そー。今日はこれから推しのライブなの。だから頑張って早めに仕事終わらせたんだー」
「ふふ。いいですね」
楽しそうに話す彼女、美咲が響子の正体を知ったのは響子の仕事で助けられたから。
それ以来、美咲は響子が本来の姿で話せる数少ない友人の一人になった。
「響子ちゃんも仕事とはいえ大変だねー。ホントはとっても可愛いのに、そんなおばちゃんの格好して。その声、どうやって出してるの?」
「……仕事ですからね」
仲の良い友人ではあっても、響子は仕事のことを多くは語らない。
貴重な友人を危険な目に遭わせたくはないからだ。
「……ふーん。そっかぁ」
美咲もそれを承知しているので、響子が詳しく話したがらないことは深く聞かないようにしている。
「……ふう」
響子は黒縁メガネを外すと後ろで縛っていたヘアゴムを外す。
姿勢を正し、クシでさっさと髪を直し、手早くメイクをすると、あっという間に眉目秀麗な美女が現れた。
「……ほーんと、なんでこんな美人さんがあんなもったいない格好で清掃事務員なんてしてんだか」
響子の美しさに美咲は呆れたように息を吐く。
まっすぐで綺麗な艶めかしい黒髪。少し色素の薄い大きな瞳。抜群のプロポーション。
すれ違う人が必ず振り返るといっても過言ではない。まさに本物の美人がそこにはいた。
「響子ちゃんはこれから秘書の方の仕事? 大変ねー」
「仕事ですからね。仕方ありません。それより、ライブ楽しんできてください。また感想聞かせてくださいね」
「うん! またお茶しよーね」
美咲は穏やかに微笑む響子に見送られ、更衣室を出ていった。
「……さて、と」
美咲を見送った響子は手帳を確認しながら更衣室を出る。
「おい、あれ!」
「ああ。斎藤さんだ。今日も綺麗だなぁ」
「響子さんを拝めるなんて、今日はツイてるなぁ」
響子がビルの廊下を颯爽と歩くと、皆が立ち止まり、その姿に魅了された。
響子は挨拶をされればそれに穏やかに丁寧に対応し、再び優雅に歩いた。
「……失礼します」
そして、目的地に着いた響子はドアをノックする。
「ああ。ご苦労」
部屋に入ると、妙齢の男が大きな執務机に座っていた。
豪奢な部屋で事務仕事をしていた男は目線だけで響子を迎える。
「社長。先日、頼まれていた資料が完成したのでお持ちしました」
「ああ」
男はこのビルを本社とする大企業の社長だった。
響子が資料を差し出すと、社長は手を止めて資料を受け取る。
「……ふむ。良い出来だ。ありがとう助かった」
「もったいないお言葉」
社長の労いに響子は静かに頭を下げる。
「……それで? 最近の汚れの方はどうだ?」
受け取った資料を脇に置き、社長は響子に向き直った。
「……少し、気になる汚れがありますね。まだ確証を得ていないので何とも言えませんが。近々、本格的な掃除が必要かもしれません」
「……そうか。くれぐれも慎重にな」
「……はい」
響子は再び深く頭を下げて部屋をあとにした。
「響子さんだ!」
「相変わらず美しい。あれで社長秘書とか、最強だろ」
「でも、社長秘書ってわりにはあんまり見かけないよね」
「なんでも、社長の懐刀としていろいろ動いてるらしいわ」
「なるほど。有能な側近なわけか」
「よくわからんが、とりあえず社長うらやましい」
「あの片桐さんも、さすがに社長の懐刀には手を出さないんだな」
「そういや、聞いたか。片桐さんって言えば……」
「……」
響子は華麗に廊下を歩きながら、周囲の人々の話に耳を傾けていた。
この姿のときはあまり情報が集まらないが、噂話ぐらいなら耳に引っ掛かるときもあるのだ。
響子は些細な情報も聞き漏らすまいと耳をそばだてながら、挨拶をしてくる社員たちににこやかに穏やかに応じながら歩いていった。
後日。
「お疲れ様ですー」
清掃事務員の姿の響子がしわがれた声で女子更衣室に戻る。
今日は社長秘書としての仕事はないので、この姿のままで帰宅する予定だ。
清掃事務員である彼女が社長秘書であることを知っているのは美咲だけなので、彼女は1日のほとんどを清掃事務員のおばさんの姿で過ごしている。
「あら。佐藤さん。お疲れ様」
「お疲れ様ですー」
清掃事務員のときの響子は佐藤を名乗っている。
声をかけてきたのは清掃事務員のときの設定年齢と同年代の女性社員。
「そうだ。佐藤さん。この前の冬瓜ありがとね。とっても美味しかったわ」
「あらー、良かったです。両親が農家やってて、よく送ってくるんですよー」
響子はこうして清掃事務員のときの佐藤としても周囲の社員たちと良好な関係を築いていた。
社員たちからすれば、出世競争とも関係がなく温厚で丁寧で人畜無害な佐藤は安心できる存在なのだ。
もっとも、それは響子が情報を集めやすくするために、あえてそんなキャラクターを演じているからなのだが。
基本的にこの会社は社員同士が競い合いながら成長していっている会社だが、社員同士の仲はそんなに悪くはない。
片桐のような優秀だが尖った人格の社員は稀なのだ。
とはいえ人間関係が絡む以上、それなりに問題が生じる。
それらをいち早く察知し、解決していくのも響子の仕事なのだ。
「じゃ、佐藤さん、お先に~」
「お疲れ様でしたー」
着替え終わった女性社員が更衣室を出ていく。響子はそれを穏やかな笑みで見送る。
「……うっ、うう」
「大丈夫。大丈夫よ」
「……美咲さん?」
少しして、美咲が一人の若い女性社員を支えるように入ってきた。
若い女性社員は口元を抑え、嗚咽を漏らしながら倒れ込むように更衣室の床に座り込んでしまった。
「……他には、誰もいないわね」
床に座る彼女を支えている美咲は周りをキョロキョロと見回し、響子以外に誰も更衣室にはいないことを確かめると、響子を見上げた。
「……響子。ごめん。この子の話を聞いてくれない?」
「……わかりました」
響子は申し訳なさそうに見上げる美咲に頷いて、うずくまる女性の前に膝をついた。
「……いったい、どうされたんですか?」
「……え、と、佐藤、さん? 最近入られた、清掃事務員の……」
優しく語りかけるような話し声に女性は顔を上げたが、そこにいたのは見るからに冴えない姿の清掃のおばちゃん。しかし、その声は見知った彼女から放たれているとは思えないほどに優しく、若々しい声だった。
彼女は当惑しながらおばさんを見たあと、美咲に目線を移した。
「大丈夫。彼女に話してみて」
目を向けられた美咲は彼女をしっかりと見据えて頷いた。
「……わ、わかったわ」
美咲にそう言われ、女性は困惑しながらも事の次第を話し出した。
「……私、営業一課の片桐課長と、お付き合いをしていました」
「!」
「片桐課長はとても優しくて、いろいろ素敵なプレゼントもくれて、それで付き合って三ヶ月が経って、片桐課長は私を自分の家に呼んでくれたんです」
「……」
何となく話の先を悟った響子は目を伏せた。
「私は嬉しくて。課長と早くそういう関係になりたいって思ってたから。これで私も課長の本当の彼女になれるんだって、喜んで課長の家に行ったんです」
「……」
響子は彼女の考え方自体にも問題があるような気がしたが、それを口にすることはしなかった。
「……そしたら……そしたらそこには他にも男の人が何人もいて……それで、それで課長はその人たちに私を……う、うう」
「……ありがとう。もういいわ」
再び泣き初めてしまった女性を美咲が優しく抱きしめる。
話せなくなってしまった女性の代わりに美咲が今日のことを話す。
「……そのあと、この子はしばらく会社を休んでたんだけど、勇気を出して片桐に会いに来たの。そしたら、片桐は彼女を完全に無視。まるで彼女なんて見えてないみたいに振る舞ったらしいわ。
片桐の腰巾着が彼女に下品な笑みを向けただけ。たぶん、部屋にもいた奴らなんでしょうね。
しかも片桐のやつ、彼女みたいな子を他にも何人か溜め込んでるみたい」
美咲の話を聞いて再び声を上げて泣く彼女を美咲はさらにぎゅっと抱きしめる。
「……話は分かったわ。あとは私に任せて」
「……え?」
響子はそう言うと、黒縁メガネとヘアゴムを外した。
手櫛で直すだけで、不思議とボサボサの髪は艶と輝きを取り戻す。
「……さ、斎藤、さん?」
その姿を見て、女性は目の前の清掃事務員が社長秘書の斎藤響子だと気付く。
「……何か、要望があれば聞くわよ?」
その日の夜。
「ぎゃはははっ! いやー、最高だったな、あの女!」
「俺たちを見たときの驚いた顔。傑作!」
「いやいや、俺はこれから自分が何をされるか悟ったときの絶望の顔の方がたまんなかったわー」
片桐の部屋では男たちの下卑た笑いが響いていた。
「いやー、片桐さん。いつもありがとうございます」
「いや、おまえたちにはいつも世話になってるからな。これからもよろしく頼むよ」
「もちろんっすよー!」
片桐は自分のライバルや敵になりそうな人物を彼らを使って処理していた。
その代わりに、たまに彼らに自分がストックしている女性をあげているのだ。
「にしても、片桐さんはまだあの子を喰ってなかったんすよね? 良かったんすか? 俺らが先にいただいちゃって」
「あの程度ならいくらでもストックがあるからな。わざわざ俺が手を出すレベルじゃない」
「なるほど。さすがっすねー」
「レベルといえば片桐さん。あの社長秘書の斎藤って女。あれ、ヤバくないすか? あれは行かないんすか?」
片桐の部下の男がすり寄るように話す。
「……ああ。あれはたしかに良い女だ。だが、さすがに社長の懐刀に手を出すのはマズい。それに、あれと社長はデキてるって噂だろ? そんなのに手を出したらタダじゃすまないだろ」
「なるほどー」
「……けど」
片桐はそこまで言うと、ニヤリと口角を上げた。
「いずれは俺が社長になる。そうしたら、あの女もあのジジイから奪ってやる。俺が十分遊んだら、そのあとはおまえらにも味見させてやるよ」
「マジっすか~!」
「それは楽しみだー!」
「さっすが片桐さん! 一生ついていきます!」
「はっはっはっはっ!」
「一生ね。たしかに、一生ついていくことは出来そうね」
「!」
男たちが大声で高笑いしていると、窓の外から静かに冷たい声が聞こえた。
「誰だっ!? うおっ!!」
片桐が立ち上がって叫ぶと同時に、窓ガラスが大きな音をたてて割れる。
「……だって、あなたたちの一生は今日ここで終わるんですから」
そして、鉄パイプを肩に背負った響子が割れた窓ガラスから部屋のなかに入ってきたのだった。
「て、てめえは! 社長秘書のっ!」
「な、なんであんたがここにっ!」
片桐の部下たちが鮮烈に登場した響子に驚きの声を上げる。
「こ、この女が噂の社長秘書っすか?」
「めちゃくちゃ美人じゃないですか!」
彼女を知らない社外の男たちが響子の容姿を見て騒ぎ立てる。
なぜか清掃事務員の制服であるつなぎの作業着を着ていたが、それでも響子は抑えきれない魅力を男たちに放っていた。
「……何しに来た」
片桐だけは鉄パイプと大きなバッグを持った響子を警戒して、バタフライナイフを構えながら見据えた。
「……掃除です」
「……は?」
「ゴミを掃除して綺麗にするのが清掃事務員の仕事。ここに盛大にゴミが転がっていると依頼があったので、お掃除しに来ました」
響子は穏やかに、涼しげに、とてつもなく冷たい笑みを男たちに向けた。
「……そういうことかよ」
片桐は理解した。
掃除されようとしているゴミとは自分たちであると。
「おい。おまえら。そいつを押さえろ。そのあとは好きにしていいぞ」
「待ってました~!」
「やったぜ!」
「あ、あの斎藤響子を……」
「うはっ! 最高!」
片桐の命を受け、男たちが響子ににじり寄る。
「どれどれまずは~」
男の一人が下品な笑みを浮かべながら響子に手を伸ばす。
「……」
ヒュン……という音が一瞬部屋に響く。
「……え?」
次の瞬間には、手を伸ばした男の指は床に落ちていた。
響子の鉄パイプを持っている手と反対の手には、いつの間にか血のついたナイフが握られている。
バッグは床に置いてあるようだ。
「ぎ……ぎゃあぁぁぁぁぁーーーっ!!」
男は血が吹き出す手を押さえながら床に転がる。
「なっ! てめぇっ!」
「よくもっ!」
叫びながら床に血を撒き散らす男を見て激昂した男たちが今度は2人がかりで襲い掛かってくる。
「……」
響子は片方の男の頭に鉄パイプを振り下ろす。
ごきゃっ……
「がっ!」
叩かれた男は砕けるような嫌な音とともに地面に崩れる。
「……」
「くそ……うわっ!」
響子はその様子にビクついた男の懐に飛び込むと、もう片方の手に持っていたナイフで男の大腿部を突き刺す。
「ぎゃあぁぁぁぁぁーーーっ!!」
男は叫び声を上げながら倒れ込む。
「……太い血管は避けたわ。すぐには死なないから大丈夫よ」
響子のかけた言葉は男には届いていないようだった。
「!」
響子が言葉を発した一瞬の隙を突いて、響子目掛けてバタフライナイフが飛ぶ。
しかし、響子はその一瞬の煌めきを見逃さず、ナイフを振ってそれを叩き落とした。
「……やるな」
片桐はいつの間にかリビングから玄関へと続く廊下への扉の前まで後退していた。
どうやら響子がとんでもない手練れだと分かり、初めから自分だけ逃げるつもりだったようだ。
「……」
片桐は1人残った部下の男をチラリと見る。
男は痛みに叫ぶ仲間たちを青白い顔で眺めていた。
「……おい。俺は逃げる。おまえは命がけでそいつを止めろ」
「え!? そ、そんなっ!」
片桐にそう言われ、男は絶望的な顔を見せる。
それは、先ほど自分が女性に対してたまらないと言ったものと同じ表情だった。
「早くしろ。行かないと俺がおまえを殺すぞ」
「く、く……くそぉ~!!」
男はやけくそになって響子に向かっていった。
片桐は今だと言わんばかりに扉に手をかけ、1人で逃げ出そうとする。
響子は向かってくる男を意に介さず、鉄パイプを放ると、先ほど床に置いたバッグから別の物を取り出す。
「うぎゃっ!」
扉を開けて玄関に走ろうとした片桐は足に衝撃を受けて思い切り転んだ。
「……な、なんだ」
その衝撃が痛みに変わるのを感じながら自分のふくらはぎを見ると、数本の釘が刺さっているのが分かった。
「……は?」
片桐が戸惑いながら響子の方を見ると、響子は釘打ち機を片桐に向けていた。
「……な……え?」
自分に起きたことがよく分からず、先ほど命がけで彼女を止めるよう命じた男の方を見ると、男はすでに片腕を切られて蹲っていた。
「……」
響子はバッグからロープとヒモを取り出すと、自分が倒した男たちをロープで縛り上げながら、傷をヒモで縛って止血した。
「は? な、にを……」
自分で傷つけておいて助けるような真似をしている響子の意図を片桐は理解できずに困惑していた。
てっきり殺されると思っていた男たちも、拘束されただけという事実に安堵の息を吐く。
響子は最後に片桐の元に行くとリビングの中まで引きずっていき、同じように彼を拘束した。彼は手当ての必要はなさそうだったので拘束するだけだった。
「……さて、と」
これで終わりかと安心しかけた男たちは、次の響子の行動でその表情を一変させる。
響子は持ってきたカバンをひっくり返し、その中身を床にバラバラとぶちまけたのだ。
ハサミ。金づち。針。瓶に入ったムカデ。怪しげな薬品。鞭。ニッパー。
そして、釘打ち機にナイフに鉄パイプ。
「……あ」
男たちはそれを見て、これからの自分たちの運命を悟る。
「雇用主と依頼人からの要望でね。出来る限りの苦痛を与えてから掃除してほしい、とのことです」
そう言って響子はまずは長い針を手に持った。
「……ま、待て。待ってくれ」
片桐は首を振りながら芋虫のように体を動かした。
響子はそんな言葉を意に介さず、片桐に向かってゆっくりと歩く。
「た、頼む。やめてくれ……」
嘆願する片桐を目の前まで来た響子は冷たく見下ろす。
「……そう言った女に、おまえたちは何て答えてきた?」
「……う」
「心配しなくてもここは防音なのでしょう? 安心して叫んでいいですよ」
響子は妖艶で美しく、何よりも残酷な笑みを片桐に落とした。
「……ひっ……ぎゃあぁぁぁぁぁーーーっ!!」
そして、男たちの叫び声は朝まで部屋のなかに響き渡ったのだった。
片桐たちが行方不明になった事件はなぜかメディアで報道されることはなかった。
会社はなぜか突然音信不通となった社員3名に困惑したが、しばらくするとそれも落ち着いた。優秀な彼らの代わりなど、すぐにどうにかなるのだ。
彼らの身内はとっくに彼らと縁を切っていたので積極的に彼らを探そうとする者もおらず、形だけの捜索依頼を出した会社の要請に従って捜索していた警察も早々に彼らの捜索を打ち切った。
片桐たちの素行の悪さが発覚し、逃げたか消されたのだと判断したのだろう。警察は裏の話にはあまり強く関わらない。彼らの行方はこれからも見つかることはないだろう。
また、その事件の陰で1人の女性社員がひっそりと会社を退職していた。
多額の退職金を受け取り、実家へと戻っていったのだ。
直接的な被害者は他にもいたようだが、もはや行方も分からなくなっている者も多く、社員でもない彼女たちのケアは響子の仕事の範疇外だった。
その後、会社の屋上にて。
「ありがとねー。響子ちゃん」
屋上に吹く風を感じながら美咲が響子に礼を言う。
「……仕事ですから。
それに、美咲さんもたまたまあの子を見かけただけで別に友達でもなかったのでしょう?
あなたも、存外人がいいですよね」
響子の艶めかしい黒髪が風になびく。
「ふふふ。まあ、そのせいで大変な目に遭ったこともあるけどねー」
「……」
「ま、そのおかげで響子ちゃんと友達になれたんだけどね」
美咲はそう言って響子にウインクをしてみせた。
響子の掃除の仕事に関わった者は会社を離れることがほとんど。
多額の口止め料とともに、どこか知っている人がいないところに行くと決める者が多いのだ。
響子に助けられ、怖い思いをしたにも関わらず会社に残った美咲は珍しい存在で、響子からしたら唯一無二の友人でもあるのだった。
「……この前、パンケーキの美味しいカフェを見つけました。今度、一緒に食べに行きませんか?」
「え! やた! いくいく! わーい! 楽しみー!」
「ふふふふ」
響子の提案に無邪気にはしゃぐ美咲に、響子は穏やかな笑みを浮かべるのだった。
コンコン。
「どうぞ」
「……失礼します」
響子は社長室に入る。
「先刻の掃除。後片付けありがとうございました」
響子は社長に深々と頭を下げる。
片桐たちの死体の処理やメディア・警察への対策は社長が手を回していたのだ。
「いや、依頼人の要望もあったとはいえ、俺も面倒なことを頼んだ」
片桐たちの掃除は社長と依頼人双方からの要望であのような形で行われた。
「……これで、被害者たちも少しは救われるだろう」
「……では、私はビルの清掃業務に戻ります」
響子は伝えることを伝え終わると、再び頭を下げて踵を返した。
「……響子」
「!」
立ち去ろうとする響子を社長が呼び止める。
響子は振り返らずにその場で立ち止まる。
普段は名字で呼ぶ彼が彼女を名前で呼ぶのは、
「……おまえにこんなことをさせてしまってすまない。俺は、父親失格だ」
「……」
響子には振り返らずとも、父である社長が申し訳なさそうな顔をしているのが分かった。
「……仕事ですから」
響子はそれだけを言うと再び歩きだし、扉に手をかけた。
「……お父さんがお母さんとともに作り上げた会社。表からはお父さんが、裏からは私が守る。お母さんが亡くなるときに、そう誓ったから」
「……響子」
響子はそれだけ言うと、振り返ることなく扉を開け、部屋を出ていったのだった。
「お疲れ様ですー」
「佐藤さん。いつも掃除ご苦労様」
「いえいえ。あ、そうだ。この前また実家から野菜をいろいろもらったので、また持ってきますね」
「あら嬉しい! 楽しみにしてるわ!」
「ふふふ。さ、今日もお掃除頑張りましょうかねー」
そして今日もまた、清掃事務員のおばさんはのんびり穏やかにビルの清掃に励むのだった。